まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

漫然と晴れ間見ている雨蛙

2022年06月04日 | 時には日々是日

 4日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は18.5度から26.8度、湿度は78%から50%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の5日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、夕方から雨が降る見込み。

 

 収縮期95mmhg、拡張期58mmhg、脈拍80bpm、体温36.3c/酸素濃度97%/体重63.0Kg 室内気温22.3c/室内湿度56.7%/気圧1014hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:52分、日の入りは19:12分 月齢は4.6の中潮。

 

 今朝も4時起きで「遍路墓学」の資料作り。お墓の位置とその番号を地図上にプロットしていく作業。苦労して数字を丸の中に入れたけれど、印刷してみたらベタベタで読みにくいしわかりにくい。骨を折った割に報われなかった。

 

 かと言って作り直す元気はない。ま、雰囲気だけでよろしかろうわいと。そこまで真剣に読むほどのものではない。

 

 これがスマートウォッチからiPhoneに転送されるデーター。よく実測と違うやないかい・・と言われるのだけれど、時間差というものもあるし、体だって生きて動いているから数値なんぞ安定しないものだ。それだし、同じ機械で、同じ時刻に計っていれば、自分的には安定しているとわかるもの。

 

 こちらがブルーツースからiPhoneに転送されるデーター。自分で自分の数値を見ていると、変化があれば「おかしいぞ」と思うものだ。ちなみに、今朝、起きたときの体重は、65.1Kg。「ありゃりゃ・・」と思ったけれど、それからトイレに何度か通っていると、お昼前には63.0Kgになった。夕方には62.6Kgくらいにはなりそうな予感。私の場合は水分管理の問題だけだ。

 

 で、データー修正なんぞをやりながら試験印刷。ページあわせをしながら部分校正。編集上のチェックもしながらの作業が続く。

 

 奥方はお休みだから朝早くから畑仕事に余念が無い。亭主が呼んでも返事もせん・・・。だから、私も今日は休養日。家の周囲の草刈りや庭木の剪定も一段落。ゴミ出しに出かけようとすると、「どこに行くの?」というのだから、家からは出られない。

 

 ここがサルの監視台。ここから双眼鏡で監視する。正面に大きなクワの木がある。そこに今頃はクワの若芽や桑の実がついているらしい。それを狙ってサルの軍団がやって来る。しかしのかかし、ここにはカラスの巣もあるものだから、サルとカラスの争奪戦が繰り広げられるとうるさくて騒がしくて・・・。

 

 これがサル撃退セット。このピストルは音でサルやカラスを追い払うもの。あんまし役には立たない。

 

 これが新兵器のロケット花火発射装置。ロケット花火を3本セットする。

 

 で、下からライターで着火して桑の木を狙い撃ちする。三連発を連射したらサルもカラスもいなくなる。しばらくだけれど。

 

 こういう花火はおもちゃ屋やスーパーでは売っていない。ホームセンターの害獣対策コーナーにある。だから、これはおもちゃではない。先のピストルだって同じ事。ホームセンターの園芸コーナーなんぞにあったもの。

 

 今日のお昼はおそば。先日の「自然薯そば」である。今日はつめたくしていただいたが、室外は30度近いのに、我が家の台所は北向きの西側だから日当たりは悪いし北風の通り道で肌寒くて肌寒くて・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。町内の善楽寺さんにあったもの。「その人の都合でよい雨 わるい雨」というもの。昔、「泣きばばあ」という話があった。そのおばあさんには、二人の子供がいた。一方は、傘の職人になった。もう一方は、帽子の職人になった。そのおばあさんは、晴れると、「ああ、傘職人の息子の商売が悪い、、、」と嘆き、雨が降ると、「ああ、帽子職人の息子の商売がだめに、、、」と、嘆くのだった。真逆に考えれば、人生は楽しいのに。しかも、悪い環境からは、改良や改善が生まれるのに。物事には、良い悪いどちらもない。起こったことに、「良し悪し」や「幸・不幸」といった感情をつけるのは、いつもその人自身なのだ。という話だった。人生、「笑いばばあ」、「笑いじじい」でいきたいものだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


アマリリス妙に寝不足大あくび

2022年06月03日 | 時には日々是日

 3日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は18度から29.5度、湿度は84%から50%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の4日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 収縮期109mmhg、拡張期65mmhg、脈拍80bpm、体温36.3c/酸素濃度97%/体重63.8Kg 室内気温19.8c/室内湿度56.5%/気圧1010hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:52分、日の入りは19:12分 月齢は3.6の中潮。

