北京オリンピックも終盤に差し掛かりテレビ観戦も一区切りにして一寸
里見方面へ。勿論、半端時間利用の三角点探し。
(1)四等三角点・天神山 300.08m N-36-20-56-24 E-138-55-02-19
所在場所は、天神山から東南230mの「前天神」と通称される山。
里見街道(406号線)を西進して「下秋間カントリー」の大看板のある信号を
左折して県道132号線、峠の頂点手前にこの看板。
ここを左折して梨畑の中の農道を直進約1㌔で農道四つ角、右折して登り進むと
整備された「天神山駐車場」。
ここから先ず天神山に行く。解説看板によるとこの山は、1566年の信玄の
箕輪攻めで消え去った里見城・雉郷城の物見砦でその名を「堂尾根砦」と云うらしい。
里見城址は現在の下里見・城山稲荷付近、雉郷城はその別名・猪ノ毛山から
推察すると次ぎに行く予定の三角点・猪ノ毛山のある所かも知れない。
駐車場脇の見事な山百合を見ながら舗装路を登って行くと
やがて左折して山手に入るところにあと600㍍の道標、
軽い散歩程度と思ったら照り返しのキツイ急坂。何とか乗り切って平坦道を
木立に入ると間も無くあと100㍍の看板で林道と別れて右折。
やがて東屋が見えて頂上広場着。
広場には石像や石宮。
頂上標識も三つ。先ず1993-12-19に移動通信の重鎮さんが付けた物が健在。
これは「安中の山に登ろう会」のものとサイン不明の1枚。
ここで思わぬ拾い物、何と予想もしなかった「東鑛」標石があつた。早速
研究者の舘沢氏に連絡を入れておこう。
休憩もそこそこに本命の三角点を求めて「前天神」を目指して東南への尾根。
直線距離は僅かに230m程、緩やかに遊歩道を下ると再び東屋の小ピーク。
その裏の小高い丘の草叢に三角点・天神山を発見。直ぐに下山開始。
(2)二等三角点・猪毛山 373.68m N-36-21-37-96 E-138-53-40-98
猪毛山三角点は重鎮さんがかって「安中アルプス縦走路」と称した安中・里見の
境界尾根にあり、位置は浅間山と雉尾ヶ峠の中間位。取り敢えず浅間山からの
縦走と考えて132号線に引き返して反対側の林道に右折。間も無くこの道標で
左に登り上げて浅間神社の駐車場。
鳥居下からの石段は長いので敬遠し、右に附けられた登山道。
山の上には小さな神社、ここから西への乗り越し道を探るも断崖で駄目。
再び駐車場に戻って西に伸びている踏み跡を辿りさっきの断崖を抜けて
稜線を辿る積もりだったが途中からこんな叢、強引に分け入って進むが
稜線の物凄い薮に辟易して撤退。縦走は諦め。たつたの600mの距離なのに。
林道を辿って今度は北からの挑戦に切り替え。大きく蛇行する林道を
左手の稜線の具合を見ながらナビの距離を注視しながら約1.2k。
目標まで220m地点で左に梅林を見つけて駐車。
多分、ここが尾根の垂れと判断して梅林を進むが80m程のこの石宮で
梅林は終り。石宮の銘は寛政四年(1792年)、爺イご贔屓の大黒屋幸太夫が
ロシア使節・ラックスマンに伴われて根室に帰還した年だ。
周囲を観察すると雑木林に向かって踏み跡、小枝を拾って蜘蛛の巣を
払いながら進むと明らかに「堀切」が現れて城址の雰囲気十分。
丁度、吉井の八束山頂上手前の堀切に似ている。堀切の左の郭に登り
雑草の中を探索。
白い国土院の杭発見、その左手前の草の中に一辺15㌢の大形三角点。
流石に二等は堂々たる物。
それにしても尾根の垂れの見極めでの
勘の良さに自画自賛。ボケは未だ先の話だーーと思いたいが
爺イにとってのオリンピック観戦はこれが最後の予感。
里見方面へ。勿論、半端時間利用の三角点探し。
(1)四等三角点・天神山 300.08m N-36-20-56-24 E-138-55-02-19
所在場所は、天神山から東南230mの「前天神」と通称される山。
里見街道(406号線)を西進して「下秋間カントリー」の大看板のある信号を
