まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

咲き出した 紫陽花がある 古い墓 

2013年05月25日 | たまには真剣な研究なども

 坂出地方は高気圧に覆われて晴れていたが、太平洋側では南からの湿った空気の影響で雲の広がっている所が出てきたそうだ。気温は16度から28度、湿度は62%から48%。風は1mから5mの北の風・・・。夕方からは風が強くなってきた・・・。

 

 今日は塩飽史談会の現地研修会、今回は沙弥島と瀬居島。ま、今は陸続きで島ではなくなったのだけれど。そういうことで、朝の6時半に我が家を出て・・・8時過ぎには沙弥町に着いた。

 

 沙弥町にある公民館的な「坂出市万葉会館」。ここを足場にして午前中の研修が行われる。この日の参加者は主催者を含めて22名。ま、中高年ばかり・・・。

 

 この足先みたいな島を一周するわけだ。「弁慶の泣き所部分」にある「ふれあい会館」から、塩田跡地を経て「えなが岩」経由で足先のかかと部分のナカンダ浜へ。

 

 そこから文学碑、人麻呂岩を経由して長崎鼻に行く。

 

その後は足の甲部分の山道を戻ってきて西の浜、理源大師堂を経て、元の会館に戻って昼食。

 

 これが讃岐の枕詞になる」「玉藻」という海草とのこと。「玉藻よし 讃岐の国は 国がらか 見れども飽かぬ神がらか・・・・」という万葉集の言葉で有名・・・。

 

 ここが「大タンポ」という古代の船着き場。ここへ船旅の途中で亡くなった人を引き上げて埋葬したらしい・・・。ということで、古代の遺跡というか古墳がたくさんあるという島。

 

 およそ、2時間ほどの島一周の散歩道。さすがに汗まみれになって会館に戻ってきた。空気は冷たいのに、日当たりでは暑い・・・という変な状況。

 

 今日は恒例のおうどんがない。事務局に「うどんでないと食べられないからうどんにしてくれ・・」と言いたかったが、お坊さんがそんなわがままを言うたら叱られる・・・(^_^;)。

 

 「墨田の花火」というのだろうか、額紫陽花が咲き出していた。いよいよ・・梅雨が近くなってきたんだろうか・・・。

 

 午後からは、陸続きになった「瀬居島」こと「瀬居町」に移動しての研修。この沙弥島と瀬居島のあたりには、「州」という浅瀬がいくらもあった。「ナンコの州」、「バンの州」、ヤマノカミノ州」・・・。ここを埋め立ててできたのが「番の州」という今の土地。これは八幡宮の見学。

 

 この左の方の石碑が「宮本伝太夫」という年寄のお墓。丸い「無縫塔」というのはお坊さんのお墓。

 

 あと、咸臨丸に乗っていた「島本(南)善四郎」のお墓や、古川庄八のお父さんのお墓なんぞを見学してお参りした。

 

 

 最後は瀬戸大橋記念館を見学して散会になった。今日、お風呂に入る前に体重を量ったら・・・「59.82Kg」になっていた。けれど、お風呂に入って夕食を食べて、ビールを飲んだら、どれだけに回復していたのは計測しなかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は勝ち負けで はかれるものではありません」というもの。
確かに人生は勝ち負けをはかる社会かも知れないのだが、私たちは人生の深さ、人生の確かさで生かされているのである。戦いがあれば敗者もある。そんな敗者にも思いやりをもって接する豊かさとかあたたかさを知っているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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