まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

朝ぼらけ高砂百合の寝ぼけ顔

2021年08月21日 | 時には日々是日

 21日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は23度から28.6度、湿度は84%から74%、風は1mから2mの南東の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方は、引き続き湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所がある見込み。

 

 114/64/79 36.2c-99%-62.4Kg 25.0c-83%-1015hPa 体調に変化はない。体重も安定している。食欲も普通。最近はなぜだか右耳が詰まったようで聞こえが悪いが、耳鼻科のドクターの話では「お年ですから・・・。補聴器が必要になったら、また、来て下さい」とのこと。補聴器を使ってまで会話するような必要もない毎日。

 

 奥方は「血を三本も抜いたから楽になった・・」と言うていたが、今度は足が腫れてきてきた・・・ということで安静中。働きものだから、しばらくは公休で休んでいればいいと思う。

 

 昨日、島の家のガラス戸の見積書ができあがってきた。やっぱりなぁ・・と思う金額になった。保険金でいくらバックされるかが楽しみと言えば楽しみだし、やや、不安も湧いてくる。「全額は出ないこともありますよ」と言う一言が重かった。

 

 これは、台風とは関係ないのだが、島の家の給湯器が壊れたので、それを相談したらばエコキュートにするしかないということになった。島にはガス屋さんがなくなって、ガスの補填ができないからで、今度は電化ということでエコキュートになる。それに連れて、ガスコンロもIHにしないといけなくなった。

 

 

 だから、両方で200万円近くになる。でも、お湯がわかないとお風呂にも入れないし、ガスがなくなれば炊事もできなくなる。仕方がない出費だとあきらめるしかない。で、来週にでも、頭金の80万円を振り込んで下さいと言う。頭を抱えるばかりだが納得するしかない。工事が終わればその残金を振り込むことになっている。あとは、保険金がいくら振り込まれてくるか・・・である。

 

 あれこれと考えても仕方がないので、私は私のお仕事に戻ることにした。私のブログのタイトルは「俳句風」になっている。気づいていないかもしれないが、俳句風になっている。そのタイトルを集めてくれば「俳句集」ができあがるという寸法で、これまでに五冊の俳句集ができている。

 

 こんな感じの俳句集になっている。

 

 それを印刷製本すると、こんな風になる。

 

 最初の頃は、「ああ言えばジョウユー(ああ言えば、上祐)」というギャグが流行ったので、「ああ読めば、こう読む」というタイトルで、義父の俳句に私が答えるという形式だった。その義父もなくなって久しいから、最近は「はいくる・じぃじぃ」というタイトルになった。「俳句をする」で「はいくる」である。「じぃじぃ」は文字通りの「爺爺」である。

 

 で、印刷ができたら、和紙で表紙を作る。白いものは、A4版の用紙を二つ折りのA5版にしたもの。真ん中の隙間が本の厚さである。

 

 そこにまた、A4版二つ折りを貼り付けて「扉」を作る。

 

 そこに印刷製本された本体を載せてのり付けすると・・・、

 

 こういう本ができる。

 

 そこに「題簽(だいせん)」を貼り付ければ完成である。

 

 こういう俳句集が簡単にできあがると言う寸法である。

 

 今日の掲示板はこれ。「仏教は都合よく生きられたら幸せだという夢から覚める教えです。仏教は不安を取り除くのではなく不安に立つ教えです」というもの。どこの誰の言葉かはわからなかった。安田理深先生のことばかも知れない。

 安田理深先生の自宅が火災にあった時のエピソードを以前読んだことがある。隣家から延焼して、学者の命ともいうべき重要な蔵書やノート類がすべて焼けてしまったという。普通の人間であれば計り知れないほど大きなショックを受けたことだろう。しかし、安田先生はこのように書いておられた。

 「「焼かれた」のでもない。「焼いた」のでもない。ただ「焼けた」と。そうすると事実を事実のまま受けていけるのではないか。自も他も損なわんで済む。こんなことを今度の火事で学んだ」という。しかし、私たちは起きたことのショックが大きければ大きい時ほど、それによって自分や他人を呑み込むような思いにずっと引きずられてしまい、その苦しみから離れることが難しくなってしまうもの。仏教を学んだからと言って、都合よく生きられるわけでは決してない。好むと好まざるとにかかわらず、生きているとさまざまな災いが必ず降りかかって来るもの。むしろ、目の前で起きた辛い出来事を「師」とし、「先生」として、そこから学びや対応の仕方を考えさせてくれるのが仏教という教えであり、この世界に生きていると、葛藤や不安が完全におさまることは決してない。災いや不安・葛藤を前にした時、仏教にヒントを求めて、命ある限り謙虚に学び続けていく姿勢こそが大切なのではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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