クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

安中茶臼山再訪 R-3- 6- 1

2021-06-04 14:13:28 | 安中・松井田
昨日、コロナワクチンの第一回の接種をした。これに関する
昨今の情報過多により聞きなれないアナフィラキシーショック
を始めとする接種後の副反応(これも副作用に替わる新語?)が
刷り込まれているので当日の午後は大人しく自宅に引っ込んで
いたが接種箇所を抑えれば鈍痛が感じられるほかは何の異常も
無いので今日は軽く低山登山。
但し、念のため殆ど体力の消耗の無い安中茶臼山 596m。

R-406からr-130、r-48と乗り継いで新幹線・安中榛名駅へ
向かい直前で風戸峠方面に方向転換して「森熊林道」へ
入る。



狭い林道を暫く進むとこの道標で関東ふれあいの道と
クロスする。この地が日陰本庄という訳ではなく
このコースは群馬NO.13の「山菜の道」で西秋間の
恵宝沢を発して双神道祖神で有名な倉淵三ノ倉落合信号
の手前の日陰本庄を終点とする 7.4km。



更に進んで丁字路で直進して「森熊支線」、随所に泥濘の
場所があるなどやや路面は悪くなるが走行には支障はない。



この壊れたゲート跡の手前の幅広箇所が駐車場所。



すぐ手前から南にこれから歩く作業道跡が開いている。



平坦な道は右に湾曲して伸びていく。時々支線の
様な跡があるが一切無視。



再び南に向いた道跡はやや下り気味の直進路。
この北コースは登山口が既に標高で 590m だから
頂上直下迄ほとんどが軽い下り道で楽。但し
ピストンする帰路は登りが殆どなので通常登山の逆。



30分近く進むと小さなハゲ地の先から山道風になる。



こんな植林地帯を進むと



珍しく前方に段差。



そこは今まで右手上方にあった尾根道との合流点。



踏み跡不明な伐採材散乱個所を通過。



やがて堀切手前の突起に乗り上げるので



少し戻って左の迂回路を使って回り込み。



突起を回り切るとそこは堀切。目の前に「土居跡」の
標柱。土居って土塁の事かな?



中程に「堀切跡」の表示。



一番南に「虎口」とあるが覗いてもその感じなし。



先程迂回した堀切背後の突起を下から眺める。



行く手はこちらの土塁の乗り越え。



別段の登路の踏み跡は無いので虎口側から乗り上げ。



土塁の上には古い境界杭の様なもの。



本丸周りには腰曲輪。



本丸には正面の笹を分けて登る。




頂上郭は笹原の中の雑木林。



相変わらずの逆さま状態の標識。



かってこの山頂を賑わせていた標識群。



この城址の概略図。北西から登って来たのだ。



一休みして本日の宿題、複数宮標石の探索とかつて
諸先輩たちがブログに書いた城址由来説明看板の
残骸捜索に掛かる。

先ず、前回南側で宮標石らしきものを見ているが
土に埋もれていて確認できなかった。
今日は三角点捜索の補助具である「園芸用シャベル・
ボトル一杯の水・汚れ落とし用の軍手」を持参。
これはかって三角点探訪に熱中していた頃、知遇を
得ていた京都の測量・測地学研究家の上西勝也氏を迎えて
前橋・新堀の利根川改修水準点、観音山・乗附山の
亜炭坑鉱区に使われた「東鉱」標識、伊香保温泉千明仁泉亭
の築地脇の標高経緯度測定に関する故事記録などを
案内した時に教えられた簡便法。
そして掘り出した南の宮標石。



本丸周辺をぐるりと探索北西側で二基発見



オマケの様に頂上標識から数メートル西で朽ち果て
かけている由来説明看板を発見。
左が過去の姿、右が笹原から拾い出した現在のもの。



予定を全て終わって本日の爺イ。



休憩中に蝶が靴の先にとまって動かない。休んでいるのか?
或いは靴の汚れの中に好物が紛れているのか?
若しかすると異性の飛んでくるのを待っている?



帰宅してからも体調に異常はないが僅かに何となく
体が重いというか? だるさの様なものもあるので
明日は外出は止めておこう。

ご来訪の序に下のバナーをポチッと。
登山・キャンプランキング
27勝19敗9分 (06/03)現在 二位 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コロナワクチン第一回接種終... | トップ | 榛名山麓史跡巡り  R-3 - 6- 3 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

安中・松井田」カテゴリの最新記事