 

 ふっと気がつけば、「遍路墓学事始」の概説部分の原文が消えている。あちらこちらと探してみたけれど見つからない。幸いにも、それを印刷して試験製本した原稿が残っている。それを見ながら、再度、入力しなければならないのだが、スキャナーという優れものがある。

 

 これで一枚ずつ読み込んで文章化する。それをコピペで原稿に仕上げてゆく。慣れれば、十数ページくらいはあっという間に復元できる。それを朝の4時から6時半までやっていた。6:30分からはラジオ体操。病院のリハビリ担当ドクターからの勧めである。もう、半年以上もやっているのでクセになっている。それが終われば作業服に着替えて、今日も「植木屋」さんに変身する。

 

 部屋にいる時には作務衣でのんびりとしているのだが、作業服に着替えて安全ベルト(専門用語で胴綱)を締めると気分的にシャキっとする。植木屋さんだからヘルメットまではいらない。

 

 昨日の剪定分だが、奥方に褒めてもらえると思ったら「切り込み過ぎよ。秋ならともかく夏場だから枯れてしまうよ」とお叱りを受けた。これでも控えめにしたつもりなのに。秋から冬にかけては葉っぱが呼吸しないから大きく切り詰めるのだが、今回は多めに葉っぱを残したつもりだけれども。

 

 今日のターゲットは、この2本の椿の木。右はバラだから少しでも切ったら大目玉をくらってしまう。触らぬバラにたたりなし。

 

 で、こんなものにしておいた。ずいぶんとさっぱりとしたではないか。

 

 これで今回のツバキの木、3本の散髪はおしまい。切った枝や葉っぱが乾いて軽くなったらお片付けするが、当分はこのまま乾燥させておく。生の枝や葉っぱは水分があるから重いのだ。

 

 植木屋さんが終われば、そのままのスタイルでホームセンター巡り。電気工事用のコンセントとか、靴の修理用の接着剤とか、バラ園用のホウキやレーキーなんぞも仕入れておく。で、今日のお昼は「冷麺」だが、同じような冷麺だが、中身は「そうめん」。例の徳島の半田そうめんを冷やしラーメン風にトッピングしてみた。

 

 午後からは奥方の靴の修理である。若い頃には別荘だ、クルーザーだと豪勢な暮らしをしていたのに、最近は壊れた靴でも「直してちょうだい」という始末。これだって、何度も修理したのだけれど、材質が古くなって、すぐに接着剤が剥がれるのだ。

 

 そこで、丁寧にヤスリがけをして汚れや古い接着剤なんぞを削り落とすことから始める。ヤスリもプラスチック製のヤスリである。

 

 その後、セメダインを塗ってしばらく乾燥させる。10分か15分くらい乾燥させてから接着する。この一手間が大事になってくる。

 

 で、接着したら、大型のクリップなんぞで固定して12時間から24時間置けば大丈夫だと・・・思う・・。かな。

 

 お昼からは、マシン室の気温が30度を超えたのでエアコンを入れた。エアコンを入れると、今度は寒くなってくる。ややこしい時期だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は苦労している時が花かもしれない」というもので、いつもの町内の善楽寺さんのお寺の掲示板から。どこの誰の言葉かはわからない。出拠出典も書いてくれたらありがたいのだけれど。「苦労の多い人生」と「苦労の少ない人生」。「どちらか選べ」と言われれば、大半の人が「苦労の少ない人生」を選ぶはず。できるだけ苦労なんぞはしたくない。人生を選べるなら、大半の人が苦労の少ない楽な人生を選ぶはずだと思う。では、1つの苦労もない人生がいいかというと、それはそうでもない。苦労した経験がないと、なかなか人は成長しないもの。体は成長しても、心の成長は停滞したまま。人の話を聞いても、きちんとイメージできないため、共感しにくくなるし、また自分が話す言葉にも、共感が得られにくくなる。苦労していない人の話は、的外れだったり非現実だったりして、なかなか心には響かない。苦労を経験するのはつらいけれど、一度も経験ないのは、もっとつらい。苦労の少ない人生は、楽かもしれないが、薄っぺらいのだ。人生は何のためにあるのか。人生は「あのときは本当に大変だった」と言うためにあるのだと思う。たしかに苦労をしている最中は大変かもしれない。肉体的にも精神的にも苦しく、早く抜け出したいと思うばかりだろう。しかし、一度地獄のような苦労を経験しておけば、後が楽になる。「あのときに比べれば大したことない」と思えるようになるからである。一度でいいので「あのときは本当に大変だった」と言えるくらいの苦労を経験しておくことだ。「平凡な日常に感謝」「生きているだけでありがたい」と思えるようになるなら、地獄を経験したことも価値があるというもの。「人生は苦労している時が花かも知れない」「あのときは本当に大変だった」と言うために、今の苦労を乗り越えたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


