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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ほたる来て 今日のざれごと 捨ててくる

2014年05月28日 | たまには旅など・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は14度から28度、湿度は79%から53%。風は2mから4mの東南東の風がやわらかく・・・。明日の29日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は弟と「退院祝賀会」をやっていたが、ふと、窓の外を見るとホタルが飛んでいた。それも数匹がユラーリ、ユラリー・・・と飛んでいた。もう、そんな時期になったのかと月日の早さに驚いたもの。やがてには、我が家の部屋にまで飛び込んでくる。

 

 さて、心臓の調子も良くなったことだし・・・と云うことで、久々に遠出をして徳島県の阿南市まで車を走らせてきた。ここは四国霊場22番札所の「平等寺」だが、お参りにやってきた訳ではない。

 

  山門をくぐると正面に本堂が見えてくる。右手にはお地蔵さん、左手には閻魔さんのいる十王堂や空海さんが掘ったと云う「加持水の井戸」がある。

 

 本堂の中は折り鶴などの奉納物がいっぱい・・・・。この反対側にあるのが、今回のお目当てのもの。

 

 これ、何だと思うかな・・・。犬小屋みたいだし、祠(ほこら)みたいだし・・・。お神輿のようだが、お神輿でもない。

 

 実はこれ、「箱車」というもの。ここに奉納されているものは車輪が外されている。足の不自由な人がこれに乗ってお遍路をしていたのだという。この前の扉が開くようになっている。屋根があるから雨が降っても大丈夫なように考えられたもの。

 

 昔のお遍路さんや邊土(へんど)は、こうして旅をしていたと云う。病気を治したい一心であったり、死に場所を求めての旅だったり、住む場所を無くしての放浪の旅であったりした。ご承知のように、昔の四国は山道や海岸沿いの道を歩いての旅だった。こうした旅がいかに大変な旅であったことか。

 

 88番札所の大窪寺の本堂上部には、こんな車も奉納されている。これらの車を、家族・親戚や友人たちが押したり引いたりしたり、難儀をしている箱車を隣のムラまで押していくのが慣わしであったところもあったと云う。これは車いすのように座って乗った箱車だった。

 

 これは愛知県の札所に奉納されている箱車。通称は、そこに書いてある「躄車」という。今は死語になったのかも知れないが「放送禁止用語」になっているらしい。だから、あえて、読み方は書かない。

 

 平等寺の場合は、大師加持水を患部に塗ると良くなったので奉納したと云われているが、多くは満願・結願を果たせずに亡くなった方がたも多くいたに違いない。

 

 今は福祉が行き届くようになって、また、マイカーなどで気軽にお遍路に出られるようになって、こうした箱車を見ることはなくなったが、私らが子供の頃にはあちらこちらで見掛けたもの。

 

 先日の室戸岬では、二人の初老の男性が、大きな荷車に家財道具を山積みにして引いて歩いていたが、国道の海岸線では楽かも知れないが、山道や坂道になるとどうするんだろうか・・と他人事ながらに思いやったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「こだわりを捨てれば心は五月晴れ」と云うもの。 「邪念を捨て、こだわりを捨てよ」 これを、禅門では放下著(ほうげじゃく)と云う。中国の言葉だが、要するに”捨ててしまえ”ということ。人生の苦しみの多くは執着の心より起こるもの。執着の心とは、つまり、”こだわり”。仏教はこの”こだわり”を捨てよと説いている。こだわりがないといけないこともあるし、こだわりが良い結果を生むこともあるけれど、往々にして、人を出口のない欲望と迷いの渦中に巻き込んでいくこともまたあるもの。どうしたら、様々なこだわりから自由になれるのか?どうしたら、仏様のような柔和な心になれるのか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


夏遍路 石段続く 寺ばかり

2014年05月25日 | たまには旅など・・。

 高知方面は晴れのち曇り。高気圧に覆われておおむね晴れていた。気温は15度から25度、湿度は84%から62%。風は1mから2mの東北東の風が少し・・・。

 

 今日は、「おへんろつかさの会」おへんろバスツアーの研修旅行。これまでに徳島を回ってきて、今回から高知に入る。朝の6時半出発の20時半過ぎに帰着という遠い旅になった。

 

 今日は高知県の室戸岬からの打ち始めになるという。近くには「御厨人窟:みくろど」と呼ばれる約1200年前の平安時代、青年時代の大師が悟りを開いたといわれる洞窟があり、内には五所神社と呼ばれる社がある。“空海”と名前をつけたのも、ここから見える空と海に感銘を受けたからと言われている。

  

 今回のバスツアー研修には37人が参加し、「おへんろつかさの会」専属の櫻谷権大先達が案内してくれる。

 

 ここは24番札所の「最御崎寺:ほつみさきじ」。この人たちは別のバス遍路の方々。大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立、創建した。嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により、寺運は隆盛した。

 

 当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している26番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。

 

 室戸岬から海岸沿いを6Kmほどゆくと町中に小高い山があり、その山上に本堂がある。ここが25番札所の「宝珠山津照寺:しんしょうじ」で、参道右に大師堂と本坊。本堂へは125段の急な石段があり、ご本尊は大同二年、弘法大師が巡錫されたときに刻まれた延命地蔵菩薩。秘仏で拝観はできないが、海上の安全と火難除けの霊験あらたかという。

 

