クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

雨ん坊主を西コースから H-23-4-17

2011-04-18 10:27:19 | 倉渕・長野原・草津・嬬恋
止まない余震を気遣いながらも十日振りの山行き。狙いは「雨ん坊主」の
西コース。R-406、R-54を乗り継いで自宅から40Kの
「はまゆう山荘」の県道側駐車場の隅に車を置かせてもらう。
かつてのここは「横須賀市民休暇村」として横須賀市制80周年の
記念事業で建設されたが、平成大合併で倉渕村が消滅し友好都市が
解消されたので平成17年に移管されたもの。横須賀に製鉄所を作った
小栗上野介は領地が倉渕、そして終焉の地でもあり東善寺の墓所
に眠るという関係。「はまゆう」は横須賀市の「市花」。
駐車場から県道を挟んだ反対側に林道・赤沢線入り口、角落山
登山口の道標がある(10.00)。



やや下り気味に進むと「広鈴橋」で烏川を渡るが川筋は豪快な流れ。



林道は直ぐに上りに入ると左手の山手には複数の小道。
最初は閉鎖の「烏淵県有林」入り口。因みに「倉渕」は「川浦・岩
氷・水沼の烏淵村と「三ノ倉・権田」の倉田村の合併による。



その先に「広葉樹の森」と「中央広場」の道標が続く。





やがて目印の「三洋の森」看板、近くに大きな案内図。三洋は2005年に
烏淵県有林の2haを三洋の森に設定し労使協調で毎年整備を続けていたが
2011-4-1にはパナソニックの傘下で完全子会社になってしまったから
今後はどうなるんだろうか?
写真で見られる「GAIA(ガイア)」とは、NASAの火星探査計画に携わった
J.E.ラブロック博士らが提唱したもので、「地球は緑の生命体として
生きている。人間を含めてすべての動植物がそこに共生している」という考え方。
ギリシャ神話の大地の女神の名を用い、この生命体(地球)を
「GAIA(ガイア)」と呼んだもの。
ここから林に入っていく。





間もなく分岐道標、折角だから「角落山展望歩道」を選択。



何とも気分の良い林間の道。暫くで蛇行しながらの斜面登り。



一寸、右後ろを見ると立派な山塊。角度が違うので矢筈の形は
見えないがこの綺麗な円錐形は「浅間隠山」だろう。



そして右前方には峻険の「角落山」が早くも姿を見せる。



再び道標、熊に齧られたか? 肝心の雨ん坊主の文字が半欠け。



前方にやや大きい山が見えたが、これは未だ角落ちからの稜線ではない。



小突起にも見えるコブには木枠段付きの御親切。



稜線への尾根道を辿ると



やがて前面に稜線が見えた。



この道標で右に進むが、直進の広葉樹の森への道は閉鎖。





何とも複雑な岩場の窪地に到着。近くにここから往復2時間の
表示。



この危険注意看板がこの先の数箇所設置されていてやや緊張。



右手に氷曝? 若しかすると小型の堰堤の溜りが凍っている?



再び木枠段で大分楽をさせてもらうと



今度は左下の沢に残雪。



振り返ると雪解けの浅間山、まるで鯱の紋様だな。



巨大な岩帯に接近、此れは右から大迂回。



途中に小さな崩落地、下地がしっかりしているので難なく通過。



東に回りこむと目標の雨ん坊主が現れるが何とも難しそうな
尖塔だ。



漸く東側に完全に廻りきるとこの赤テープで尾根に乗る。



ここからは笹原の始まり、やや深いところもあるが踏み跡は
ハッキリしているので心配なし。



右下に大きな崩落跡、だが登路にまでは達していない。



最後の道標と思われる杭の残骸。付近にはバラバラになつた表示物が
散乱、これも熊の怒り?





大分、本体に近づいた。あと東端の三角点まで水平距離270M、
標高差は等高線9本位。岸壁の様子では爺イの手に余る。



直下に立って登路を観察、左目にテープが見えたので入り込む。
適当に岩場を進むと踏み跡を見失って立ち往生。



右左にウロウロするとこのテープを発見して助かった。下には
はっきりと登路。



この後は踏み跡を慎重に辿って西端から山頂に到着(13.10)。
目の前に石宮。



標識は三つ。







枯葉の中を東端に進むと半ば埋もれた二等三角点・川浦が辛うじて
頭を出している。



南の妙義方面は完全に春霞でうっすら程度、北方面の山々。







本日の爺イ、脹脛が相当張って一休みで昼食。



月遅れながら山楽会代表幹事だった川俣さんの三回忌(3/8)をここで、
たった一人で山上の慰霊祭。写真はその前年の極楽トンボさん慰霊登山
での集合写真。あにねこさん、オッサンさん、お気楽マサさん、
hishiyamaさんなど、桐生のお歴々の揃い踏みだつた。



休憩後、疲れた足を労わりながら急降、上からは踏み跡が明確に
見えるので迷い無く笹原に。



振り返って雨ん坊主を再び。



帰路は意外に登り返しが多くて辟易、休止多数。



長い迂回路では角落の雄姿を再び堪能。



この分岐では往路と違った針葉樹の森方面へ。



再びの分岐では中央広場方面を選択。



広場は質素なもの、遊歩道案内の看板で周辺を概略理解。





広葉樹の森方面に少し進んで炭焼き跡、昭和30年代まで稼動。



そして直ぐ下の林道に降りたって今日も無事に帰着(15.30)。



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2 コメント

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ありがとうございます (砂女(楚巒山楽会代表幹事代行))
2011-04-21 01:54:26
あっという間に二年経って、クタビレ爺イさん、かわまたのこと忘れずにいてくれてありがとうございます。

山のご縁は不思議なものでわたしはいまや彼と歩いていたときよりも、あにねこさんや桐生みどりさんに鍛えられながらできればかわまたが残した「やまの町 桐生」にもう少し記事を増やしたいとせっせと歩いて、極楽とんぼさんの追悼の集まりからはこの春でもう丸三年、昨年は年末に慰霊碑まで歩きました。

雨ん坊主、素敵な名前で綺麗な三角錐の山の形も面白い。
笹原の道は気持ち良さそうで、こんな道、かわまたは大好きでした。

わたしひとりでは新しい山はなかなか覚束なく、HPの記事の更新も滞っていますが、どうぞ末長いおつきあいよろしくお願いいたします。
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RE;三回忌 (クタビレ爺イ)
2011-04-21 09:00:21
川俣さんとは吾妻山で出会ってから数年の短いお付き合いでしたが沢山の御教示を戴きました。
「やまのまち・桐生」は他に例を見ない纏まりで特徴のある概念図共々貴重な資料です。
是非、永らくの存続を願っています。
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