
元日、拙宅の近くの国道17号線沿線で恒例の実業団駅伝を見送った。
尤も未だ集団は殆どばらけていないので目の前を瞬間的に通り過ぎる
だけなのだかこれを見ないと何となく元旦気分にならない。
その後、直ぐに隣保班の新年あいさつに顔を出してから高崎駅西口の
歩行者天国で開催されている「高崎ダルマ市」へ。
ここ高崎市では豊岡地域を中心に「高崎だるま」の伝統が220年受け継
がれている。日本の吉祥である鶴と亀が顔に描かれていることから
「縁起だるま」「福だるま」とも呼ばれている。この鶴と亀は図案化
されているので一見では判別しにくいが市の広報から画像を拝借すると
こんな配置のものだ。

高崎だるまは旧豊岡村が1955年に高崎市と合併するまでのおよそ140年の間、
「豊岡だるま」と呼ばれていたが現在は「高崎だるま」として
商標登録がなされ全国に名が知られるようになり群馬県指定の
「ふるさと伝統工芸品」にもなっている。
その昔からダルマ市は毎年1月、少林山達磨寺で「七草大祭だるま市」
として行われていたが2015年頃から同寺と露天商団体が運営を巡り
対立してしまった。
対立の原因は「祭りの経費負担にあった」といわれ2016年は製造組合が
露天商側に同調して出店拒否をしたので殆ど出店は無かったらしい。
その後、高崎市や観光協会が仲介を計ったが折り合いはつかず
遂に「少林山VS群馬県達磨製造協同組合、高崎市、高崎市観光協会」の
構図となり2017年から高崎駅西口から300m程を歩行者天国にして
「高崎だるま市」が始まった。だが達磨寺の「七草大祭だるま市」の
名が消滅したとは聞いていない。
あらまち信号から駅方面に向かうと車道一杯に観客が溢れているが
西側に20団体が出演するイベントステージ、その先に「開運たかさき食堂」
と称する出店が道の両側に長々と並び、人気店に順番待ちで並ぶ人波が
路上を占拠するのでまるで年末の「アメ横」状態。

ダルマ市はそれから更に駅よりに配置されている。

人混みを分けていくと突然「高足怪人」が出現、一寸追っていくと
頼政太鼓が始まるとのアナウンスが入ったのでイベントステージに
戻る。
高足怪人
高崎のイベントには常連の「頼政太鼓」。
大体、明治維新までの高崎の最大の祭りは一月の頼政神社祭礼であつた
らしい。「頼政」って誰かといえば、似仁王と共に頼朝より早く平家討伐
の軍を起すも武運つたなく1180年に宇治・平等院で討ち死にした源三位の事。
武人にして歌人、 鵺(ぬえ)退治でも有名な頼政が何故に高崎と縁があるのか?
そこに登場するのが大河内氏出身の高崎藩主・松平右京こと輝貞殿。
輝貞の在任中にその祖先たる頼政を祭る頼政神社を建設したのだ。
大河内氏は頼政の猶子を祖としており、12代目の正綱の時、松平に養子に
入った。この正綱の子が知恵伊豆・信綱、その弟・正信の孫が輝貞という
関係である。
頼政太鼓
さて再び群衆に紛れて見物。
ダルマ市観客
中間付近に大ダルマか設置され願い事の寄せ書き。
ダルマ寄せ書き
肝心のダルマ市の様子を一寸だけ。
ダルマ直売店
ワシントンホテル脇の大ダルマで歩行者天国はオワリ。

帰りは運動不足を補うため約40分かけて徒歩で帰宅。
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尤も未だ集団は殆どばらけていないので目の前を瞬間的に通り過ぎる
だけなのだかこれを見ないと何となく元旦気分にならない。
その後、直ぐに隣保班の新年あいさつに顔を出してから高崎駅西口の
歩行者天国で開催されている「高崎ダルマ市」へ。
ここ高崎市では豊岡地域を中心に「高崎だるま」の伝統が220年受け継
がれている。日本の吉祥である鶴と亀が顔に描かれていることから
「縁起だるま」「福だるま」とも呼ばれている。この鶴と亀は図案化
されているので一見では判別しにくいが市の広報から画像を拝借すると
こんな配置のものだ。

高崎だるまは旧豊岡村が1955年に高崎市と合併するまでのおよそ140年の間、
「豊岡だるま」と呼ばれていたが現在は「高崎だるま」として
商標登録がなされ全国に名が知られるようになり群馬県指定の
「ふるさと伝統工芸品」にもなっている。
その昔からダルマ市は毎年1月、少林山達磨寺で「七草大祭だるま市」
として行われていたが2015年頃から同寺と露天商団体が運営を巡り
対立してしまった。
対立の原因は「祭りの経費負担にあった」といわれ2016年は製造組合が
露天商側に同調して出店拒否をしたので殆ど出店は無かったらしい。
その後、高崎市や観光協会が仲介を計ったが折り合いはつかず
遂に「少林山VS群馬県達磨製造協同組合、高崎市、高崎市観光協会」の
構図となり2017年から高崎駅西口から300m程を歩行者天国にして
「高崎だるま市」が始まった。だが達磨寺の「七草大祭だるま市」の
名が消滅したとは聞いていない。
あらまち信号から駅方面に向かうと車道一杯に観客が溢れているが
西側に20団体が出演するイベントステージ、その先に「開運たかさき食堂」
と称する出店が道の両側に長々と並び、人気店に順番待ちで並ぶ人波が
路上を占拠するのでまるで年末の「アメ横」状態。

ダルマ市はそれから更に駅よりに配置されている。

人混みを分けていくと突然「高足怪人」が出現、一寸追っていくと
頼政太鼓が始まるとのアナウンスが入ったのでイベントステージに
戻る。
高足怪人
高崎のイベントには常連の「頼政太鼓」。
大体、明治維新までの高崎の最大の祭りは一月の頼政神社祭礼であつた
らしい。「頼政」って誰かといえば、似仁王と共に頼朝より早く平家討伐
の軍を起すも武運つたなく1180年に宇治・平等院で討ち死にした源三位の事。
武人にして歌人、 鵺(ぬえ)退治でも有名な頼政が何故に高崎と縁があるのか?
そこに登場するのが大河内氏出身の高崎藩主・松平右京こと輝貞殿。
輝貞の在任中にその祖先たる頼政を祭る頼政神社を建設したのだ。
大河内氏は頼政の猶子を祖としており、12代目の正綱の時、松平に養子に
入った。この正綱の子が知恵伊豆・信綱、その弟・正信の孫が輝貞という
関係である。
頼政太鼓
さて再び群衆に紛れて見物。
ダルマ市観客
中間付近に大ダルマか設置され願い事の寄せ書き。
ダルマ寄せ書き
肝心のダルマ市の様子を一寸だけ。
ダルマ直売店
ワシントンホテル脇の大ダルマで歩行者天国はオワリ。

帰りは運動不足を補うため約40分かけて徒歩で帰宅。
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