 慶長六年十月、国守の山内忠義は室戸岬を航行中、突然暴風におそわれた。そこへ大僧があらわれて船の楫をとり、全員無事、室戸港へ避難することができた。港につくと僧の姿が見えないので後を追うと、津寺の本堂の中へ消えた。ご本尊を拝したら、全身潮でびしょぬれで、それ以来楫取地蔵(かじとりじぞう)とよばれ、多くの船人から信仰されるようになった。また、寛保二年の大火の時も、ご本尊が僧の姿となって、人々を避難させたという。境内に立つと眼下に室津港がある。野中兼山の部下一木権兵衛が難工事の築港を命じられ人柱となっており、参道沿いに一木神社としてまつられている。

 

 次に向かったのが26番札所の「金剛頂寺:こんごうちょうじ」。津照寺をあとに、室戸から西北へたどると土佐湾に向って小さくつき出した岬がある。硯の産出で知られる硯ケ浦のある行当岬で、海抜200mの頂上に金剛頂寺がある。室戸岬の最御崎寺と相対しているので最御崎寺を東寺、金剛頂寺を西寺ともいう。山麓からの急勾配の参道を70mほど登ると山門になる。広い境内をおおう椎の大木。弘法大師は若かりしころ、この山で修行され、大同元年には勅命を帯びて鎮護国家の道場として寺を創建し、ご本尊の薬師如来を刻まれた。

 

 その後、七堂伽藍は整備され、寺領三千五百石を有し後に長曽我部元親や山田忠義からも保護されている。文明と明治の火災のため、堂塔を焼失するが、いずれも再興され、昭和58年に、本堂が新しく建立された。霊宝館には、大師が背負って歩いた旅壇具や真言八祖像など重要文化財六点のほか、古美術六十点が保管され、境内の鯨昌館には泉井守一氏関係のめずらしい捕鯨具類などが展示されている。

 

 ここまでは室戸市の札所だったが、奈半利町、田野町から安田町へと戻ってくる。ここまで国道55号を海岸線を走って大型駐車場にバスは止まる。ここからはタクシーで山中に入る。

 

 山道などをおよそ4Kmほどタクシーで登ると「神峰寺:こうのみねじ」に着く。神峯山中腹の標高450メートルに山門、境内が広がる。幕末のころ、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、20km離れた家から急な坂道を21日間(三・七日)日参し、息子の出世を祈願した話は、いまも伝わっている。
 縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724〜49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)のころとされている。

  

 明治初期、新政府の神仏分離令により、天照大神などを祀る神峯神社だけが残り、本尊は26番金剛頂寺に預けて一時廃寺の悲運に遭った。明治中期に、もと僧坊の跡に堂舎を建立して本尊を帰還させ、霊場は復活した。だが寺格がないため、大正元年、茨城県稲敷郡朝日村の地蔵院を移して認可を得るなど、苦難の道を歩んで今日にいたっている。昭和30年代、愛知県の水谷繁治さんの妻しづさんが「脊髄カリエス」で大学病院にも見放されたが、夫婦はこの峰で霊験を得て奇跡的に全治したという実例がある。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


冷えしきる 夜の長さを もてあます

2014年02月11日 | たまには旅など・・。

 今日の京都府南部では寒気の影響も弱まるため、概ね晴れるていた。気温は1度から5度、湿度は78%から54%。風は3mから5mの北の風が強かった。明日の京都府は、気圧の谷や寒気の影響で、北部を中心に雲が広がりやすく、雪や雨の降るところがあるらしい。

 

 ということで、高松道大内バスストップからJR四国の高速バスに乗って、JR京都駅烏丸口に向かう。約4時間の旅。

 

 目が乾燥するからと居眠りをしていたら、あっという間に京都に着いた。最近はこのバスばかりなので、端末をいじるか寝るかしている。

 

 12時過ぎに京都駅に到着。とりあえず、生ビールでもと思ったが、時間が時間なもので、どこともいっぱい。私は待つのも並ぶのもイヤだからと、とりあえず、お寺に行こうと歩き出した。でも、こう、寒いとビールどころの話ではない。

 

 最初に行ったのが東本願寺さん。おお、まだ、阿弥陀堂の修復工事をやっているんだ・・。

 

 とりあえず、なんまんだぶつ、なんまんだぶつのお念仏。おみやげものを見たり、お勤めの本を見たりしたが、経典を買ってもなぁと思うし、お東さんの紋章の入ったお念珠やお茶碗を買ってもなぁ・・・ということで。トイレを借りて、山門を出た・・・。

  

 風が冷たいので、今度はてくてくと歩いて本願寺さんへ・・・。風が冷たいからとマスクをしたら、今度は慣れないからか息苦しくて・・・。

 

 はぁはぁ、ぜいぜいと云いながらここまでやってきた。

 

 で、ここでもなんまんだぶつ、なんまんだぶつの合掌・礼拝・お念仏。お小遣いをもらったので、ブックセンターで参考書でも買おうかなぁと入ったけれど、これを持って帰るのが重たいがな・・・ということで諦めた。持ってきた荷物だけでも精一杯。おみやげなんぞ入る隙間はない。いつ来てもこうなんだ・・・。今度こそ、今度こそと思いながら、いつも「重たいから・・」と、あきらめてしまう。

 

 明日のおあさじにはおまいりに来るからと挨拶のみで失礼する。

 

 で、本願寺さんの前にある「お香屋さん」で、焼香用の抹香を買った。ここで買うとけっこうなお値段がする。だが、「京都で買ったものだから・・」といえるようにと、少しお高めのものを。

 

 ま、なんでもいいといえば、なんでもいいのだけれど、母のさっちゃんはそういうものが好きだから・・・。珍しければいいというものでもないのだけれど。

 

 で、14時過ぎに、いつもお世話になるレストランに立ち寄って、水分補給の生ビール。

 

 で、15時前に、本山興正寺に入山。今日は前泊だから夕食はないし、明日の朝食もない。たまには断食もいいかなぁとは思うが気分次第。お風呂は入れそう・・。

 

