嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

誰にも見られたくない、明日の天気図を描いて ’

2006年08月16日 23時57分21秒 | 駄文(詩とは呼べない)
ずっと何かを我慢している。
誰かに、言論を封殺されているような気がする。
もっと僕には、言いたいことが腐るほどあるのに
一体誰の何に遠慮しているのだろう。

最近始まった事はいい、小さいことだし、
いずれどうにかなるようなことだ。
だけど。
ずっとずっと何年も我慢して、
まだ全く言葉になっていないこと、
それをここに書かないでいるのは
やっぱり何かおかしいような気がする

僕に残された時間、
ほんとうに、まだもう少しあるのか?
もう、かなり少ないんじゃないか?
もしかすると明日なんじゃないか?

そんな危機感を最近ひしひしと感じ始めている
誰かが何かを諦めるたびに、
何か重たいものを背負わされてるような感じがする
君達が諦めた分だけ、僕に何かの重責が、負荷が、圧力が、
だんだんと周りを取り巻いてずむずむと息苦しくなる。

もっと僕に、自然な空気と、
ゆるやかな呼吸と、
どうしようもない言葉があれば、
きっとまだ、僕の為に、
見えない世界は、
誰かに見える世界に変わるのに。

そんな気がして、
僕は白い壁に向かう。

誰からも期待されず、
何からも束縛されず、
僕だけの、本当の気持ちを、
どこかへ書きたい。

それでもまだ、その手紙は宛先不明なままで
ずっと中空を彷徨う。

明日、そらの空気が澄んだ水色に包まれたとしても
きっと僕の天気は、もう二度と、晴れることがないだろう。

不自然な夕焼けを白く染める日のために

2006年08月16日 22時21分48秒 | 駄文(詩とは呼べない)
僕が失った光を、誰かが代わりに受け取るとしたら、
それはいったい誰が良いのだろう
そしてまた、それはいったいどんな人ならいいのだろう

世界の半分が失われてもまだ、世界を自然だと思ってみることは出来る。
例え鋼鉄に彩られた、灰色の、スモッグで焼けただれた硝煙の匂いがするような街でさえも
僕が自然な眼で光を受け取り、そして心の風景に、とてもやわらかい形で、
なだらかにしまい込むことが出来る風景なら、
それはまだ自然だと、言い切ったり断言したり確定したりすることは出来る。

だけど僕の形が、
どうしようもなく不自然な色で彩られ、
ただ、存続の為だけに作られた監視カメラのような目線を手に入れたら
それはもう、そこにある風景を、
自然だと呼ぶことは決して出来ない。

ありふれた夕焼けも、
心を狭める黄昏も、
赤いだけで涙を誘う夕日も、
もうじき、僕の心には届かなくなる。

その事を思うと、少しだけつらい。
生きていく決意は無い。
死にたがってる自分の潜在的な欲望だけを、
大事に大事に、自分の名前で名付ける。
彼の事だけを、ただ僕は自分であると認めてやりたい。
そんな願望ですら、自意識という言葉が抽象化して
僕の景色を外へはみ出そうとしていく。

もうずいぶんと、窓の外へ手を伸ばしてないような気がする
ありふれた日常の中で、
機械と共に踊るような忙しい日々を送る。

あと何年経てば、太陽の光は人口のエネルギーに交換されるだろう。
そしてあと何年経てば、世界の半分が記号に変わるだろう。

どうしようもなく絶望的な風景を、
フルカラーで表現したくはない。
何万色の絵の具を用意しても、
心に雪のような白さを紡ぐ事は出来ない。

だから僕の半分の景色が、
例え病気のような白さに染まってしまっても
僕は、
僕だけは、
そこに自然の採光を取り入れて
どうしようもなく輪郭のない、
シャボン玉を遠くに見つめる。

明日、僕の世界が終わったとしても、
僕はまだ、今日を描くことが出来ない
その事を思って、ただ君の前で僕の記号は踊る。