一昨日(6/11)の東京新聞の一面を見ると、「コロナで自宅死 119人」というタイトルが目に飛び込んできた。今年1月から5月末までの5か月間に、コロナに感染して自宅療養中に119人の方々が亡くなられた。人口1憶二千万の日本では、毎日数千人の人々が亡くなられているのだから、5カ月で119人くらいは大した数字ではないとみる見方もあるかも知れない。人口割にすれば百万人に一人、宝くじに当たるような確立である。大局を見る政治家にしてみれば、取るに足りない数字なのだろう。
私はそういう不条理な死は一人でもあってはならないと考える。人はいずれ必ず死ぬものだから、人事を尽くしたのちに死ぬのなら、それは致し方が無いことである。しかし、受け入れ先がないために入院も出来ず、必要な手当てもなされないまま病状が悪化して死ぬ、本来なら生きながらえていたはずの人がである。われわれはじっと手をこまねいて、それを傍観していたことになる。絶対にあってはならぬことである。オリンピックをやる余裕があるのなら、その費用と人材をコロナ対策に振り向けるべきではなかったか。オリンピックを断念すれば、少なくとも東京都の自宅療養者は選手村に集中させることが出来る。医療スタッフをオリ・パラ用に振り向けるの余裕など、初めから有りはしない。オリンピックを断念しさえすれば、それに関わっている東京都の職員を全部コロナ担当に振り向けることが出来る。コロナ感染者の濃厚接触者の範囲を広げて、もっと精力的にPCR検査を拡大していれば、感染をもっと縮小できたはずだ。
このままオリンピックを強行して、一応表面的には、それが成功裏に終わる可能性は十分にあると思う。しかし、おそらくオリ・パラ期間中にも自宅療養中に亡くなられる方がおられるはずだ。亡くなられたご本人とその周囲の方々にとっては、「なにがオリンピック、何がパラリンピックだ。」という思いを禁じ得ないはずである。そういう人々から目をそらし、私達は「やったー! 金メダルだ!」などと盛り上がっていてよいものだろうか? そんなことはあってはならないと思うのである。
今回のことがあって得た唯一の収穫が、「国際オリンピック委員会(IOC) がいかに愚劣な団体であるか」ということが分かったということだろう。日本に入国するオリンピック関係者は絞りに絞った結果約9万人になったという。その内選手が約1万5千人ほどである。あとの7万5千人は? 監督やコーチなどにしては多すぎる。ジャーナリストも何万人も必要ない。直接大会の運営に関わりのないIOC関係者が多すぎるのである。なかでも、115人のIOC委員を中心とする、いわゆるオリンピック・ファミリーが5千人もいる。一体何しにくるのか? 実際の大会の運営にはなにもタッチしない人ばかりなのである。しかもうるさいことに、先方の方からその待遇に細かい注文を付けてくる。「委員の移動用に公道に専用レーンを設けよ。」、「(委員のために)ホテルのバーは営業時間を夜遅くまで延長し、ミニバーにはコカ・コーラ社の飲料を置く。 」、「会場のラウンジに温かい食事を用意し、メニューは定期的に入れ替える」 等々、具体的な内容は次の記事の内容を見てもらえばわかるだろう。
クリック ==>「オスロ五輪招致撤退はIOCの接待要求のせい」
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ノルウェーはさすがに民度の高い国である。訳の分からない特権階級の理不尽な要求に対し公金を使えないと判断した。文明国はそうあらねばならないと思う。翻ってわが日本はどうだろう。開催国の栄誉をものにする為、公金をわいろとして使った疑いがある。当時のJOC会長の竹田恒和はフランスの捜査当局から贈賄容疑をかけられている。
スポーツは確かに素晴らしい。一流の選手が全身全霊を打ち込んでいるのを見ると誰もが心を揺さぶられる。しかし、そのこととオリンピックの陳腐さは矛盾しないということは知っておかねばならない。