老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

高橋哲哉 判決を「異例」にせぬために

2006-10-01 17:03:03 | 評論
国民性とか民族性とかは実際に存在するもので、また、簡単に消えるものではない。最近ヒットした日本映画をみても、結局は戦争で死ぬことを美化しているから、日本人が戦争好きな民族であることは否定しようがない。
だから先日の国旗・国歌訴訟の判決も、どうせ控訴すれば石原東京都が勝訴するのは明らかと思われている。

そんな空気の中で高橋哲哉東大教授がこの訴訟に関連して、教育勅語に十分な拝礼をしなかったとして教育の場から追放された明治24年の内村鑑三不敬事件を例に挙げ、今の日本が100年以上も前の時代に逆戻りしていると指摘している。
今回の判決に関しては、石原知事の、バカな裁判官もいるもんだ、的コメントを、ジミン党政権お抱えマスコミが繰り返し垂れ流したことで、判決が「異例」で「画期的」で「歴史的」なものであることをコクミンに印象付けることに成功しているが、高橋氏は現憲法や現教育基本法に極めて忠実な判決として評価している。
しかし、わざわざ「現」と書いているのは今まさに、アベ政権がそれらを改変しようとしているからで、そのことに対する危機感に直面してわれわれに何ができるのかと高橋氏は問いかけている。

小中学生が国旗に向かって直立不動で天皇を賛美する国歌を歌う。その声量を教員がマイクで測り声の小さな子どもを叱る。今の日本はそんな国で、総理大臣はへらへら笑いながら戦争に向かって突き進んでいる。
戦争で死ぬのは結局のところコネも金もない一般庶民であり、二世、三世が大半を占めるコッカイ議員共は高みの見物を決め込むというわけだ。
リスの目をした日本人は一体どこまでだまされれば気が済むのだろうか。

朝日新聞 2006年9月30日 朝刊より。