老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『1945』 the company

2008-11-07 09:03:10 | 演劇
秋の演劇シリーズ第4弾はオヂサン的に大好きな中村ゆりさん主演のコレ。ものすごい不幸なのに誇りだけは持ち続けるという、見方によってはやっかいな女を大熱演してて、おしまいのところでは思わず叫んでしまいそうになるくらいホントに良かった。
終戦直後のニッポンを舞台に、芥川龍之介の「藪の中」と「羅生門」を土台にしつつ、芯棒のところでは現代の世界中を覆っているウソで塗り固められた社会、というか、史上最悪の大統領であるブッシュのイラク戦争とか、もちろんニッポンの天皇をアタマにして始めたアジア侵略もそうだし、アメリカが原爆落とした理由とかも、全部ウソから始まって、その時の権力者がウソの上にウソを重ねる形で泥沼にはまっていって、そして今でもそのことに気付いていないヒトまでいるという笑えない現実を、一人の女の不幸を通して、そのウソから解き放たれないかぎり人間はこれから先、生きる意味もないんじゃないか、くらいのかなり政治的にストレートなことを言おうとしている。

「羅生門」という映画は今でもヨーロッパじゃ相当なインパクトを持っているらしく、一つの事実がそれを見たヒトによってまったく違う形で受け止められる、というかねじ曲げられるて真実がわからなくなることことを「羅生門状態」って言うくらい。
話のほうは戦後のヤミ社会の中で、肺病でアッチの方が不能の金持ちオトコが借金のカタに女中の娘で若く美人のオンナを妻にする。あるとき妻と一緒に、何で妻と一緒にそういう危ないところに行くのかわからないが、ジブンのクスリを朝鮮ジンに売ってもらうために暗黒街みたいなところに入って行く。そこで事件があって男は殺される/または死ぬ、のだが、それを誰がやったかをめぐって、その朝鮮ジンと、オンナと、死んだオトコがジブンのみに起きたことを次々に語りだす。
そこでしゃべることが一人ひとり違っていて誰がやったのか/またはジブンで死んだのか、事実は闇の中に消えていく。まさに羅生門状態、っていうわけ。

芝居の中では三国ジンとかいって朝鮮ジンを蔑視する風潮や、特攻隊で戦争に行ったものの出撃して、敵の船に突っ込めなくて捕虜になって帰ってきたオトコがでてきたりとか、そしてそのオトコは不幸なオンナの元愛人で、オンナをカネのために殺された/または死んだ金持ちのオトコに売った過去があって、オンナは戦争が終わってオトコに再会したときにその時の真実を聞き出そうとするが、それは結局ウソで塗り固められた戦争の中の小さな一つのウソに過ぎなかった、というような感じでオトコは自分の罪から逃げようとする。
それでもってその不幸な女は最初に書いたようにそういうウソからのがれられない限り生きている意味はないといって自分から死んでいく。かなりシリアス。。
そういうウソ社会の犠牲になったオトコはオンナに死なれて最後に叫ぶ。ウソを一番多く重ねていった国が世界を支配する、と。このセリフがこの芝居の一番の肝だ。

脚本と演出のロバート・アラン・アッカーマンはアメリカ人でベニサンピットあたりを拠点にしてワークショップをやりつつこの劇団を旗揚げした。日本を題材にしてはいるがやっぱり敵はもはや用無しとはいえあのブッシュだ。
どん底の中に光を見る、というか、不幸なオンナが最後に死んで自由になる、みたいな空気が漂っていた。

NHKの、たぶん土曜の朝のhi-visionでやるようだが日時は不明。三国ジン、とか、放送禁止用語をどうするのか、今から見もの。
2008.11.3 三軒茶屋・世田谷パブリックシアターにて