 こちらが御影堂。合掌礼拝(がっしょう・らいはい)お念仏して・・・宿舎に入る。

 

 今回は大広間ではなくて、15畳の和室が二つに11人が泊まる予定。ほとんの人は明日の朝にやってくる。なかなかに皆さん、忙しいらしい。今夜も1人で寝ることになるのかも。

 

 今日の掲示板はこれ。「やりたいことがあったのにやれなかった人がいます せいいっぱい生きたかったのに 生きられなかった命があります。命いっぱい生きなければ・・・。」というもの。病気や災害や事故などで、突然にいのちをなくした人が大勢います。東日本大震災では若い命がたくさん失われたし、先の大戦でも多くの若者たちが帰らない人になってしまった。やりたいことがいっぱいあったのに、いっぱい生きたかったのに・・・。そんな人たちのことを考えると、うかつには生きていけないぞ。ぐずぐずしててはいけないぞと背中を押される想いがわき上がってくる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


久々に 旅の疲れは 暮れの松

2013年12月28日 | たまには旅など・・。

 さて、旅の最終日も、まだ薄暗い6時過ぎに起床して、7時半出発。今日は完全に移動日。

 

 鹿児島港から桜島へ渡る「桜島フェリー」に乗って、海上15分の船旅。

 

 この桜島フェリーは鹿児島市営らしい。運行時間は時間帯によって10分ごと、15分ごと30分ごとに出るらしい。まさに市民の足・・・という感じなんだろう。

 

 桜島につくとそのあたりを走ってみる。このあたりの民家には雨樋がない。降灰によって詰まってしまうかららしい。それとお墓に立派な屋根がついている。まるでお堂の中にお墓がある感じ。

 

 展望所に行ってみるが、時期的なものかシャッッターが閉まったまんま。ここを訪れる人がいないからだろうか。

 

 朝の錦江湾。そこから時間つぶしに「溶岩なぎさ公園」の足湯につかったり、ビジターセンターで火山についてのお勉強。

 

 道の駅・「火の島めぐみ館」で、桜島大根をけいこばぁへのお土産に買う。

 

 ビジターセンターの職員さんは、「収穫は一月からなので今の時期には販売はしていない」と言うたけれど、ここではいくらでも置いてあった。ここで朝昼兼用の食事をして、後は一目散に帰るばかり。

 

 このような溶岩を見ながら・・霧島を半周して国分に向かう。

 

 途中、奇妙なものを見つけて停車。ここが「国旗日の丸発祥の地」らしい。

 

 下黒旗の薩摩藩の旗と日の丸の旗が風になびいていた。

 

 噴煙をあげる桜島に分かれを告げて、国分から東九州自動車道に入り、隼人道路経由で九州自動車に入って帰路につく。10時過ぎのことだった。

 

 途中、宮原サービスエリアで、けいこばぁへのおみやげの「晩白柚:ばんぺいゆ」という巨大なみかんを買った。あとはトイレ休憩を挟みながら・・・関門橋を15時に通過、さぬき市に着いたのは20時前だった。夕食・入浴で、みんな早々に眠りについた。

 

 留守の間にはたくさんのプレゼントが届いていた。

 

 蓬生さん、しらとりさん、にころこさんほか、ありがとうございました。御礼は年明けにでも。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


みやげ手に 師走の街の 影法師

2013年12月27日 | たまには旅など・・。

 今日の鹿児島は、曇りのち雨・あられ・強風・晴れ・・・と忙しい一日。今日も朝の6時半起きで7時半出発。向かった先は・・・。

 

 南九州市にある「知覧特攻平和会館」。あんな山の中にあんな町があるとは・・・。古くから古代城跡もあったところとか。そこに軍部が目をつけて、山の中のシラス台地に滑走路を開き、航空隊を招致した。

 

 知覧・・・。映画とかでは見たことがあるのだけれど、こんな所に特攻基地があったのか・・・。映画に使われたゼロ戦・・・。

 

 これは「疾風:はやて」。館内には、遺影とか遺書とかが壁面にいっぱい掲げられていて・・・。

 

 涙ぐむご婦人たちがいるし、訳のわからない外国語ではしゃぐ人たちもいるし・・・、しげしげと見つめる若者もいるし、熱心に食い入るように読みふける人も居る。

 

 そのおとなりにある「知覧ミュージアム」を見学して・・・「かくれ念仏」にみんなは一様にびっくり。なんでお念仏が禁止されたのか・・みたいなことだし、そこまでしてお念仏しなければならなかった人たちのことを・・・。私たちは当たり前のようにお仏壇がある暮らしなのに、なんで山の中や岩の下や船の上でお念仏しなければならなかったのか・・・。

 

 私も教養課程ではお勉強したけれど、ここまで過酷な弾圧があったのかと・・・。

 

 その後・・・指宿市に移動して・・砂蒸し温泉に・・・。

 

 娘家族は砂蒸し風呂を楽しんで・・・。私は寒いのと、心臓が弱いので待機・・・。

 

 午後からも風が強くて。でも、天候は晴れ間も見えだしてきた。昼食は道の駅で簡単な食事で済ませて、鹿児島市内へ戻る・・・。

 

 15時前になって、興正寺鹿児島別院に到着。担当の方をお願いしたが、もう、お帰りになられた・・・とかで、とりあえず、本堂にお参りをさせていただいた。

 

 とにかく、不勉強で鹿児島別院の歴史とか由来とかは全く知らずにお邪魔してしまって、ご本尊様に申し訳なく思った次第。隠れ念仏とか隠れ釜とか盗人窟とか・・・。これまた、衝撃的なお勉強をしたことだった。

