老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『カール・マルクス:資本論、第一巻』 リミニ・プロトコル

2009-07-26 09:48:52 | 演劇
コレはこの前、NHK教育テレビの芸術劇場で放送されて、それをブルーレイにとっておいて今回持ち帰ってきたもの。はじめはなんじゃコレ、と思ったが、観ているうちにだんだんおもしろくなってきた。ニッポン人が出ているというのもスベルんじゃないかとの予想に反してかえってわかりやすさを増していた。出ていた人がそれぞれ深いモノを持っていたからだろうと思うが。

内容はHPに書いてある通り。資本論をめぐってコノ本に何らかの関係をもつ何人かの人たちがそれそれのジブンの歴史をほかの人には無関係に語っていくのだが、だんだんそれがお互いに少しずつ絡み合ってきて、、最後のほうは感動的ですらある。資本論という一冊の書物を下敷きにして、それぞれのジンセイという未完の書物をその上に重ねていく。コレもこの前テレビで録画しておいて見たイキウメの図書館的人生voi.1の最初の賽の河原のナンたらというので鬼が死者に天国に行くのを許す場面でジブンの歴史が書いてある書物を一人一人に渡してゆっくりこれを読みなさいと言うシーンがあったが、資本論というサンズの川を一つの船に乗って下りながら一人一人がジブンのジンセイを世の中に書きとめていくような、、よくわからないが、ワレワレは否が応でも同じ船に乗っていて同じ時間を終末に向かって進んでいるという感覚を、資本論によって引き起こされたソレぞれの変化を時間軸上に羅列するように並べることで時間の共有感みたいなかたちで見せてくれる。

日本人の出演者のうちやはり際立っていたのは実際にも経済学者で資本論について大学で教えてきたセンセ。終戦の天皇の放送を聞いた後、北海道の刑務所に入っている父親が帰ってくると喜んで話した母親を見た時から自らの人生が回り始めた、みたいなことを最初に言って、あとは滔々と資本論を読んでいく。なんかこっちがわかったような気になる読み方。

リミニ・プロトコルというのはこの芝居、というかパフォーマンスというか、これを制作、というか演出というかしているグループ、というかユニットというか。とにかく既成の演劇の枠には入らないユニークな人たち。実験としてであれば資本論でなくてもよかったのだろうが、やはりかなり思想的な方向性の強いものを意図していて、はやい話、コレは左翼の革命シソウにもとづいている。
一方で、目の見えない人がドイツ人と日本人の一人ずつ、それぞれ重要な役割で登場するが、目が見えることと見えないことでモノの価値が大きく違ってくるということを、それは結局ヒトそれぞれ、目が見えようが見えまいがそれぞれ価値観はぜんぜんまったく違うということを言いたかったんだろう的な演出も。

2009.3.1 にしすがも創造舎での公演の録画