老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

散歩道に咲く花

2015-09-25 11:35:56 | 俳句
山萩                             いたどりの花  

散歩コースに咲いている花。
山萩 と いたどりの花 は、高速道路を見下ろす、ヘンスに絡まって咲いている。ヘンス越しに下を見ると、凄いスピードを出した、様々な車が走っている。近くのインターから、高速に乗ると、一直線で 東京でも、九州にでも行ける。
山萩は高速道路のヘンスに沿って、咲いている。植えたのだろう。いたどりの花は、所どころ、萩の隙間を縫って咲いている。車の排ガスに負けぬ、生命力を持った花たちだ。

      ☆   風立つや風にうなずく萩その他   楠本憲吉

      ☆   虎杖の花昼の月ありやなしや   高浜虚子

田村草

この散歩道を何年も歩いていて、初めて田村草をみつけた。色は少し薄い。日当たりが悪いのかも知れない。蝶々を目で追っていて、止まったのが、田村草だった。

      ☆   田村草触れて棘なきこと確か   稲畑汀子

山牛蒡の花                        釣鐘人参

山牛蒡が花から実になろうとしている。濃い紫の実?が美しい。艶々と光っている。
山牛蒡の花は、夏の季語。秋は季語としては見当たらぬ。
釣鐘人参は紫の鈴のような花を付ける。散歩をしていて、この花を見ると 秋を一番に感じる。


     ☆   釣鐘人参など咲き山に還る畑   須並一衛

     ☆   山牛蒡咲き鶏が長く鳴き   冨山いづこ

白まんま

赤のままは良くみるが、白のままが群生していた。さみしい白のままの花は時々見かけるが、群生していると、秋の風情がなくなる。

      ☆   老いぬれば無性に親し赤のまま   山口いさを 



        追ひゆける蝶の止まりて田村草
        田村草旧知の友に逢ふたごと
        トンネルを掘る音のする田村草
        遥か海見ゆる山の辺田村草
        そのかみの座禅石あり田村草

田村草を見つけたうれしさの吟行句?それとも散歩道句?心が躍ったことは確かである。
 
        


 

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酔芙蓉

2015-09-24 11:50:05 | 俳句

この 酔芙蓉は、鳴門市にある、びんびや と言う、活き魚料理店の店の横に咲いている
10年前までは、もっと、美しかった。店を建替えて、酔芙蓉も植え替えたらしい。駐車場のすぐ、傍らに咲いていたので、手にとるように近くで見ることができた。
今回、食事がてら、酔芙蓉が咲いているだろうと、楽しみに行った。
花は、石垣の上にあり、近くで見ようとしても、どこからも、良く見える場所は無い。石垣の下から、見上げやっと、写真は撮ることができた。
記憶の花は、白は真白で一点のかぎりも無い。酔って、紅くなりかけた花がそれこそ、薄紅から、濃い紅まで、何色か同じ木に咲いていた。
写真で見ると、白に見えるが、ほんの薄く、桃色ががり、白芙蓉とは言い難い。しぼんでしまった花が濃い紅色で、酔芙蓉の名残りかと思える。

      ☆   おもかげのうする々芙蓉ひらきけり   安住 敦

      ☆   呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉   長谷川かな女



いつも散歩で行っていた、小さい牧場が、トンネル工事で、車の出這入りも騒がしく、近寄ることができなかった。一段落したのか、10日くらい前から、通行止めの立看板が無い。
ポニーちゃんに久ぶりに逢おうかと行きかける。となんと道野辺に酔芙蓉の花が。
こんな場所に有るとは何年も歩いていて気が付かなかった。



莟は、まことに白い。外の花びらになるのが、薄いピンクで、酔芙蓉になりますと主張しているかに。
もう少し、大きく開きかけると、外側の花びらはピンクの部分が多くなってくる。



開ききると、こんなに美しい紅色にだ。
八重十重に花びらが重なっている。
一本の木で、この変化をみることができ、ポニーに逢うのは次の機会にして、酔芙蓉を満喫した。

      ☆   ロゼといふ色に出でたる酔芙蓉   後藤比奈夫

      ☆   存へて浮世よろしも酔芙蓉   森 澄雄

      ☆   北京にも横町ありて酔芙蓉   塩川雄三




        かた翳りしたる山家の酔芙蓉
        酔芙蓉エクレア好きな兄妹
        海に向く魚魂碑ありぬ酔芙蓉
        潮風に曇る鏡や酔芙蓉
      


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書くことが無い時は~

2015-09-23 09:44:20 | 俳句
     

書くことが無い時は 梅子先生、鑑賞。梅子さんが名誉主宰になっている、句誌の表紙に抜粋されている句から。


    ☆   蝋涙の左右等しき虫の闇

風のある場所では、風の方向で、蝋燭の炎も揺れ方が違ってくる。蝋涙も風と反対側がよくたまることになる。
虫の闇で、寺で一晩中 、燃えている、蝋燭なのか。
物、皆、息をひそめている真夜、虫の音がしげく聞こえる。風もない闇が利いている一句。

    ☆   桔梗に白瀬あかりのくらしあり

桔梗の紫 谷川の白 色の対比が鮮明だ。
山家の、不自由な暮らしの中で、平穏に時をやり過ごしている。その中に桔梗の咲いた喜びなども、見えてくる。

    ☆   半畳の立居秋水はるかとす

茶道を習っていないから、私には、この半畳がさてどこか見えないのだ。茶道にあるのか無いのかも知らないとして。
数寄者の、人生を達観した人物かもわからない。自然界には、又、秋が巡ってきた。
あの山や川は、さて今年も美しく照り輝いていることだろう。私はここに居りまする。昔の想い出を回想している。

