禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

日本はどういう国か?

2021-08-26 15:14:17 | 政治・社会
 誰だって自分の国のことを陰湿で冷酷な国であるとは思いたくないし、実際に思ってはいないだろう。しかし、スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん に関する仕打ちを見ると、日本は「お・も・て・な・し」の国とはかなりかけ離れていると認めざるを得ないのである。
 日本に来た頃はふくよかだった女性が、名古屋入管に収容中にすっかりやせ細り、やがて衰弱しついには死んでしまった。体調に問題があったにもかかわらず、十分な医療上の処置がとられていなかったと考えられる。以前から日本の入管のやり方には人道上の問題があるというのは周知の事実であったが、今回のウィシュマさんの事件でそれが一層はっきりした。
 衰弱したウィシュマさんが飲んだカフェ・オ・レを噴き出した時、職員は「鼻から牛乳や」と言って笑ったという。(参照=>鼻から牛乳」)この記事の中に出てくる看護師の態度もウィシュマさんに対してかなり冷淡である。おそらくこの職員も看護師も日常生活の中では、隣人に対して細やかな心配りを示す親切で善良な市民だと、私は想像している。ところが、日本の入国管理システムの中では、善良な市民がたやすく冷酷な職員や看護師となってしまうのである。
 ウィシュマさんの収監中のビデオ映像について、残存する13日分の開示を要求すると、なぜか編集済みの2時間分しか見せようとしない。ウィシュマさんの収容に関する文書の開示を求めると、1万5113枚の文書が開示されたが、なんと全て黒塗りだったという。1万5千枚もの資料を黒塗りにして開示する。なんと言う紙の無駄! このような無意味なことをやってのける、恥も外聞もない無神経さ!  この件についてはテレビや新聞でも報道されているが、名古屋入管の職員は自分の配偶者や子供にどのように説明しているのだろうか、とても気になる。
 この問題から浮かび上がってくる日本のイメージは、陰湿、冷酷、無恥というようなところだろうか。

 一昨日(8/24)東京高裁において、明治天皇の玄孫として有名な竹田恒泰氏が、戦史研究家の山崎雅弘さんに損害賠償などをもとめていた裁判の判決があった。(==>「東京新聞」)ことの発端は2019年11月に富山県朝日町教育委員会が中高生らを対象にした講演会に竹田氏を招いたことにある。そのことについて山崎氏がtwitter上で、竹田氏のことを「教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者だとすぐわかる」と評して、朝日町の教育委員会を批判したのだ。それで竹田氏は山崎氏を名誉棄損で訴えたわけである。
 この件は、今年の2月に東京地裁で「(山崎氏の投稿は)公正な論評で違法性を欠く」として、竹田氏の請求は既に一度棄却されていたものを、高裁に控訴していたものであるが、やはり今回も竹田氏の敗訴に終わってしまったわけである。
 それはそうだろう。「(中華民族は)民度の低い哀れむべき方々」とか、「韓国は、ゆすりたかりの名人」というようなことを公言するような人である。どれほど尊い血筋の人であろうが、民族や人種で人を判別し、さげすむようなことを言う人は差別主義者であると言われても仕方がない。
 竹田氏個人の信条は大した問題ではないが、地方の教育委員会が差別主義者の講演を中高生に聴かせようとしたことは問題である。講演を聴いた若者が竹田氏に共鳴するようになれば、外国から見れば日本は尊大で無知な国と見られるようになるだろう。

静岡県三島市 桜川 (本文とは関係ありません。)

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