がんの患者さん、特に死を意識するとその心はとても複雑です。
死について話をしたい時と、全く否定して明るく楽しいことだけを夢見ていたいこともある。
なんかわかる気がしますよね。
こういう二極の考えを抱え、その時々で顔を出す感情はまちまち。
がん患者さんだけじゃないかもしれません。
不安を持っている事柄についてはみんなそうじゃないですか。
そうやって少し視点を変えると、ネガティブな言葉もとてもわかりますよね。
さっきまで死ぬという覚悟について話をしていたかと思えば、今は次の旅行先を考えている。
それが瞬間にかわるのを感じます。
どれもこれも全て真実。嘘ではありません。
人の心はいろんな思いが混在しています。対極する2つの思いがあるんだなぁって、感じる瞬間です。
死について話をしたい時と、全く否定して明るく楽しいことだけを夢見ていたいこともある。
なんかわかる気がしますよね。
こういう二極の考えを抱え、その時々で顔を出す感情はまちまち。
がん患者さんだけじゃないかもしれません。
不安を持っている事柄についてはみんなそうじゃないですか。
そうやって少し視点を変えると、ネガティブな言葉もとてもわかりますよね。
さっきまで死ぬという覚悟について話をしていたかと思えば、今は次の旅行先を考えている。
それが瞬間にかわるのを感じます。
どれもこれも全て真実。嘘ではありません。
人の心はいろんな思いが混在しています。対極する2つの思いがあるんだなぁって、感じる瞬間です。
もともと、一貫性なんて持っていなくて、その場の気まぐれに支配されているけど、「どうすればトータルで自分の立場が有利なのか?」という事を意識・無意識のもとで算段している。そんなケチでちっぽけな生き物だと思います。
ソフトウェアの世界で仕事をしていると、いつも「人間の不完全な部分を、どうカバーするのか?」というテーマに向き合わされています。
その中で、もっともエクセレントでスマートなソリューション(←かっこいい表現を使ってみました)ってのは、「人間の弱さをお互いに認めて受け容れて、足らざる部分を補強しあう」じゃないかなぁと思います。
学生時代は背伸びしてトンガッていた時期もありましたが、
今では、人間って、お互いの弱さを受け容れるところから、何かが始まるんじゃないかなぁ~って思っています。
若い頃は弱い自分を否定していましたが、今は弱くていいと思うようになりました。
自分も他人も弱いことを理解して受け容れたら、楽になりました。
またコメントお願いします(笑)