太平洋の島々の中にはハワイ諸島、ミッドウェー諸島、北マリアナ諸島などのアメリカ領とニューカレドニア、タヒチなどを含むソシエテ諸島、トゥブアイ諸島、マルキーズ諸島、トゥアモトゥ諸島などのフランス領が点在している。
沖縄や、そのさらに南西に位置する宮古、八重山、与那国などの島々がなぜ日本なのか、という疑問がないわけではないが、文化的な文脈から言えばハワイがなぜアメリカで、タヒチがなぜフランスなのかという問題とは別の話だと思われる。
イースター島がチリで、ガラパゴス諸島がエクアドルに属していることも同じように理解できる。
日本もかつて太平洋に植民地を求めていき、結果的にはコテンパンにやられたことを忘れてはならないが、結局は、いまだに植民地を保持していながら、他国の侵略行為は許さないという、根本的なねじれの元がここにある。
核兵器についてもまったく同じことで、フランスがわざわざムルロア環礁まできて、自分の領土だからといって核実験を繰り返したことは、決して消えることのない事実である。
だからヨーロッパの冒険者達が先を争って新しい島々を「発見」しようとしたことは、発見された側からみれば、単なる外部の人間の訪問でしかない。
そんな風に感じさせてくれたのが、1777年のクック船長の3度目の上陸地点を示すこの記念碑だ。
クック船長は3度トンガを訪れていて最初は1774年だから、ずいぶん頻繁に、冒険というよりは旅行をしていたわけだが、この付近で約1ヶ月過ごした後、ハワイへ向かい、そこで殺されている。
トンガはイギリスの保護下になった一時期を除いて、独立を守り抜いた数少ない島国であり、そのことも、ああ、クック船長ね、というくらいの軽い歴史的事実の受け止め方を人々に促しているのかもしれない。
この碑はトンガがイギリス連邦に加わった1970年に、エリザベス女王らがここを訪れた記念に建立された。まわりに1軒の民家もない道路際に、草は刈られきれいに掃除もされているようだが、粗末な金網の扉で仕切られているだけのものだ。
卑屈にならざるを得ない歴史的遺伝子を持つ日本人の私としては、家の近くにあるペリー提督上陸記念碑の重々しさとの違いに驚きながら、波のない静かな入り江を眺めた。
沖縄や、そのさらに南西に位置する宮古、八重山、与那国などの島々がなぜ日本なのか、という疑問がないわけではないが、文化的な文脈から言えばハワイがなぜアメリカで、タヒチがなぜフランスなのかという問題とは別の話だと思われる。
イースター島がチリで、ガラパゴス諸島がエクアドルに属していることも同じように理解できる。
日本もかつて太平洋に植民地を求めていき、結果的にはコテンパンにやられたことを忘れてはならないが、結局は、いまだに植民地を保持していながら、他国の侵略行為は許さないという、根本的なねじれの元がここにある。
核兵器についてもまったく同じことで、フランスがわざわざムルロア環礁まできて、自分の領土だからといって核実験を繰り返したことは、決して消えることのない事実である。
だからヨーロッパの冒険者達が先を争って新しい島々を「発見」しようとしたことは、発見された側からみれば、単なる外部の人間の訪問でしかない。
そんな風に感じさせてくれたのが、1777年のクック船長の3度目の上陸地点を示すこの記念碑だ。
クック船長は3度トンガを訪れていて最初は1774年だから、ずいぶん頻繁に、冒険というよりは旅行をしていたわけだが、この付近で約1ヶ月過ごした後、ハワイへ向かい、そこで殺されている。
トンガはイギリスの保護下になった一時期を除いて、独立を守り抜いた数少ない島国であり、そのことも、ああ、クック船長ね、というくらいの軽い歴史的事実の受け止め方を人々に促しているのかもしれない。
この碑はトンガがイギリス連邦に加わった1970年に、エリザベス女王らがここを訪れた記念に建立された。まわりに1軒の民家もない道路際に、草は刈られきれいに掃除もされているようだが、粗末な金網の扉で仕切られているだけのものだ。
卑屈にならざるを得ない歴史的遺伝子を持つ日本人の私としては、家の近くにあるペリー提督上陸記念碑の重々しさとの違いに驚きながら、波のない静かな入り江を眺めた。