まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

旅に出て 生きる苦労に 満ちる秋

2016年11月12日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 香川県地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は今期最低の8.1度から17.9度、湿度は90%から62%。風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の13日は高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、気圧の谷の影響で夕方から雲が広がる見込みらしい。

 

 ご案内の通り、今日は三豊市から観音寺市、さらには山本町という香川県西部の旅である。9時49分だかの列車で一行がやってくるというので、JR本山駅に着いたのが午前9時前。わが家を7時過ぎに出て、綾川町・丸亀市・善通寺市・高瀬町などを経由して、ふと、気がつけば目の前に、この駅があった。

 

 本山駅(もとやまえき)は、香川県三豊市豊中町岡本にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅で、観音寺駅と比地大駅の間にある駅である。駅番号はY18。現在は無人駅となっている。

 

 10時前になって、今日の参加者12名が到着した。で、一行は、ここから歩いて、70番札所の本山寺に向かう。

 

 10時開店の「駅のうどん屋」に入ってみた。駅の事務所を改装してうどん屋をやっているが、時間的な問題なのか誰もお客がいない。これも経験だと思って入ってみた訳。かけうどん小200円にちくわの天ぷらが90円。何の評価もしない。

 

 私がうどんを食べている間に、一行は本山寺寸前まで歩いて居た。ここから本山寺は目と鼻の先。

 

 本山寺(もとやまじ)は香川県三豊市にある高野山真言宗の寺院で、詳しくは、七宝山(しっぽうざん)持宝院本山寺という。開山は空海(弘法大師)と伝えられる。鎌倉時代再建の本堂は国宝に指定されている。本尊は馬頭観世音菩薩。四国八十八ヶ所霊場第七十番札所である。

 

  五重塔は1896年(明治29)年着工、1910年(明治43年)完成、2015年9月17日解体修理着工して、現在、平成の大修理が行われている。

 

 これがかつての五重塔である。これも塩飽大工の手になるものと聞いた記憶がある。

 

 本山寺が10:15分ごろから10:30分。その後、69番・68番札所を目指して歩く。このころは気温が上昇してきて汗が流れて、セーターなんぞを脱ぐことになる。

 

 ここは、珍しい「一山二霊場」ということで、観音寺(かんおんじ)と神恵院(じんねいん)が並んでいる。明治の神仏分離の影響であるという。今から1300年ほど前に、日証上人が琴弾八幡宮の別当として創立。国の重要文化財観音寺金堂がある。大同年間弘法大師が7代住職の時、本尊 聖観世音菩薩をはじめ諸像を安置し、七堂伽藍を建立して観音寺と改める。

 

 四国霊場88ケ所の内、琴弾八幡宮が68番札所、観音寺が69番札所であったが、明治初年の神仏分離で、西金堂に移して神恵院の本堂とし、68番札所としたため、四国霊場で唯一の珍しい1山2霊場となった。

 

 ここの鐘楼が珍しい。重厚な彫刻が施されているが、お寺の紹介などでもあまり詳しくは述べられていない。

 

 「寺cafa&遍路グッズ 梧桐庵」はお寺の境内にあって、最近にできたもののよう。参拝客でなくても気軽に行く事ができるらしい。メインはうどん屋ということだが、寺カフェらしくぜんざいやソフトクリーム等の和スイーツも豊富で、京都の湯葉を使った珍しいメニューもあった。湯葉カレーはお肉のカレーよりあっさりしておいしいらしい。

 

 で、ものはためしと、かけうどんを食べてみたが若い人好みかも・・・。ここも評価はしない。

 

 今日はこれだけ歩いたらしい。私は車で走っただけだったけど。

 

 今日の納めは67番大興寺。ここには、天台大師堂と弘法大師堂と二つの大師堂があるので有名。ここには15時半に到着して16時にここで解散になった。今回はリタイアも事故もなく完了。わが家には17時半に到着した。

 

 今日の掲示板はこれ。「掃けば散り 払えばまたもちり積もる 人の心も庭の落ち葉も」というもの。僧侶にとって、庭の落ち葉を掃くことは、自分の心を掃き清めることに通じるという。釈尊の弟子に、シュリハンドクという者がいた。ものを覚えるのが苦手で、一説には自分の名前さえ覚えられなかったという。そんな彼に、釈尊は「きれいにしましょう(塵を払わん、垢を除かん)と教えたという。シュリハンドクはひたすら庭掃除に励んだことである。あるとき、彼は、庭掃除が自分の心の掃除に通じることを悟るのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。