 

 その後、一行は宿舎近くの駐車場に車を預けて、路面電車に乗って「鹿児島中央駅」に向かった・・・。こういう乗り物に乗るのも初めての経験だった。香川には路面電車などなかったし、神戸でも路面電車は見かけたが乗ることはなかったものだったし・・・。

 

 で、着いたのがここ。「維新ふるさと館」。地下にあるシアターでは、ロボットの西郷隆盛とか勝海舟とか大久保利通とかが維新前夜のお話をしてくれるというもの。

 

 あと、篤姫とか西郷さんとかのコーナーがあったりする。そこで孫たちの歴史のお勉強をしたら、あとは自由時間。

 

 鹿児島中央駅の「おみやげ横町」でのお買い物。それぞれが、それぞれの義理お土産選びに没頭・・・・。

 

 久々の掲示板。「してあげたこと してもらったこと どっちが多い」というもの。振り返ってみれば、してもらったことばかり。自分からしてあげたということはほとんどないなぁと思った事だった。ま、私が生きている、生かされているということが、してあげたことの大きなものかなぁとは思ったことだった。

  

じゃぁ、また、明日、あえると良いね。


来てみれば ここにはここの 暮れがある

2013年12月26日 | たまには旅など・・。

 さすがにお疲れというか、飲み過ぎというか・・・目が覚めたのは7時半過ぎだった。頭は重いし、眼があかない・・。それだし、おなかもぽんぽん状態・・・。だから、起きてすぐにお風呂に入ったのだが・・・幾分か気分が悪い・・・。早めにお風呂を切り上げて、パソコンを持って端末機室へ移動してネットサーフィン・・・。

 

 で、9時過ぎにホテルをチェックアウトして、カフェでのモーニングサービスを食べる予定だったのだが、クリスマスケーキを作るのに疲れたのか、どこもが「臨時休業」・・・。行けども行けども・・・・「休業」・・・。

 

 ようやくに探しあてた、宮の浦地区にある「屋久島環境文化村センター」の中にある「カフェ」での朝食になった。朝食というても、11時過ぎから12時近い朝食だから朝昼兼用というか、昼食になったかもしれない。

 

 その後、そのセンター内にあるワークショップでの「屋久杉・三度クラフト工房体験」にチャレンジ。屋久杉の木っ端材を使っての、キーホルダーとかペンダント作成。

 

 ところが・・・、この「屋久杉」というのが固い・・・。思い通りには切れない、削れない、磨けない・・・。タイム・オーバーで持ち帰っての制作になった。

 

 350円で一時間ほどの暇つぶし・・・。みんな、真剣な一時間になった・・・。

 

 さて、フェリーに乗る頃になって大粒の雨が・・・。とにかく、ここは雨がよく降るところ。島のどこかで雨が降っているというような島らしい・・・。

 

 これが、鹿児島本港と屋久島宮の浦を結ぶ「屋久島2」という大型フェリー。とにかく、島へ物資を運ぶのが主な目的みたい・・・。観光客はおまけみたいなものか・・・。

 

 二等客室はこんなもの。ここで、寝ては起き、起きては寝て・・・約四時間。

 

 ところが・・結局の薬局で・・・18時過ぎに着岸。それから、ホテルの「チサン・イン・鹿児島」にチェックイン。荷物を置いて、そのまま・・・夕食に。みんな、お昼のトーストとコーヒーだけだったもので。

 

 とにかく、おなかが空いていたもので、近くにあった居酒屋の「わらわら」でのお食事。とにかく座って生ビールが欲しい・・・ということで。

 

 クリスマスが終わったら、即、迎春準備。忙しいことやねぇ・・・。

 

 なんだろうかねぇ。鹿児島の町にはこのような銅像があちらこちらに建っている。孫のはやてちゃんが「昔の人は小さいねぇ~」というてたが、確かに昔の人は小さかったらしい・・・。

 

 そのあたりをしばらく散歩して帰って来た。明日も早めに出かけるらしいので、今夜も短めの更新にしておく。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


師走背に 太古の森に 遊ぶ雲

2013年12月25日 | たまには旅など・・。

 さすがに6時起床が辛かった・・。身体が動かないのと、少しばかりミニ・イブ宴会が過ぎたのかも・・・。でも、7時半にはホテルを出発して宮の浦経由で「白谷雲水峡」を目指してくねくねと山道を走る。こうした森は高い山の頂付近にある。

 

 8時半過ぎにコースに入ったが、足が進まないというか、足が上がらない・・・。重い足取りで一歩一歩歩くしかない。

 

 ここは毎日どこかで雨が降っていて、雲霧が立ちこめているために、コケ類がびっしりと生えている。そこに露がたまっていて、まさに原生林、太古の森状態・・・。

 

 娘家族たちは二時間コースにチャレンジするが、私は30分コースでゆっくりとマイペースで歩いて行く。

 

 最初は小雨が降っていたが、たいした雨にもならずに雨具もいらずにすんだ。

 

 昨日の「屋久杉ランド」もここもだが、入園料とか入場料はいらない。ただ、トイレの処理費用という「協力金」というのが必要で、これがおとなで300円。自然環境を守るために、トイレの使用は厳格で、公衆トイレでも「協力金」を入れる募金箱のようなものを老いてある。

 

 この屋久島は世界遺産登録されて20周年とかいう看板を見た。そういうことで、島中が省エネ・省資源化が行われている。

 

 私は30分コースを2時間かけて歩いてきた。そのほうがじっくりと古代の森を体験できるような気がした。

 

 その間にも観光バスでやってきたらしい団体さんやグループがドンドンと私を追い越してゆく。外国人も多く見かけた。

 

