まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

秋晴れに 歴史を知らぬ 曼珠沙華

2017年09月18日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、台風一過、高気圧に覆われて晴れていた。気温は23.0度から27.9度、湿度は78%から64%、風は3mから1mの西の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 大きな台風だと言われた割に、このあたりでは、そんなに大きな被害も見聞きしなかった。我が家も少しの被害もない。

 

 明日(9月19日)が前山出勤の日だというので、提出用の「大窪寺ガイドマニュアル」の正式版を作っていたが、作るたんびに、様式が少しばかり違ってくる。認知が進んできた物か、手先の感覚が鈍くなってきた物か。作るたんびにページ数が違ってくる。

 

 この「仏教語辞典」は無駄だから、本編の中に組み込んだらどうか・・という気になってやってみたら、これがまた、ページ数が会わなくなってくる。とんちんかんな私になったものだ。

 

 同行さんは10時半集合でお願いします・・ということだったので、10時半に来たら、まだ、誰もいなかった。ご遺族さんは二階の控え室とかでお食事をしているらしかった。「たちはの飯」とかいう、故人さんと最後のお食事らしい。

 

 故人さんの娘さんが、小学校、中学校の同級生だったので、「みっちょちゃんのお母さん」くらいしか記憶がない。10年前には自治会も違っていたこともあるし。

 

 昨日には、こういうことで、「ご香典は受け取らないように・・・」ということで、受付のお仕事はいらない・・ということだったのだが、「議員さんは受け取って、氏名を確認すること」、「親族は喪主宛にお香典を渡すように」、「喪主は忙しいので、親族は受け取って記帳すること」といかと、いろいろ変更になったが、受付で、「おたくは親族ですか」などと一線が引けなくなった。

 

 一般の方でも、「母の時にお香典をいただいたのに・・」とかと言われるとどうしようもない。

 

 結局の薬局で、親族以外の方もお香典を頂くはめになってしまった。開式は12時少し前。ここも名家と言われていたおうちだが、家族葬とか「小さいお葬式」とかで、会社関係には知らせないとかで、数十名ほどの参列者だった。喪主が年金生活者だと、小さなお葬式にするしかない傾向にあるらしい。

 

 皆さんが斎場に出掛けた合間に、葬儀社の若い方のお話を聞いたところでは、だんだんと、小さくなっていく傾向にあるらしい。お生花とか盛りかごの数も減る傾向にあるし、お坊さんの数も減らすし、院号も求めないとか、エコな葬儀を望む傾向にあるとか・・。

 

 こういった、初七日引き上げのおつとめも、「エコ化」なのかも知れない。15時半だった。

 

 その後の「精進あげ」のお食事もムダを省くように綿密な計算と消去法が必要とのこと。余っても困るが足りなくて失礼しても困るので、遺族分は手を付けないで、余ったら食べるようにするとか・・。年金が少なくなる一方なのだから、葬儀費用をいかに切り詰めるか・・そこがポイントらしい。お寺さんにはお寺さんの言い分があるのだけれど。今日は黙って聞いていた。

 

 「ご遺族のみなさんもお疲れでしょうから・・」ということで、私たちは早々に失礼したことだった。16時少し前だった。

 

  今日の掲示板はこれ。「与えられた場所に生きる意味を見つけない人は、どこに行っても満足はない」というもの。「やりたい仕事が見つからない」とか、「こんな仕事をやるためにこの会社に入ったんじゃない」とか、そういう声をよく聞くのだが、目の前にあるものをまず はきちんとやるべきで、「生きる意味」とか、「仕事の意味」とかは人に教えてもらうものではなく、自分で見つけるしかないのである。自分の置かれている環 境に対して文句ばっかり言っていたって、何も解決はしないし、自分の人格を下げるばかり。だから、今自分にやれることをやる。自分で居場所を作って、自分 で生きる意味を見つけるしかない。シンプルだけど、生きてくってそういうことの繰り返しなのだと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。



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