朝から雨だった。今日は本来ならば、88番札所大窪寺での大護摩供養のガイド役を担当するのだが、とうとう、退院はさせてもらえなかった。しかしのかかし、この雨のため、この観光ツアーは中止になったのが、せめてもの救いになった。
3月21日(水曜日)28日目
125-70-76 36.3 100 62Kg
今朝の体重計を見て驚いた。二度見、三度見して、さらにスマホで確認写真まで撮った。数年前の、あの元気なころの62Kgになっていたからである。一か月前には、ここに71Kgで入院してきた。実に9Kgもの減量である。昨日に胸水1,000ccを抜いたものと、トイレで尿を2,800ccも排出したことによるものか。
でも、採血をする看護師さんに、「たっぷりと採ってよ。少しはやせるかも・・」と言ったら、「痩せません!脂肪は運動しないと燃えませんっ」と、きっぱりと言われたのには驚いたもの。200gくらいならば少しの変動はあるかも・・だが、1K、2Kはなかなかに変動しないもの。
廊下で、「あんた、何も持たず、そなに、スイスイと歩きよるけど、どこがお悪いんなら・・・」と、おじいさんに聞かれた。もう、すっかりと普通人に見えるらしい。このフロアーを歩いている人は、多くが点滴台や酸素ボンベを引いている。私も点滴台がないのが珍しい。
にんまりとして、パジャマを開くと、おじいさんは目を丸くして言葉を失った。そこには胸の正中を切り裂いた「代紋」のような傷跡が生々しい。
さらに、こういう傷もある。実物はもっと生々しく、荒々しいので省略。これらは参考画像から。
今日、“ビーバーみずほ”が身体を拭いてくれてパジャマの交換をしたが、ズボンを一ランク下げてもらった。おなかがすっきりとしたせいか、ズボンがずり落ちてしまうからだ。そうは言っても、退院は目の前だ。
これが最後になるかもと、シャンプーもするといったが、帰宅後にさっぱりと髪を切って、自分の手で頭も顔も洗いたいからと断った。荷物を片付けていると、義兄の「とっさん」から頂いたお見舞い金をノートに挟んでいたものが落ちたらしく、ベッドの下から見つかった。自分のものなのに、なぜかトクした気分。
今日の掲示板はこれ。「逝く空に 桜の花があれば佳し」という三波春夫の辞世の句である。平成12年12月上旬に東京都内の病院に入院。翌平成13年2月初旬のこと、都内でも大雪になり、三波は病床で「ふるさとを見せてやろうと窓の雪」との句を詠んだ。それを聞いた当時マネージャーだった娘・美夕紀が「辞世の句かしら」と問いかけると、三波は「そうかもな」と少し元気なく答え、続けて「逝く空に 桜の花が あれば佳し」とも詠んだ。美夕紀は「桜の花が咲くと一緒に永眠するのか」と思ったという。そして奇しくも同年、桜の時期の4月14日、前立腺癌のため東京都内の病院で死去。77歳没。病名告知以降、手術はせずに投薬治療を選択。最期まで苦しむ事はなかったという。
死去の3日程前から眠っている状態だった が、息を引き取る2時間前に目を開き、妻に語りかけた「本当にたくさんの歌を一緒に作ったね。ママ、ありがとう。幸せだった…」が最期の言葉だった。(Wikipediaより)
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。