 これが自生している「クワズイモ」。こういうものがそのあたり一面にひろがっている。

 

 それと、ツワブキの花と・・・。

 

 11時前になって、娘家族がもどってきた。食事は普通のレストランでの食事になった。もちろん、私は生ビール付きである。

 

 午後からは、町の歴史民俗資料館で島の歴史などをお勉強して、早めにホテルに戻った。今夜もゆっくりとして、明日のお昼過ぎに島を出て、鹿児島に泊まる予定。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


つわぶきの 黄色に虹の かかる島

2013年12月24日 | たまには旅など・・。

 さすがに、昨夜はバタンQ・・で、みんな、8時半には寝てしまった。前日の車中泊がこたえたようだし、今朝は6時起きで7時出発ということもあって・・・。

 

 で、今日は7時過ぎにホテルを出て・・「屋久杉ランド・トレッキング、180分コース」にチャレンジ。一般のお散歩コースだというので、のこのこと付いて行ったのだけれど・・・。それだし、「たかが杉林でしょ・・・」という気持ちもあったし・・・。

 

 ところが、車で1時間も山道を走って到着したのは高い山の頂上部に近いところ。そこから、最初は遊歩道が整備されていて、歩きやすくて、こういう杉の大木に「すごぉぉい」とか「これは圧倒されるあなぁ・・」と、わいわいと言うておったのだけれど。

 

 30分コースが過ぎたあたりから、アップダウンがきつくなり、けいこばぁが用意してくれた、トレッキング・シューズが鉛の靴になり、鉄下駄になってきて、足があがらなくなってきた。まさか、靴を脱いで歩くわけにもいかないし、ここでギブアップをするわけにもいかない。誰も助けには来てくれないのだから・・・。

 

 最初の30分ごろまでは、わぁわぁ・・というていたのだが、やがてのことには、古代杉にも慣れてきて、ただ、足下を見つめて歩くばかり・・・。行けども行けども・・・山道のアップダウンの連続・・・。意地悪をして、わざと山道を上下にしているのじゃないのかと思うばかり。このころには遊歩道はなくなって、木の根や岩伝いに歩くことに・・・。

 

 こういう遊歩道が出てきたら安心安心と思った瞬間・・・・。

 

 この仏陀杉の裏側で足を滑らせて転落・・・・。ま、幸いにけがもなく済んだけれど。ひやっとしたことだった。およそ、2時間半。11時前にはゴールして、おもわず、やれやれ。まさに「お化け屋敷」みたいなもので、最初は、「わわわ・・」「ぎゃぁぁぁ・・」というていたが、やがてにはうんざりしてきて、出口を出たら、「なんだ、こんなものか・・・」みたいな印象。

 

 その後、「屋久杉自然館」というところで休憩しながらお勉強。この屋久杉は年輪が詰まっていて、非常に固いそうで、何百年も腐らないのだそうだ。普通の杉とはまるで違う素材。

 

 だから、これを薄く割って、「平木:ひらぎ」にして、屋根を葺くと300年は腐らないというので、江戸時代には、多く切り倒され、これを平木にして背負って山出ししたそうだ。この平木2310枚で米一俵と交換されたそうだ。

 

 その自然館の近くにあった「杉の茶屋」というお店でお昼になった。思い思いにカレーライスとか日替わり定食とか注文したが、私はいつものおうどん。

 

 今日はよく歩いたもので、「うどん定食」をお願いした。750円だった。おむすび2個付きとおつけものなどがセットになっている。食べた瞬間に「あ、さぬきうどん・・・」と思った。さぬきの冷凍うどん「カトキチ麺業」のおうどんだなぁと思った。

 

 かまぼこと、アジ節入りのおうどんだった。こんなところで、さぬきうどんとは・・・と思ったことだった。

 

 帰りにスーパーに寄ったら、案の定、カトキチの冷凍うどんが売られていた。

 

 あと、千尋(せんぴろ)の滝や付近の観光をしながら、夕食の食材の買い出しをして、15時過ぎには宿舎の「屋久島グリーンホテル」に戻って来た。

 

 これがホテル前にある、ガジュマルとつわぶきの花。これらとクワズイモや、シダ類が印象的な島である。

 

じゃぁ、また、明日、あえると良いね。


来てみれば ここにはここの 冬がある

2013年12月23日 | たまには旅など・・。

 ご案内の通り、12月22日の夕方の17時にさぬき市の我が家を出発して、娘家族4人と私の珍道中が始まった。まずは、高松自動車道志度インターから高速に上がって、瀬戸中央道、山陽自動車道を経て、九州自動車道へ入る。天候は曇りから小雨・・・。

 

 途中、何カ所かでトイレ休憩や仮眠を繰り返して、12時間半後の、午前6時半に鹿児島港に着いた。まだまだ、あたりは真っ暗。ちょうど、冬至の、夜の一番永い日に、夕方から夜明けまでを走ってきたという訳だ。

 

 これが、乗り込む予定の「屋久島2」というフェリーボート。その向こうに霞んでいるのが桜島らしい。

 

 こういう船で、鹿児島本港から屋久島・宮の浦港まで4時間の船旅。さすがに車中泊は疲れたようで、みんなはすぐに眠ってしまった・・・。

 

 これが船から見た桜島。あいにくと天候が悪くてきれいな絵にはならなかった。朝食は簡単におにぎりとか菓子パンなんぞで済ませた。

 

 8時半に鹿児島港を出た船は、12時45分に屋久島に着いた。そこで、さっそくに昼食。近くにあった、「屋久島観光案内所」のレストランだった。

 

 私はさっそくに生ビールに海鮮定食。

 

