コレはニッポンで見た芝居。イキウメの芝居はホントにおもしろい。今回も最後のところなんか思わずオォーみたいな盛り上がりで、やっぱりこういうわかりやすくて盛り上がってキモチのいい?芝居がいちばん。
で、話はいつものように死んだあとの世界というか、うまく死ねなかった若いヒトがザシキワラシになって世の中の役に立つ、みたいな話で、生きることのイミって何?みたいなやや教訓めいたところもあるのだが基本的には世の中、霊魂とかオンリョーとかハイゴ霊、とか、そういう目には見えないが確実にジブンのまわりにいてそれによって生きているあいだは生かされている、みたいな深い話で、、死というのはゲイジュツ表現のキワメテ主要な1テーマであることを、このイキウメのヒト達は強く意識しているようだ。
場面は偶然?の死で東京湾に捨てられて魚に食べられた若い男が霊魂に溶けかかるのに時間がかかっているあいだにザシキワラシ界の世話人であるオトコに見つけられて、死にきれない死を死んだその若い男にザシキワラシになってもう一度世の中の役に立ってみないかと誘いをかける。
ああ、いいですよみたいな感じで若い男が軽くソレを受け入れるとベテランのザシキワラシが何人か集まってきてそれぞれの体験を語って若い男を教育し始める。その一つ一つの話から死んだ側から見た生きているヒト達のそれぞれの苦しさがえがき出され、死ねば楽になれるのに生きて苦しむこともまたソレはソレで意味があるのかというような、そういう見方からの生きるって何?的な深いホリサゲが展開される。深い話だ。
その若い男は研修が進むにつれてザシキワラシとしての素質があることがわかってきて、それはヒトを幸福にするのをソバで見守っているだけなのだが、そういう存在を生きているヒト達は求めていて、それはヒトによってはカネだったり宗教だったりカゾクだったりNPO法人だったりするわけだが、それらをひとくくりにすればそれこそがザシキワラシ的な存在なんじゃないの、みたいな結論。最後ではザシキワラシがときどき手を下して世の中を動かしもしていることを暗示させて、ソレはキモチのいい結末だった。
ところでいい芝居というのはソレを見た人間の中で何度も話がくるくるまわってソレが生きるチカラになったりもするわけだが、ワタシの中ではイキウメの芝居って考えれば考えるほどドリフターズのコントに似てるなあと思えてくる。背の高い世話人のオトコはいかりやサンでどなり声をハリ上げて、じゃー次ーっみたいにしている。そこにオトナ子どもみたいなのとか高木ぶーみたいなものごとに変に動じないのとかがでてきて、あと、アイドル歌手みたいなのがゲストふうに出てきてズッコてそれでもってときどきスローモーションが入ったり、最後で大盛り上がりしてストンとおわるところなんかドリフターズそのものだ。
考えてみればああやって毎週毎週テレビを続けていたのはスゴイことだったと、いまさらながら思い返す土曜の夜であった。
2009.12.5、紀伊国屋ホールにて。
で、話はいつものように死んだあとの世界というか、うまく死ねなかった若いヒトがザシキワラシになって世の中の役に立つ、みたいな話で、生きることのイミって何?みたいなやや教訓めいたところもあるのだが基本的には世の中、霊魂とかオンリョーとかハイゴ霊、とか、そういう目には見えないが確実にジブンのまわりにいてそれによって生きているあいだは生かされている、みたいな深い話で、、死というのはゲイジュツ表現のキワメテ主要な1テーマであることを、このイキウメのヒト達は強く意識しているようだ。
場面は偶然?の死で東京湾に捨てられて魚に食べられた若い男が霊魂に溶けかかるのに時間がかかっているあいだにザシキワラシ界の世話人であるオトコに見つけられて、死にきれない死を死んだその若い男にザシキワラシになってもう一度世の中の役に立ってみないかと誘いをかける。
ああ、いいですよみたいな感じで若い男が軽くソレを受け入れるとベテランのザシキワラシが何人か集まってきてそれぞれの体験を語って若い男を教育し始める。その一つ一つの話から死んだ側から見た生きているヒト達のそれぞれの苦しさがえがき出され、死ねば楽になれるのに生きて苦しむこともまたソレはソレで意味があるのかというような、そういう見方からの生きるって何?的な深いホリサゲが展開される。深い話だ。
その若い男は研修が進むにつれてザシキワラシとしての素質があることがわかってきて、それはヒトを幸福にするのをソバで見守っているだけなのだが、そういう存在を生きているヒト達は求めていて、それはヒトによってはカネだったり宗教だったりカゾクだったりNPO法人だったりするわけだが、それらをひとくくりにすればそれこそがザシキワラシ的な存在なんじゃないの、みたいな結論。最後ではザシキワラシがときどき手を下して世の中を動かしもしていることを暗示させて、ソレはキモチのいい結末だった。
ところでいい芝居というのはソレを見た人間の中で何度も話がくるくるまわってソレが生きるチカラになったりもするわけだが、ワタシの中ではイキウメの芝居って考えれば考えるほどドリフターズのコントに似てるなあと思えてくる。背の高い世話人のオトコはいかりやサンでどなり声をハリ上げて、じゃー次ーっみたいにしている。そこにオトナ子どもみたいなのとか高木ぶーみたいなものごとに変に動じないのとかがでてきて、あと、アイドル歌手みたいなのがゲストふうに出てきてズッコてそれでもってときどきスローモーションが入ったり、最後で大盛り上がりしてストンとおわるところなんかドリフターズそのものだ。
考えてみればああやって毎週毎週テレビを続けていたのはスゴイことだったと、いまさらながら思い返す土曜の夜であった。
2009.12.5、紀伊国屋ホールにて。