左折して県道132号線、峠の頂点手前にこの看板。
ここを左折して梨畑の中の農道を直進約1㌔で農道四つ角、右折して登り進むと
整備された「天神山駐車場」。
ここから先ず天神山に行く。解説看板によるとこの山は、1566年の信玄の
箕輪攻めで消え去った里見城・雉郷城の物見砦でその名を「堂尾根砦」と云うらしい。
里見城址は現在の下里見・城山稲荷付近、雉郷城はその別名・猪ノ毛山から
推察すると次ぎに行く予定の三角点・猪ノ毛山のある所かも知れない。
駐車場脇の見事な山百合を見ながら舗装路を登って行くと
やがて左折して山手に入るところにあと600㍍の道標、
軽い散歩程度と思ったら照り返しのキツイ急坂。何とか乗り切って平坦道を
木立に入ると間も無くあと100㍍の看板で林道と別れて右折。
やがて東屋が見えて頂上広場着。
広場には石像や石宮。
頂上標識も三つ。先ず1993-12-19に移動通信の重鎮さんが付けた物が健在。
これは「安中の山に登ろう会」のものとサイン不明の1枚。
ここで思わぬ拾い物、何と予想もしなかった「東鑛」標石があつた。早速
研究者の舘沢氏に連絡を入れておこう。
休憩もそこそこに本命の三角点を求めて「前天神」を目指して東南への尾根。
直線距離は僅かに230m程、緩やかに遊歩道を下ると再び東屋の小ピーク。
その裏の小高い丘の草叢に三角点・天神山を発見。直ぐに下山開始。
(2)二等三角点・猪毛山 373.68m N-36-21-37-96 E-138-53-40-98
猪毛山三角点は重鎮さんがかって「安中アルプス縦走路」と称した安中・里見の
境界尾根にあり、位置は浅間山と雉尾ヶ峠の中間位。取り敢えず浅間山からの
縦走と考えて132号線に引き返して反対側の林道に右折。間も無くこの道標で
左に登り上げて浅間神社の駐車場。
鳥居下からの石段は長いので敬遠し、右に附けられた登山道。
山の上には小さな神社、ここから西への乗り越し道を探るも断崖で駄目。
再び駐車場に戻って西に伸びている踏み跡を辿りさっきの断崖を抜けて
稜線を辿る積もりだったが途中からこんな叢、強引に分け入って進むが
稜線の物凄い薮に辟易して撤退。縦走は諦め。たつたの600mの距離なのに。
林道を辿って今度は北からの挑戦に切り替え。大きく蛇行する林道を
左手の稜線の具合を見ながらナビの距離を注視しながら約1.2k。
目標まで220m地点で左に梅林を見つけて駐車。
多分、ここが尾根の垂れと判断して梅林を進むが80m程のこの石宮で
梅林は終り。石宮の銘は寛政四年(1792年)、爺イご贔屓の大黒屋幸太夫が
ロシア使節・ラックスマンに伴われて根室に帰還した年だ。
周囲を観察すると雑木林に向かって踏み跡、小枝を拾って蜘蛛の巣を
払いながら進むと明らかに「堀切」が現れて城址の雰囲気十分。
丁度、吉井の八束山頂上手前の堀切に似ている。堀切の左の郭に登り
雑草の中を探索。
白い国土院の杭発見、その左手前の草の中に一辺15㌢の大形三角点。
流石に二等は堂々たる物。
それにしても尾根の垂れの見極めでの
勘の良さに自画自賛。ボケは未だ先の話だーーと思いたいが
爺イにとってのオリンピック観戦はこれが最後の予感。
あれから山中湖(富士五湖)や相模湖付近の山で3回見かけ、一昨日精進湖(富士五湖)でまた見かけました。
教えていただいてから、友人たちにも由来などを話しています。
また何処かの山で、見つけたいです。
宮標石を各所で発見されて居ることはHPで拝見しています。
もし、宜しければ宮標石の情報を埼玉の研究家の舘沢氏や
三角点研究の本家的存在の京都の上西氏に連絡してしては
如何ですか?
上西勝也氏 uenishi.katsuya@nifty.com
舘沢省吾氏 sankaku@md.point.ne.jp
今年の夏は天候不順を言い訳にして殆ど山には
行っていませんが、秋口には何とか再開したいと
思っています。
参考にしてくだされば嬉しいのですが。