まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

お念仏 おなかさすって 藤の花

2017年04月22日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.7度から20.2度、湿度は86%から54%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の23日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 いつもお世話になる「前山地区活性化センター」の西側にわずかに見える建物・・・。

 

 ここが、「さぬき市前山地区多目的研修センター」通称「長尾公民館前山分館」。ここで、「おへんろつかさの会総会&研修会が行われる。私たちは駐車場係。

 

 どこの総会でも似たようなもので、まずは司会者による開会挨拶、ついで、会長挨拶。

 

 来賓挨拶として、さぬき市長さんの挨拶。その後、平成28年度事業報告と収支決算。次いで平成29年度事業計画案と収支予算案と続く。私は朝からおなかがパンパン。腹水がたまっていいて、ズボンがどれも穿けなくなくなっている。でも、トイレに30分ごとに行くと楽になってきた。

 

 この日の参加者は75名ほど。皆さん、熱心な方々ばかり。総会は9時から始まって9時40分に終わり、10分間の休憩・・。

 

 10時50分からは講演会になる。今日の講師は香川県立ミュージアムに勤務されている「上野進先生。若い研究者だった。

 

 今日の演題は、「資料に見る近世の札所寺院―志度寺を例として―」というお話。昔からの書物や文書、図絵などから見えてくる札所寺院とはどうであったのか・・・というお話だった。

 

 例えば、「四国遍礼名所図会」寛政十二(1800)年の志度寺さんである。左下の山門から入って、放生池を渡って本堂にお参りするが、その横の小屋のようなものが「大師堂」である。こんなに小さかった。

  

  その50年後の嘉永六年(1853)、あのペリー提督が浦賀に黒船でやってきた年である。向きが違うが、左下の山門から入って中央付近の放生池を渡って左上の本堂にお参りする。その横には立派な大師堂が描かれている。現在の志度寺の建物に近い図絵である。

 

 11時20分に講演会は終了した。その後、休憩となり、会場の様式を変更して懇親会となった。飲み物は時節柄、お茶とノンアルコールビール。

 

 昨年から、イスやテーブルを使わず、車座になっての懇親会。

 

 思い思いの席で、それぞれの歴史話やお遍路のお話などで盛り上がっている。私は相変わらず、30分ごとにトイレに立つ。でも、ノンアルコールビールやお茶を頂くと、おなかはパンパンに張ってきて苦しくなる。で、早々に帰ってきた。帰ってきたらなんともない。

 

  今日の掲示板はこれ。「人を失った悲しみの深さは生前にその人から我が身に受けていた贈り物の重さであった」というもの。お友達のお寺の掲示板にあったことば。宮城(みやぎしずか)先生の言葉である。先生は1931年(昭和6年)、京都市生まれ。 大谷大学文学部卒業。 大谷専修学院講師、教学研究所所長を歴任。真宗大谷派本福寺前住職。 九州大谷短期大学名誉教授。 2008年11月21日逝去。 法名 聞信院釋智雄 著書には 『地獄と極楽』、 『真の仏弟子』、 『真宗の本尊』、 『親鸞ー生涯とその教え』など多数。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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