老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『Talk to her』

2009-04-26 12:12:05 | 映画
ペドロ・アルモドバル監督シリーズの中の傑作中の傑作。これもまた特異な状況設定から人間の生の本質をえぐり出す、、というとあまりに表面的なとらえかたすぎるのだが、まあそんな感じの映画。
以下、あらすじで、読みたくない人はここまででサイナラサイナラ。。

まずかわゆくてカラダもばっちりの若いオジョーちゃんが、この表現はいかがなモノかと思うがいわゆる植物ニンゲン状態で何年もベッドで寝たままになっている。もともとはバレリーナである日交通事故でそうなってしまったらしいのだが、そのオジョーちゃんを介護しているのがややオカマっぽい看護士のオトコでカラダを洗ったり服を着替えさせたりしながら毎日返事をしない相手に話しかけている。実はこのオトコはこのオジョーちゃんがバレリーナをやっている頃からストーカーみたいに追っかけていて、今、病院で植物状態でいることでジブンの独占物になったというようなキモチになっている。

一方、もう一人の男が登場して、その男は闘牛士のオンナに惚れているのだが、この闘牛士もある日闘牛場で牛にのしかかられて意識不明になってしまう。で、看護士のオトコとこの男が病院で出会って同じ境遇なもんだから意気投合して行くのだが、ある日意識不明のオジョーちゃんがナント妊娠する。
誰がヤッタのかということになって当然そのオカマの看護士が犯人で、こういうのをゴーカン罪というのかどうかわからないが逮捕される。と同時頃に闘牛士女のほうも意識が回復しないまま死んでしまい病院にかけつけた男は看護士のオトコがいないのでどうしたのかと思ったら逮捕されて刑務所にいるということを聞いて面会に行って、オカマオトコのほうは早く女に会いたいみたいなことを言いながら、コレが何で罪なんだと思いながら、女に会えないことを嘆いてジサツする。

で、そのあとが天地がひっくりかえるような話で子どもを産んだ女が、子どもは生きて産まれなかったものの、ナント意識が回復して歩いているところを闘牛士男のほうが偶然見かけて、で当然、その女=若いオジョーちゃんのほうは自分を看護してくれた男のことなど知らないし、ましてその男の子どもを産んで、その子どもが死んだことも知らない。誰かが言うかもしれないが自分の意識にはまったく残っていない。そういう状況の中で闘牛士男はその女と偶然にも言葉を交わすような場面になって、オカマオトコに代わってこの女に惹かれるものを感じる。
この女が眠っていた間の世の中のできごとはいったい何だったのか、、普通には時間がだれにも同じように流れているわけだが、それがもしそうでなかったら、まあおもしろいというか、眠っている間に起きたことは本人には起きていないのと同じわけだから、時間の連続性とか記憶とか、そもそも意識、って何?みたいな映画。
ビナ・バウシュのパフォーマンスがそういう感覚を増幅するように挿入されている。

2002年、スペイン映画。バレリーナ役はレオノール・ワトリング。8割がた寝ているだけの役。