釣鐘草つまらぬ噂聞かぬふり

2022年06月02日 | 時には日々是日

 6月2日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は15.5度から27.4度、湿度は68%から50%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の3日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 収縮期98mmhg、拡張期63mmhg、脈拍80bpm、体温36.5c/酸素濃度97%/体重63.6Kg 室内気温19.4c/室内湿度56.8%/気圧1010hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:53分、日の入りは19:11分 月齢は2.6の大潮。

 

 今朝方、4時前だったかにラジオ深夜便、「にっぽんの歌こころの歌」で、飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」が聞こえてきて目が覚めた。私が中学二年のころに、クラスの女子が盛んに歌って大騒ぎしていた歌だった。あれから60年かぁ・・。頭の中で歌っている自分がいた。おかげで今朝も早起きだった。

 

 さて、いよいよ6月。今年は梅雨の話題も聞こえてこないが、そろそろ梅雨入りしてもいい頃だ。それを前にして雨樋の掃除が気になっていた。少しばかり雨が降ると、雨樋があふれてこんな状態になる。我が家は山の中だから落ち葉が降ってくるので、この時期には雨樋に落ち葉がたまる。

 

 若い頃には、こういう鉄塔にもスイスイと登れたのだが、

 

 今はこれだけのハシゴが怖くなってきて足が震えて登れないのだ。でも、そうは言うても、誰も雨樋の掃除なんぞはやってくれない。だから奥方のクレームが来る前になんとかせねばと勇気を出した。

 

 案の定、こういう感じで雨樋に落ち葉が溜まって詰まって雨があふれるのだ。若い頃は平気で両手が使えたのだが、今はこわくて、左手は電力さんの金物をしっかりとつかんでいる。だから右手だけで雨樋の掃除をしなければならない。この雨樋の中は腐った落ち葉が詰まっている。ごそごそしていたらムカデが出てきて「こんにちわ」には目が点になった。それでも素手で落ち葉を掻き出すしかない。

 

 こうして、どうにか落ち葉掃除は終わったのだ。ムカデも一匹だけですんだらしい。

 

 西側の雨樋も同様に掃除を済ませた。これで梅雨でも心配ない。

 

 時間が余ったので、先日に奥方が「天が甘いわよ」と言われたものだから、このツバキの木の剪定をやることにした。ここは低い場所なのでハシゴ上でも怖くはない。剪定だって偉そうに言うけれど、全くの自己流の「まほろば流」。

 

 切り刻んで切り刻んで、これだけになった。

 

 山から胞子が飛んできたものか、我が家にシダが茂ってきた。奥方が切ってもいいわよ~と言ったので刈り払うことにした。

 

 こういう長い柄の鎌でなぎ払うのだ。数日したら、刈った草が乾いてくるとすっきりとすると思う。

 

 今日のお昼は珍しく玉子かけご飯ではない。アジの姿寿司という奥方の十八番の作品。それにしては見栄えが悪い。

 

 本当は、こういう感じになるはずだった。奥方も忙しいらしいのだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「できるからやるんじゃない やるからできるようになるんだ」というもの。いつもお世話になっている町内の善楽寺さんの掲示板から。久保ひろしさんの「やるからできる:人生を劇的に変える思考法」から。物事に、最初からできるものはない。少しずつ、こつこつとやり続けているから、立つ ことも、歩くことも、走ることも、お箸を使うことも、鉛筆を持つこともできるようになった。やってきたからできるようになったのだ。これからもそうだ。できることをやるのは当たり前だ。できないことをこつこつとやり続けていたら、できないこともできるようになるのだと、久保さんは教えてくれた。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


