GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

小山内薫作「息子」

2006年01月30日 09時52分25秒 | 徒然なるままに
夕べNHK芸術劇場で放送されていた歌舞伎、小山内薫作「息子」
なんとなく題名にひかれて、歌舞伎なのにそれらしくない題名ということでそんな位の気持ちで見始めたのだが、すっかり引き込まれてしまった。
どんな話かというともともとは大正13年に初演された新歌舞伎なんだそうだ。スコットランドの作家、ハロルド・チャピンの「オオガスタその父を探す」を翻案した作品で、登場人物3人、30分の一幕劇。

 頑固な老人が火の番をしている小屋に、ひとりの青年がふと訪れる。ひどく寒がっていたその青年に、老人は煙草や酒、飯などを与える。偏屈な老人ではあったが、青年の話に耳を傾けていると、その青年が9年前に別れた自分の息子の金次郎と分かる。しかし、金次郎はお尋ね者になっていた。二人とも「父よ」「息子よ」と言い出せぬところへ、捕吏が火の番小屋に金次郎を追ってくる……。

ざっと、こんな話である。
舞台は雪の降り続ける江戸の片隅、台詞の中に「赤羽橋の……」という台詞が出てくるが芝から札の辻あたりの番屋なのか、やや下手に作られた番屋とその周りだけで話は進む。頑固者の老人の息子は九年前十九の歳に上方へ商いの為に旅立っている、おそらく番屋には火鉢の火のみが灯りということなのだろう九年の年月、お尋ね者となるに至った生活からかお互いの顔がよく分からない所から話が始まっていく、初めは気が付かないで居るがふとした会話の中で親子だと気が付くその間が非常に良い。

息子金次郎役が市川染五郎、商人崩れの小悪党を上手く演じていたと思う。悪ぶったかと思うと弱気な面を出したりかっとして大声を出すかと思えば優しい言葉もかける、そんな感情の起伏を自分の物にしている、これはこれから彼のニンとなった役と言えるのではないだろうか。
そして老人は中村歌六が演ずる、この劇はたった30分の心理劇、会話と間が命なわけで彼の口跡のよさが、台詞一つ一つの聞きやすさが早い台詞のやりとりのなか非常に心地良い。地元のチンピラ達がこの番屋に火を当たりに来ては破滅していく、この場合の番屋の火鉢の火は贖罪も改心も生まないがそれでもここに来て火に当たっていく。おそらくつかの間のやさしさや頑固オヤジの懐かしさを求めて来るのだろう、その象徴が番屋の中心に据えられた火なのか、それを守る老人、実に上手く演じていた。
他に捕吏役に中村信二郎、御上の手の者をやっている小者の軽さ、そして執拗さを決して中心の二人のじゃまに成らずにこなしている。

非常に短い一幕物で原作は海外の物、たしかにストーリーや雰囲気に違和感の残る部分もあるが噺家の名人の演じた人情話のような素晴らしい余韻の残る作品に出会ったことがとても嬉しい。
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