老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『Life During Wartime』

2010-12-22 21:55:06 | 映画
1週間以上も前に見た映画。題名に反して戦争映画ではまったくない。戦争のせの字も出てこない。題名の意味がよくわからない。日常生活の中のニンゲン同士の関係、みたいなものが戦争のようなモノだと言いたいのかどうか、とりあえずは複雑な日常生活を描いた内容。

話のスジもよくわからなかった。最初に一人のオンナが出てきて、それがまたみるからに普通のヒトじゃなくて、ま、もちろん、ヒトを外見で判断してはいけないのだが、ニッポンにもこんなタレントがいたなあ、というようなヒト。そのヒトが黒人のオトコとレストランで注文をしようとしている。わざわざ黒人、と書く必要はないのだが書いてしまった。
あとからモノの本で調べたらソレは夫婦で、そのとき別れ話をしていたようなのだが、夫のほうがひたすらワタシが悪かった、みたいなことを言う。でも注文を取りに来たウェーターが、その夫のいい方が悪かったのか、コップの水をおブッかけて、出て行け、みたいに言う。セリフが少なく、あっても簡単な英語だったのにそのへんの話はまったく理解できなかった。

あと、ポスターにも出ている子ども。大人のオトコと子どもの自分との違いは何かとまわりの大人に聞く。それが、ヒトを許せるかどうかだ、みたいなことをいうのがいて、じゃああんた、テロリストも許せるか、みたいな話に展開してますますわからなくなる。
大江サンの核時代の想像力、みたいな意味で、テロ時代の生活、みたいなことか。テロでいつ、なんの意味もなくコロされる、そういう時代にイキていることとはどんなもんかと。夫婦関係とか、せっくすとか、マヤクとか、そういう日常を覆うようにテロ時代というのがあって、そういう雲の下でわれわれはイキテいる。そんな話か。

ま、こういう難しい映画には必ず作者が言わんとする深いテーマがあるわけで、そういうことを考えると、ソレは結局ヒトはヒトをホントに許せるか、みたいなことかなあ。裏切った夫や出て行ったツマを許せるか、テロリストを許せるか、ハンバーガー屋のウェートレスを許せるか、幼児趣味のオヤヂを許せるか、あのブッシュさえも許せるのか。そういうことを言いたかったのかと思うまでに1週間かかった。テロ時代だからこそ、ヒトはいくらでもヒトを許せるんじゃないかと、究極的な逆説。
映像的にはおもしろかった。

Todd Solondz/トッド・ソロンズ監督、2009年。