 ま、驚くようなものはなかったが、トビウオの唐揚げが珍しかった。普段には気にもしないような海草があちらこちらに使われていて興味深かった。

 

 ここは「屋久杉」で有名らしくて、杉細工の木工製品のおみやげが目立つ。

 

 その後は、屋久島を一周してみた。3時間ほどの旅になっただろうか。

 

 ウミガメの上陸する砂浜とか、大小幾つかの滝とか・・。

 

 この滝、「大川」と書いて、「おおこ」と読むらしい。落差88mの滝は確かに迫力があった。

 

 そのほか、「ヤクシカ」とか「ヤクザル」という島固有の生物にも出会うことができた。

 

 ここは、絶海の孤島のようなところで、通信環境が悪く、携帯端末からはつながらないことが多く、この更新はホテルの設備を借りての通信だから、手短にしておかねばならない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


霜の朝 立木は凛と 立ち尽くす

2013年12月11日 | たまには旅など・・。

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があったし、西風の強い一日になった。さぬき市の気温は3度から10度、湿度は73%から80%。一方、丸亀市では5度から10度、風は1mから8mの西の風が強かった。明日の12日は、気圧の谷や寒気の影響で昼前まで雲が広がり、朝まで雨や雪の降る所があるらしい。午後からは高気圧に覆われてくるため、次第に晴れてくる見込みとか・・・。

  

 今朝はさすがに3度ともなると、指先や足の指先が冷たい。そこで、マウスをにぎる手には手袋をしなければならなくなった。マウスパッドが石製の板であることも拍車を掛けている。

 

 さて、明日の12日に「日本離島センター」の方がしわく広島においでになって、私に会いたいと仰るので、私は今日からしわく広島に帰ることにしている。ところが、昨夜、遅くまで作業したこともあって、計画が「へとちまとち」。「へとち、まとち」ってわからないだろうと思うけれど、思うようにならないというか、やろうとするんだけどタイミング悪く意図しない結果になるみたいなことをいう、香川の一部の地区の方言である。

 

 最初は、11時15分の高速艇に乗るつもりで段取りをして、ここにやってきたんだけれど、「あ、卵がないかも・・・」と思って、近くのスーパーまで行ったんだが、「今夜一晩の一泊やから、卵なんてなくてもいいやん・・」と思って、ここまで戻ったけれど、「こんな天気やのに、何があるかわからんから、缶ビールもいるなぁ・・」ということで、またまたスーパーへ。そうしている間に船は出てしまった・・・。

 

 その後というと、3時間後の13時30分。どうでもいいことで、3時間を無駄に過ごしてしまった。本屋さんをぶらついたり、100円ショップをぐるぐると回ったりと・・。おまけに、このあたりのおうどん屋さんは水曜日が定休日であったりして・・。全くの「へとち・まとち」。

 

 こうして、冬の荒れる西備讃瀬戸へ船出したというわけだ。とはいうても、たかが瀬戸内海だから大揺れで船酔いになると言うことはない。多少、身体が左右に揺れる程度。

 

 家に着いたら、激しい西の風が吹き荒れている。これでは何をすることもできない。おまけに・・・、持参したノートPCが、いきなり・・・チェックデスクの作業を開始した・・。パソコンのハードディスクを検査・修復するプログラムである。

 

 これが、2時半から17時まで・・・。延々と作業を始めたものだから、私は何もできなくなった。その間に、お風呂を沸かして、お風呂に入って、夕食を食べて・・・。今日は昼食抜き出し、朝食も抜きだった・・・。おまけに、天候が悪い物だから写真が数枚しかない・・。それをタブレット端末から抜き出そうとしたら、その手順がうまくいかずに・・・「へとち・まとち」。

 

 ということで、今日は寝不足と天候不順と、PCの不調ほかで、今日のブログは手短にしておく。ともかく、私は無事で・元気で、体調も血圧も正常だけれど、おつむがすこしばかりお疲れ気味。

 

 今日の掲示板はこれ。「その正しさ間違っていませんか」というもの。昨日だかのラジオで聞いたのだけれど、「シャケが遠い海から戻ってきて、ふるさとの川にまもなくたどり着こうとするとき、クマが現れてシャケを食べてしまう。」シャケにすればシャケの人生は悲しい結果になる。ところがクマの側からすれば、おなかを空かした小熊のために、ようやく見つけたシャケで、かろうじて、小熊を育てることができた。ハッピーエンドのお話になる。

 

 物事は、立場によって、時期によって、見方によって、全く違ったお話になるということだった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えるといいね。


ここに来て 光のどけき 秋の薔薇 

2013年11月01日 | たまには旅など・・。

 四国地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、太平洋側の西部では気圧の谷の影響で雲の広がっている所があったらしい。明日の2日は、はじめ高気圧に覆われて晴れるけれど、午後は気圧の谷の影響で雲が広がりやすい見込みとか。今日も気温は13度から19度、湿度は77%から57%。風は2mから1mの西北西の風が少し。

 

 これが今回の宿泊場所。今治市吉海町名駒にある「海宿・千年松」という民宿。千葉のお客さんがここに泊まるというので一緒に泊まった。すぐ前が来島海峡で、海水浴には便利なところ。

 

 昭和の後期まで「千年松」という松の木があったのだが枯死したそうな。そういうことで、昨夜は楽しい夕食になった。

 

 で、四人で大島の吉海町にある「よしうみバラ公園」に寄ってきた。朝の食後の散歩である。約2.8haの敷地に世界各地のバラ400種3,500株が園内花壇に植栽され、5月中旬から12月末まで美しいバラが楽しめるという。毎年バラの見ごろを迎える時期にはバラ祭りが開催され、大勢の来園者でにぎわっていて、先週の土日に秋のバラ祭が行われて3万人もの人が訪れたとか。