    ☆   僧形のいくたり紛る芒かな

四国はお遍路の国。
諸国を巡るお坊さんも、幾たびかお四国詣りをしていることだろう。
芒原をお坊さんが行く。
ありふれた光景だが、梅子さんの手にかかると、一編の美しい詩となる。深い意味を読み手に憶えさすのだ。

    ☆   藻畳のうねりに佇てり秋渇き

秋渇きの季語の意味は、暑い夏は食欲も減退していたが、風もしのぎやすい秋となり、食欲も出てくること。
しかしこの秋渇きは心、胸の内なる渇き。
秋の川辺に佇んでいると、来しかたが走馬灯のようによみがえる。

梅子先生の句は、立派な句だ。深い土着に発した精神から生まれている。いたずらに、梅子先生の表現を真似ている、結社の人がいるが、梅子先生にはなれない。言葉がうわ滑りしていることに気がつかなければならない。


     *   突と鹿ヘッドライトに母郷かな
     
     *   鹿鳴けり夕べの影おく東大寺
     
     *   老人の日の我儘をやりつくす

女史の句の作り方から、私の句ははるかに遠くなった。
平明で子供が理解できる作句に励んでいる。


    
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樹胎仏

2015-09-22 11:12:52 | 俳句

      ☆   秋岳ののび極まりてとどまれり   飯田龍太
     

      

例句 を読んでいると、スケールの大きい句。比喩のおもしろい句。日常生活の中からの呻吟。楽しい句が沢山ならんでいる。龍太はさすが、山の人。良く見て、良く呑み込んで、立派な句だ。


縦 60~70センチ。横50センチくらいの大きさ。
縦にすると 山 のタペストリー。横にすると 魚 に見えるタペストリーだ。
秋の山のように粧った山とは言いがたいが、しっくりと、落ち着いた色あいの、タペストリーだ。



絹地の布で作ったから、あまりスッテッチは、皺がよるから、かけないほうがいい。最小限にした。重ねた 表と綿と裏 が動かない程度だ。
横にすると、魚。目に金色のボタンを付ける。




    ☆   木の洞に男を祀る芒種かな   藤田あけ烏


しりとり俳句をしていたら 樹胎仏 が詠まれていた。
私、樹胎仏 はまだ一度も見たことがない。
調べると、有難い、仏さまの姿を見ることができた。
あけ烏先生の句が咄嗟に浮かんだ。木の洞で仏さまが、鎮座しておられる句だ。仏さまでも、あけ烏先生のは、男の仏。男らしい先生と 芒種 の季語がしっくりとおさまって、ユーモアを感じる句だ。


  🍇    山寺や紅葉明かりに樹胎仏   みどり

  🍇    薄紅葉樹胎仏まで階高し   ミーコ

  🍇    こぬれ吹く風さはやかや樹胎仏   むめこ

三人のしりとり俳句だ。秋の季語をそれぞれよく纏めあげたと思う。




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秋の俳句  

2015-09-21 15:49:39 | 俳句
     ☆   水影の一笛沓と芒山   斎藤梅子        

難しくて、例句に書いたものの、さてさて。
水影を水影 や とすると、切れてしまうから、少し弱い の に表記したのか。遥かに聞こえてくる笛の音。沓は 笛にかかっているのか、それとも芒山にかかっているのか?どちらにしても、心象の風景は梅子さんの最も得意とするところだ。
沓は、木の下に日があることによって、日が西に沈んで、くらいの意味を表す、と新漢語林には書いてある。
夕べ、日が落ちようとして、暗くなりかけた芒の山へ、笛の音が聞こえてくる。湖か大河か、芒の波が水面に揺れて、淋しさを誘われた。梅子先生、こんな解釈でよろしいか?
        
     ☆   産土は潮闌くる夜の曼珠沙華

梅子さんの生まれた、阿波の海南の町。故郷は秋の盛り、道の辺には、曼珠沙華が咲いて、夜もすがら潮鳴りがする。海は人々に幸をもたらす宝庫だ。深眠りは明日の目覚めの希望にとつながっている氣がする。

     ☆   蜻蛉の目水平線を見て曇る

どうして蜻蛉の目は水平線を見て曇ったのですか。広い海原 を見て、雲をつかむような将来に不安を感じたのか。
蜻蛉の目は複眼で、上も下も左右も360度いつの時も見えるそうだ。
天と地のあういにいて、少年の心か?それとも蜻蛉がか?孤独が伝わってくる。

     ☆   船音の高きに登りつつ父郷

高きに登るは 茱萸の実を持って、小高い 丘や山に登る中国から伝わった重陽の行事。
丘に登りつつ聞く船笛。ここは自分が生まれた、故郷で、海辺の町だ。父母の懐にいる、安寧のひと時。こんな句が私は好きだ。

     ☆   秋の蚊をはたき唐人触れし壁

長崎での句。
山手に残る唐人を偲ばせる寺や家。又は、グラバー邸の壁か。壁は煉瓦の壁だと思う。
私も吟行の人達の末にいた。蚊を叩いた一瞬、旅の感慨にふけった。ここは長崎、蝶々夫人を思ったかも知れない。

俳句を始めた30年前に戻り、初心に。梅子さんの俳句に、時に取り組み勉強をもう一度と思う。
深い心象を理解できるやもしれぬ。
しかし、私の目指している、三つ子の童に理解させよと言うところの俳句とは句風が大きく異なる。。。。が。

ブログを始めたことを少し後悔。
句集など作る気はさらさら無い。その変わり、ブログでもと思ったのが、甘かった。
書き始めたからには、自分との、戦い。途中で、投げ出したくはない。いつまで続くやら。



      あるときは高くきりもみ鷹柱
      木末吹く風さわやかや樹胎仏
      テールランプ遠ざかる霧込めの駅

見たまま、新しい発見無し。ああオソマツ。







      
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