まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

雨の日は 読書三昧 南無阿弥陀

2019年07月14日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で概ね雨となっていた。気温は22度から23.5度、湿度は96%から92%、風は1m程度の風が少しばかり。明日の15日の香川県は、湿った空気の影響で曇るが、昼前からは高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 109/53/58 36.3c-92% 63.4Kg 1000hPa,26c,72% 体調に変化は無い。それにしても、今年の梅雨前線も落ち着いてゆったりとしているものだ。これでは夏の高校野球が進まないではないか。

 

 それにしても梅雨らしい梅雨である。こういう雨では何をしようかという元気も出ない。

 

 私はトイレタイムが長いので、こういう本を眺めているのだが、その中に、「利剣名号」という言葉が出てくる。

 

 利剣名号というのは、文字の字体が鋭い剣の先のように書かれた「名号」である。「お名号」を「おなご」と読んだ日蓮宗のお上人さんがおられたが、「おなご」ではなくして「おみょうごう」である。

 

 こういう書体の名号である。で、この左下の文字であるが・・・。

 

 空海という字と手印がある。これを、「空海の利剣名号」というらしい。後醍醐天皇の元弘元年(1331)に天災飢饉、疫病で多くの人が亡くなったとき、後醍醐天皇の御下命で知恩寺八世の空円が百万遍念仏の修法によって鎮めた。その効験により、伝空海作の利剣名号と知恩寺の勅額を賜った。百万遍念仏の効験を具現化した初期の利剣名号で、百万遍念仏の本尊として祀られたことから、金箔押しや金泥で表現されているものが多く遺されている。

 

 現在でも、善光寺さんでは、こうした利剣名号を授与しているという。これは、前に俵札調査の時に、古い俵の中からこの名号札を見つけた記憶があった。

 

 こうした、利剣名号石というものも四国各地に残されている。

 

 この利剣名号を広めたのが、この「木食佛海」上人であった。仏海は幼くして既に出塵(俗世間を捨てて仏道などの悟りを求める)の志をもっていたという。修行の旅に出、26歳で木食(五穀や塩を絶つ)行に入り、39歳には日本国中廻国修行を成就している。その間に三千体の地蔵尊像を彫り残した。

 

 40歳のときに故郷猿川村(現北条市猿川)に帰り、遍照庵(現木食庵)の復興、風早西国三十三所観音霊場の開設などを成し遂げた後、四国遍路に専念し、21度の巡拝を成就している。その間に遍路のために地蔵道標や土佐佐喜浜入木(いるぎ)(「ゆるぎ」とも言う)に接待庵(現仏海庵)を建て、明和6年(1769)、自ら造立した宝筐(ほうきょう)印塔の下に、即身成仏を期して土中入定(生きながら土中に入り死に赴く)を果たした人である。享年60歳であった。今日は、そんな勉強をやっていたのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「みんなといるけど さみしい時がある」というもの。最近は、こういうことが多くなったように思う。周りに人はたくさんいるのだけれど、声も出せない、会話にもならない孤独感。集団の中の一人感。電車に乗っても、町を歩いても、会社にいても、家庭にいても・・・。みんなといても、共通する会話がない、共通する感情がない。なんか、不思議な日本になってしまったなぁ・・と感じる時がある。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


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