梅雨ま近宿題ばかりの荷が重い

2022年06月01日 | 時には日々是日

 6月1日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていたが、高気圧に覆われて夕方から晴れるらしい。気温は15.0度から26.4度、湿度は78%から58%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の2日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 収縮期103mmhg、拡張期63mmhg、脈拍80bpm、体温36.3c/酸素濃度98%/体重63.7Kg 室内気温19.4c/室内湿度55.7%/気圧1012hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:53分、日の入りは19:11分 月齢は1.6の大潮。今日は肌寒ような感じの一日になった。

 

 スマホを入れ替えたら、今までのスマートウォッチを認識しなくなって、またまた、新しいスマートウォッチを買った。「そろそろ、Apple Watchにしたら?」と言われるが、アップルウォッチには血圧計なんぞないのだという。私には音楽機能や録音機能やLINEやらメールなんぞは必要ない。健康管理ができればいいのだ。

 

 これは奥方の畑の害獣鳥除けのネットである。でも、強風や雑草やらでネットの役割をしなくなっている。私の入院騒動やらその後の安静やらで、修理しようにもできずに三年が経った。その間には応急処置やら仮修理やらでしのいできたが、キュウリやナスなどが大きくなってくると安心できなくなってきた。

 

 奥方が「また、サルに食べられたのよ!」と言われる前に、なんとかせねばと、この前から畑の周囲の草刈りを少しずつやってきた。今日は暑くも無い曇り空だったので、元気をふりしぼって修理することになった。

 

 このあたりでは、サルに根負けして野菜作りをあきらめてやめてしまったが、うちの奥方はがんとして野菜作りをするのだと頑張っている。そこで、数年前から、こういう「猿落(えんらく)君」という防護策を取っている。支柱がしっかりとしているとサルは網を乗り越えてしまうが、支柱がやわらかいとぐにゃぐにゃとして登れなくなるそうな。

 

 そういうことで、支柱の上に細いポールをしばりつけて、そこにネットを張ってある。こうすれば、サルはネットに登ろうとしても外へネットが折れ曲がって登れない。さらに畑の上には防鳥ネットを張ってある。こうしておけば、カラスも入れないしサルも入れないという防御策。

 

 できることからコツコツと。できないからと眺めていても物事は進まない。無駄なことだと諦めたら、そこで物事はおしまい。無駄でもやってみる。やってみてだめだったら考え直せばいい。失敗は成功の母だ。

 

 いつまでもつかわからんが、一応のネットの修理が終わったので、高額医療費の請求をしておくことにした。最近は入退院がないので医療費の出費も少ない。だから、支給される額も少ないが、年金受給者にはありがたいので手続きをすることにした。

 

 それを持って、市役所で手続きをしてきた。

 

 担当は国保係である。私も慣れた書類だから間違いはない。だから、事務の担当者の対応も早い。たかだか数千円なんだが、ありがたいことだと早々に処理を済ませてきた。

 

 今日のお昼は、昨日の奥方へのおみやげに買った「自然薯そば」である。これは2分間、ゆでればいいのだそうな。

 

 で、今日は肌寒いから「月見かけそば」にしてみた。玉子が潰れてしまって見栄えが悪くなったが、味には関係ない。夏らしくスイカものせてみたが、お出汁がスイカにしみて甘くなってまろやかになった。

  

 今日のデザートは、いつものガリガリ君九州みかん味である。今日は肌寒いから、少しばかり身震いしたぞ。

 

 今日の掲示板はこれ。「昔はなにもなかったがなにかがあった 今はなんでもあるがなにかが足りない」というもの。今、思い起こせば、昔はそれこそ何もなかった。着る物も、食べるものも、遊ぶ物も。それでも、みんなは貧しいとも飢餓だとも思わなかった何かがあった。今は物に溢れ、食べるものに溢れ、遊ぶ物も学ぶ物もなんでもあるが、こころを満たしてくれるような何かが足りない。このことばは、真宗存明寺の酒井義一さんのお寺の掲示板から。【酒井義一】さんは、1959年、東京都生まれ。教団では、同朋会館教導・ハンセン病問題に関する懇談会委員・青少幼年センタースタッフ・被災地支援活動などを務める。存明寺では、樹心の会・こども会・青年のつどい・グリーフケアのつどい・子育てサロン・こども食堂などを行なっており、親鸞聖人の教えを学ぶ場作りに心を尽くしているそうな。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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