 

 オールドローズのような繊細な花形や香りで、モダンローズのように四季咲きで、近年関心が高まっているイングリッシュローズのバラが新たに植栽された他、平成11年5月に西瀬戸自動車道(しまなみ海道)開通記念に、フランス随一のバラの庭園「ライ・レ・ローズ」からナポレオン皇妃ジョセフィーヌが収集したオールドローズ「ジョセフィーヌ・コレクション」など約100種が移植されたそうで、これだけの種類のオールドローズが一同に植栽されているのは、日本でも数少ないバラの公園だという。バラの開花時期は5月中旬~12月末までで、最盛期は5月中旬~6月上旬と10月中旬と11月上旬。

 

 この公園は二四時間入園自由で,年中無休。それに入場料も無料。じっくりと見て歩いても40分程度だとか。

 

 ここで、このお二人とお別れして、私たちは帰ることになる。けいこばぁが午後から勤務というので午前中に帰り着かないといけない。

 

 ということで、来島海峡大橋を通って今治市に向かう。海上を自転車で渡ることができる珍しい道路であることから、サイクリストや自転車愛好家には特に人気の高いルートであり、地元住民だけでなく遠方からの自転車旅行者が目立つ。また、尾道から今治までの間には、自由に相互の乗り捨てが可能なレンタサイクルのターミナルが14箇所設置されている。おまけにここは歩行者も通行できて、歩行者は無料。

 

 途中で、けいこばぁが「タオル博物館に寄りたい」というので、タオル博物館にも寄って見た。

 

 愛媛県今治市朝倉上甲にある世界初のタオル文化を提案する施設で、タオルの製造工程を見学できるコットンロード、目を見張るタオルアートの数々や豊富な品揃えのタオルコレクションショップなど楽しい仕掛けがたくさんある。広大なヨーロピアンガーデンや、館内のレストラン、カフェもあって楽しく遊べる場所。4F・5Fのギャラリー棟のみ有料。

 ここでお土産に何点かのタオルを買って、あとは一筋に帰路に就いた。

 

 今日の掲示板はこれ。「ものごとは 小さなことでもくよくよ考えると大きくなってゆく」というもの。ささいなことでも真剣に考え込むと大きなことのようになってくるもの。あんまり突き詰めて考え込まないようしなければ・・・。

 

じゃぁ、明後日、会えるといいね。(明日は小豆島へゆくのでブログはお休みするかも)


やっときた 別子の郷の もみじの葉

2013年10月31日 | たまには旅など・・。

 さぬき市地方は、上空の気圧の谷の影響で、瀬戸内側を中心に雲が広がっていますが、太平洋側では高気圧に覆われて概ね晴れていた。明日の11月1日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるらしい。

  

 で、今日はここ。「東洋のマチュペチュ」といわれる別子銅山遺跡に行ってきた。

 

 と、言うのも。今回の千葉からのお客さんのルーツ探しの旅。「滝本」さんというのだけれど、それを探してきたら、ここに来た。このあたりには、「滝本」さんが多いらしい。

 

 こういう列車で「別子銅山記念館」に寄って、観光坑道を見学したり、そのあたりを観光した。

  

 江戸時代の銅山作業はこんな感じだったらしい・・。

 

 このおねえさん。この人も「滝本さん」というらしい。もしやしてご先祖が一緒ではないかということで盛り上がった。

 

 で、今日は思いがけなく「中華そば」。ここまできて、「さぬきうどん」でもあるまいし。でも、子供の頃に食べた「中華ソバ」。

 

 しかしのかかし、こういう遺跡が残っていて、これをこういう風に公開しているのは素晴らしいことだと思った。」

  

  ということで、思いがけないふるさと散歩になったことだした。

 

 昔はこういう消防車が走っていたらしい・・。

 

 その後、しまなみ海道に入って大島にやってきた。そのお客さんが、この島にある民宿に宿泊するというので、一緒に泊まることになった。そのついでに、ここにあるお寺の「高龍寺」に立ち寄った。鴨井さんのお寺さんである。

 

 今日の掲示板はこれ。「あなたが笑うとわたしも笑顔。ふたりが笑うとみんなが笑う。笑顔のしあわせの一番の近道」というもの。

 

じゃぁ、また、明日、会えると良いね。


こおろぎが 堂守である 説教所

2013年10月07日 | たまには旅など・・。

さぬき市地方は高気圧に覆われて、概ね晴れていた。明日の8日は、台風第24号が東シナ海を北上し、夜には九州北部から対馬海峡付近に進む見込みで、湿った空気が入るため雲が広がり、夜には雨が降る見込みとか。気温は22度から31度、湿度は86%から68%。風は3mから4mの南風。

 

 今日は娘のお誘いで、愛媛県西条市にある、アサヒビール四国工場の見学に行くことになっている。だから、4時半起きで準備。我が家を6時に出て高松の娘んちへ・・。そこから丸亀市の弟、たっくんの家に寄って・・・・高松自動車道に上がって・・・いよ西条まで。

 

 よく、噂には聞くのだが、なかなかにメンバーが集まらなくて・・・、奇跡的に今日の日になった。ここは休日には「製造ラインが動かない」とかで、平日に訪れるほうがいいというが、平日にはみんな、お仕事があるし・・・。

 

 これが今日のメンバーだし、このブログの登場人物。誰が誰かはすぐにわかるはず。

 

 これが麦の仕込み行程。ここでも、麦汁濾過とか煮沸行程とかが行われるとか・・。

 

