老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『ノルウェイの森』 村上春樹

2006-12-29 23:00:39 | 文学
正月休み初日。大掃除をしていたら本棚の奥からでてきたので20年振りくらいに読み返した。
確か、妻が早産しそうになって1ヶ月入院していたときに、何か本を持ってきてといわれて、文庫で出たばかりのコレを買っていったのだと思うが、まあ、実にテキセツな選択だったと思う。何しろ登場人物が次から次にジサツしてしまうんだから。(ほかに持ってったのは、大江健三郎の「治療塔惑星」とか、、)
ワタシは1987年に発表された時に単行本で読んでいて、それ以来、村上作品は読んでいなかった。ムラカミ離れのきっかけになった本なのである。やはり今回読み返して、それ以前の作品と違い、違和感があった。

どこが、といわれると、主人公の「僕」に、まったく入れないのだ。それまでのムラカミ作品と同じように、日曜日の朝にはオムレツを作って食べて、ジャズを聴きながら本を読んで、やれやれ、という感じではあっても、なんとなく薄っぺらで、鈍感で、そしてハッキリ言えば愚かな人間として描かれている気がして。そういうことを計算づくで書いているのだとは思っても、読んでいて不快になる部分がある。弱くて、これで喰っていけりゃ別にいいが、と思えるようなところが。

「僕」はひんぱんに手紙を書く。ジサツした昔の友達の彼女であり、今は「僕」が心をひきつけられ、たった一度のSEXの感触が忘れられない相手である直子に、そしてその直子と精神病の療養所で同室のレイコさんに、それから直子とは遠く離れているために、その孤独を紛らわす相手になっている大学の同級生の緑に。
自分の不安に耐え切れずに、相手からの返事が来ないのに、何度も繰り返して手紙を書いて送る。読んでくれたか、と。僕の気持ちが伝わったかと。そのへんのメメしさが、、よくいえば、壊れやすさが、この頃から急に売れ始めてきた理由にもなっているからなおさら、気持ち悪く感じるのだ。
文芸評論家の加藤典洋は、デビューの頃から村上春樹に注目してきて、大学のゼミなどでも村上作品を取り上げてきたひとであるが、この頃の作品について、『「いい気なもんだ」とは思わせない程度のものではある』と、書いていたように記憶している。
たぶん、その後の、たとえば「世界の中心でナンタラカタラ、、」みたいな、へそが笑い出してしまうような純愛ブンガクに比べれば、批評に値するものにはなっていたのだろうと思うが、やはりこれは、ワタシとしては、いまひとつ、気に入らない作品なのだ。

とはいえ、まあ、ひとそれぞれ。たった一度すっぽかされたからって、それっきりっていうのも、この話の中でいらいらさせられたメメしい人間関係そのもののようで。海辺?のカフカ、なんてのもそろそろ読んでみようかと思う今日この頃なのである。

ムダなあとがきやら、解説がないのは好ましい。
1991年、講談社文庫版。