禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

日本のリーダーは最悪の事態を想定したがらない

2021-08-14 06:33:19 | 政治・社会
 日本の政治家も経営者も楽観論に傾きやすい。確率の低い最悪の事態は無視して、手っ取り早く自分の手柄を挙げたがるのだ。東日本大震災の際の福島第一原発事故を思い起こしてみよう。下記の記事によれば、東電自体が設計の想定を超える津波が来る確率を「50年以内に約10%」と予測し、その事を2006年に国際会議で発表していたというものだ。

   
 50年以内に10%とといえば、500年に1度の確率になる。原発の事故はその性質上過酷なものになる、5百年に1度どころか百万年に一度の確率だとしても見過ごせないはずだ。それまで政府も電力会社も「原発は絶対安全」と呪文のように繰り返していたのだから。

 真のリーダーたるものは先を見通して最悪の事態を回避しなければならないと思うのだが、その判断は常に楽観的な方に傾きやすい。東電の経営者にしてみれば、5百年に1度なら自分の任期中にそれが発生する確率は何十分の1である。たぶん自分の任期中には起こらないだろう事故にそなえて大きな費用をかけても、自分の功績として評価される可能性は小さい。それよりも、目に見える利益を上げて自分の手柄にしたいと考える。政治家も同じである。いまさらオリンピックを中止にしたからと言って、コロナを根絶やしに出来るわけではない。オリンピックをやるよりやらない方がコロナに関してはましだろうが、大衆はそんなことを評価はしてくれない。それよりかは、多少コロナの被害は少しくらいは大きくなっても、オリンピックを実施して国民の気分を高揚させて衆議院選挙に突入した方が有利である。そんなふうに考えるのだろう。総理大臣になるような人には「自分を捨て石にしても国民を守る」ような気概を期待したいが、所詮ない物ねだりというしかない。

 とにかく、掛け声だけの政治家にはお引き取り願いたい。「今が勝負時」、「ここが正念場」というような掛け声を何度聞いたことか。勝負時や正念場がそんなに何度もあるわけない。欠けているのは政策と決断である。爆発的な感染の広がりで、すでに医療崩壊は始まっている。入院すべき人が入院できていない。自宅療養者が急激に増えている。訪問看護で対応するなんて訳のわからないことを言っているが、国立競技場に野戦病院を造るとか、オリンピックの選手村を宿泊療養所にするとか、そういう決断がなぜできないのか。自宅療養者が点在しているよりも、一か所に集中している方が医療側の負担がいくらか少ないだろうことは、誰が考えても分かることだと思う。

 現在の感染状態は「災害級」であると言われているからには、それなりの覚悟が必要である。パラリンピックは中止して、コロナ対策に集中すべきだと思う。

源兵衛川(静岡県三島市)
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