 これが高速パッケージング作業。つまり、缶ビールを詰めてフタをする工程。ほかにも瓶詰めとか、樽詰めとかが行われている。

 

 見学が終われば試飲会。一人、このグラスで20分間に3杯まで・・・いただける。缶入りのほうは、運転者用の「ノン・アルコール・ビール」。これはいくらでも呑ませて頂けるそうだ。

 

 タダ・・・というのはおいしいものだが、「適正飲酒」ということで、三杯まで。

 

 一行はさらに走って、今治市にある「彩菜食堂=さいさいきて屋」というお店に寄った。ここは産直市場もあるのでJAさん関連のお店だろうか・・。

 

 こういうお店で、「セルフ形式」で、好きな食材とかをチョイスして、最後ににお会計をして、好きな場所に座って食べて、最後は食器を返却するという「セルフ・うどん」のご飯版。

 

 私のお昼はこうなった・・・。また、呑んでるんかい・・と言われそう・・・。

 

 これが、ビール工場で教えてもらった、「缶ビール立て」の妙技・・・。やっぱり、プロにおしえてもらうと、すごいことも可能になるもんだ。だから、それがどうした・・・と言われると辛いのだけれど。

 

食事が終わると、産直市場をのぞいたりして・・・。ま、プチ・家族旅行みたいなことで、一日があっという間に終わったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「臨機応変 変化を楽しむ心で」というもの。あれこうでないと。ここはこうでないと・・と、杓子定規に生きることも大切なことだし、尊い事だと思われるけれど、臨機応変に、春夏秋冬、変化を楽しむこころも持ち続けたいなぁと・・思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


続編:すばらしい 京都の夜の プレゼント

2013年02月12日 | たまには旅など・・。

 その97畳の中から、夕食を食べに外に出た。とにかく暇なのだ。飲むか食べるかしないと時間が持たない・・・。ところが16時だ17時だでは飲み屋さんはあいていない・・・。

 

 そこで、いつも行くレストランに入った。普通のレストランでの安い飲み会・・・。そこで、生ビール中を二杯ほど飲んで、日本酒も二合ほど飲んで外に出た。案外とおなかが小さいのだ。で、近くのコンビニで缶ビールだの日本酒のパックだのを買って帰ろうとしたら・・・。

 

 携帯電話がけたたましく鳴った・・・。ミッキマウスマーチだ。母の状態が悪くなったのかと思ったら・・・・。FaceBook仲間からの電話で、「すぐにタクシーに乗って、新島会館まで来るように」。とにかくタクシーに乗れば大丈夫だと言われたけれど、雨になった京都はタクシーがこない。やっと、やってきたら、「そんな場所は知らない」という。会社からデータを送ってもらって会場に着いたら・・・。「あさくらゆう」さんの講演会・・・。

 

 その後、京都龍馬会の「龍馬」のお店での懇親会・・・。

 

 いやぁ、思いがけない京都の夜になりました。ちなみに・・・

 

 こんなところでひっそりと寝ておるわたしでありました。明日には、幾分か、にぎやかになればいいのだけれど・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えればいいね。


冷えしきる 夜の長さを もてあます

2013年02月12日 | たまには旅など・・。

 京都の天気は0度から6度というけれど底冷えがする。天候は曇り。湿度は42%で風速は2m。とにかく空気が冷たい・・・。

 

 高松自動車道大内バスストップから高速バスに乗ってJR京都駅に向かった。何年かぶりの京都行き。母の病気のこともあって、やめようか、どうしようかとなやんだのだけれど、師匠が「迷ったらGoだ」というので、勇気を出して京都に向かう・・・。

 

 大内(おおち)を9時17分発というても25分過ぎに出発、京都には定刻の12時10分に着いたが、私の薬には「利尿剤」が入っている。肺に水がたまるというクセがあるので、それを排水するためらしい。だから、普通でも1時間に一回とか30分に一回とかでトイレに行く。睡眠中はそうでもないのだが・・。

 

 京都まではおよそ3時間。だから、途中で一回、淡路島でトイレ休憩があるが、それでは遠すぎる・・・。こんな日には薬を飲まない方がいいのだが、飲まないと血圧が上がっても困る。ま、幸いなことに、この高速バスにはトイレがついているので、三回のトイレですんだ・・・。

 

 これは何だ?と、よくよく見れば京都タワーである。最近はこんな風になっているんか・・。それとも何かの工事中なんだろうか・・・。

 

 私が毎日、うどんばかり食べているので、うどんが大好きなんだろうと思われているかもしれないが、うどんしかないのでうどんを食べているだけで、たまにはこんなものも食べるし、ここまで来て、うどんでもあるまいし・・・ということで。

 

 同志社まで行ったら、FB友達の「あさくらゆう」さんにも会えるんだろうが、同志社も新島会館もわからない・・・。本屋さんのありかがわからないから地図もわからないということで・・・。残念だね。

 

 東本願寺さんや本願寺さんにもお参りしてきたが、空気が冷たいばかりでありがたみが薄い。ほら、寒さがきついと酔いがが回らないというじゃないか・・・。

 

 で、今夜の宿舎というのが、97畳の大広間に私ひとりきり・・・。暖房をつけても暖かくなんぞならない・・・。明日になれば仲間もやってくるのだろうが、今夜はこんな部屋で寝られるんだろうか・・・。

 

 ともかく、私はなんとか京都についているので、生存証明まで。今日の掲示板はこれ。「そのうち そのうち 弁解しながら日が暮れる」相田みつをさんのことばである。まさにその言葉とおりに、「まだある、まだある」「そのうち、そのうち・・」と言いながら・・・勉強もせずにいたのに、とうとう、今日がきて、いよいよ、明日からが大変なお勉強になる・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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