名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

無心で徳を貫く

2016-06-04 | 宗教

ウサギの財布が呟いた・・・

善い人ほど、「 欠く、あらねばならない・・・」

「 善い行いをすれば、それが必ず自分に帰って来る 」

と強く思い、それに縛られている。

間違った事ではない。
紛れも無く、真理である。
マトモな人間なら、誰がどう見ても正しい考え方である。
これが判らない人間は・・ハッキリいえませんが・・・ 
「 極めて特殊なひと 」です。

だが・・・ここからが肝心である。
この、「 紛れもない真実 」には、その裏側に、
「 欠く、あらねばならない・・・」
という言葉を宿す。

潜在意識は、「これをしないとダメだ」
という意味に認識する。

「善い行いをすれば、それが必ず自分に帰って来る」とは・・・

「善行を積まなければダメだ」という否定的な意味を含む。

この、「 ダメだ 」が人間を不幸に陥れる大きな要素。

この「 ダメだ 」は、自己の深層部に対してのみ
否定的エネルギーを発するわけではない。

他者の良くない行いに対しても、
「 アイツはダメだ 」
「 あの人のような心がけはダメだ 」と囁く。

他者に対して発する想念(エネルギー)は、そのまま、
自分に跳ね返ってくる。

それ故、善い人、心優しいひと、
正義感の強い人、真面目な人、ほど、不幸になりやすい。

自分の内から発する、「ダメだ」という意識(念)を、
取り除かない事には、

いくら、善行を成そうとも・・
いくら慈善を成そうとも・・・
いくら徳を積もうとも・・
いくらお経を読もうとも・・
いくら、神仏に手を合わせようとも・・・

「ダメだ・ダメだ」の念を、更に強固なものにするだけ。

「 善行に意味など無い!!!」 
と思って執着を断ち切らないことには堂々巡りするだけ。

「 無心で徳を貫く 」事こそが、
神が人間に与えた自然な姿である。

「 完全武装 」された「 執着 」の奴隷になることが
一番恐い。

こういうタイプは、
生半可に宗教をかじり、不幸にも、「偉い先生」
になってしまった人に多く存在する。

こういう人間がバラ撒く弊害は甚大である。

それ故、宗教は、諸刃の剣なのだ。

自然な形で、バカになって、自分の内から湧き上がる
良心の声のみを聞くとき、
おのずと「善い行い」が湧き上がる。
おのずと「善い芽が実を結ぶ」

善良で、真面目な人が、懸命に精進しても、
これでもか!!! これでもか!!
と言わんばかりの受難の数々・・・

真面目に、懸命に精進する者が必ずしも、
その呪縛から開放される訳ではない。

マトモな事をしてもこの始末・・・

それがだめなら、バカになるしかない。

人間誰しも、自分の行為に対し、その意味や、意義を考える。

慈愛に満ちた行為も、その行いに対して、
「 意味 ( 因 )」や、「 報酬 ( 果 )」
を意識する。

だが、そこで足踏みしていては前に進めない。

 意味を求めない 
このとき、
初めて 「ダメだ」から開放されるのです。

この状態になったとき、何も考えなくても、何も求めなくても、
必然的に、最善なかたちで、
「 絶対因果 」の法則が機能するのです。
コメント
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