名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

御利益宗教の終焉

2016-06-28 | 宗教

世の中に、苦しみや悩みど、
一切持っていない人など一人もいない。

はた目には、幸せ一杯で、
悩みなどまったく無いように見える人でも、
それを表面に出さないだけで、
人知れず戦っている。

同時に、世の中には、
八方塞がれ、受難や、苦悩の嵐に押しつぶされそう
になっているひともいる。

それでも、負けずに生きている。

一生の内に体験することは、

先祖 ⇒ 親 ⇒ 自分

という流れのなかで、そのひと個有の因縁がその人の
運命の半分以上を支配する。

これは、言葉を変えれば 「 そのひと固有の課題 」

これは、偶然とかという問題ではありません。

実体験(現象)から学ばなければならない
課題があるのです。

その事によって軌道が修正されるのです。

その課題を、他力に頼り、
不可解な技や呪いで追い払ったとしても、
課題をあと送りにしただけに過ぎない。

名古屋の白ウサギは、
いまだかつて一度たりとも、
他人の課題を力任せに排除したことはない。

それでも、奇跡は起きるのだ。

ただ、その人の、
「 真実の姿 」を覆い隠す、
包みを剥がす切っ掛けを作っているだけだ。

恐れるなかれ、

どこからでも掛かって来い!!!
と思うとき、
「 課題 」以上のモノはやって来ない。

逃げると追いかけて来る・・・

他力に頼ると、課題に利子が付く

自分の体験の中から感じ、
培ったものを、「 自分 」という枠組みから切り離し、
「 自分以外の人の為 」
に役立てたいと決意するとき、
「 絶対的な価値 」が現われる。

得たい、得たい・・・
という心を、一旦白紙にしない限りは前には進めない。

「 絶対的な価値 」とは、因縁などとは次元が違う。

「 絶対的価値 」を観た者の未来は、
「 最善 」
しか有り得ない。

これこそが、宗教の本質であり、

真の幸福の原理であり、
繁栄の原理ではなかろうか?

御利益を求める宗教は、
淘汰されてゆくだろう。

最近の若い者は賢い・・・

大きな流れとして感じることは、
いかにも高等そうな、難しい屁理屈を並べる
「 打出の小槌 」のような理論は、
客(?)に、愛想をつかされ始めている。

実態は、外見や名声のみでは推し量れない。

コメント
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