クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

古戦場・嵩山のあれこれ H-18-11-29

2006-11-29 20:55:44 | 中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川
11/28の読売新聞に「戦国若城主偲ぶパン」という記事が載った。
中之条・五反田地区にある戦国時代の古戦場・嵩山に因む話である。
歴史は後述するが、ここで自決した「城虎丸」にちなんで地元の
「オリンピックパン」さんが「城虎丸パン」を発売し大好評との事。
今年の4月、全山霊山と言われる嵩山の百体に及ぶ観音像の大修復が完了
したのでそれを記念しての事という。
天気も良いので嵩山訪問を兼ねてそれを確めるべく中之条へ向かった。
中之条駅前の少し先の某信金駐車場に車を止め、嵩山への右折信号手前の
「オリンピックパン」さんを訪問。店主の藤生さんが細かく対応してくれた。
写真は左が藤生さん、右が爺イを駐車場から店まで案内してくれたご近所さん。


パンの上の三つの干し葡萄は、城虎丸とその父・兄を意味すると言う。
この計画には軍師がいた。中之条駅前で喫茶店を営む湯浅さん、中之条の
「観光ガイドボランティアセンター」の代表幹事としてこの町の観光事業の
振興に奮闘されている方。新聞にセンターの発案でと書かれたその本人。
センターは修復事業にも協力、藤生さんもガイドさんの一人だったとか。


いろいろ、お土産まで戴いて恐縮しながら観音像修復の具合を見に嵩山に向かう。
「たけやま館」駐車場は平日とあってひっそり。正面に「親都神社」の大ケヤキ。

表登山道に廻ると登り始めに直ぐ第一番の観音像がある。全山では番号付きの
観音像が33番まであるが、複数体のところもあるので確実に33体以上。

それに経塚手前の「御城の平」に70体はある。
修復事業完成記念碑も。

急登をジグザグ道でゆっくり登って取り敢えず「天狗の広場」。
左折して「小天狗」に登る。ここからの展望はまずまず。西のほうに
妙義が微かに見えたが、長野・新潟方面は雲が多くて遠望は利かない。

榛名山は北からの全景がバッチリ。

榛名の北に吾妻川に沿った中之条の町並みが良く見える。

石宮前で記念撮影。

風も冷たいので再び広場に下り東屋で休憩。一人登山者が来たので挨拶したが
返事無し。展望を求めて「中天狗」へ。ここからは東面が良く見えるが
丁度、十二ヶ岳と小野子山が重なってしまうので少々残念。

更に大天狗方面に行くと問題の「御城の平」。ここの70体以上の観音像は
一番破損が激しかったが、何と完璧に全体が修復されている。大変な労作。

すっかり安心して五郎丸方面に進むが、道が荒廃しているので引き返し
大天狗の鎖も敬遠して「一升水」へ、ここ周辺の六体も首が欠損していたが
修復済み。

足場の悪い「弥靭穴」や登りなおしの「胎内くぐり」を見てから東口から帰着。

嵩山の悲劇(H-15-11の爺イの記事より)
この山城は戦国時代には岩櫃城の出城であつた。岩櫃城は当時、斎藤一族の居城であり上州最大の城郭であり、後に甲斐の岩殿城、駿河の久能城と共に武田三大名城と言われたくらいである。1560年代、真田幸隆と斎藤氏は激しい攻防を続け、1563年に斎藤憲広・憲宗親子が岩櫃城を追われ、越後に逃れたあと、憲広末子の「城虎丸」が家臣に擁され、この嵩山に立て篭もる。
1565年、憲広は再度反撃に出て岩櫃城を攻めるが、策謀に長けた幸隆は憲広と和睦し、重臣を調略して軍勢を引き上げさせ、その後に嵩山を総攻撃した。上杉の支援も得られず城虎丸は嵩山大天狗の岩から投身自決し、将兵全てが自決した。その後、信玄は幸隆を吾妻郡守護とするが、1574年に幸隆が病死した後は嫡子・信綱が、長篠で信綱と次男・昌輝が戦死すると三男・昌幸が吾妻を治める。
昌幸は嫡子・信幸を後継として吾妻を治めさせ、次男・幸村も少年時代を岩櫃で過ごしている。勝頼の末期、昌幸は岩櫃城に武田を迎えようとするが失敗、勝頼は天目山で虐殺される。昌幸は真田の保持に奔走し織田・北条・徳川・上杉・豊臣と主君を渡り歩くことになる。1590年、北条の滅亡で信幸は沼田城主となり徳川に仕え、幸村は秀吉の大阪に出仕する。岩櫃は沼田の支城となるが、1600年の関が原では昌幸は幸村と共に上田城で秀忠の大軍を食いとめ遅参せしめるが西軍の敗戦で流罪となり、昌幸は現地で死亡、幸村は1615年の大阪城の攻防で戦死している。信幸は家名を保つが、1615年に家康の発した一国一城令によって岩櫃城は嵩山共々その城の歴史を閉じた。11/17が城虎丸の命日と聞く。

ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 雨ん坊主を簡便コースで周回... | トップ | 吉井の里山巡り(2)八束山 H-... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
山歩き (tomo)
2006-11-29 23:43:54
爺様 元気に動きまわっていますね。
私の方は、熊は冬眠したようですが、上越国境の山歩きが雪のためできなくなりました。
今度何処かご一緒しませんか。
よろしければ、メールを待っています。
返信する
こちらも冬眠 (爺イ)
2006-11-30 07:17:47
爺イも十二月から冬眠に入り、吉井・甘楽の
里山と峠道探索に切り替わります。
tomoさんに教えてもらった携帯ラジオも
結構板につき、単調な林道歩きの時など
熊避け用兼自分用で楽しんでいます。
多分、熊の活動が静まる期間も常備品になりそうです。
返信する

コメントを投稿

中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川」カテゴリの最新記事