クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

吉岡町の史跡探訪(1) H-21-2-14

2009-02-16 16:41:07 | 伝説・史跡探訪
吉岡町の三角点探訪の道すがら目に付いた史跡も周った。
但し、序の訪問なので膨大な数の吉岡の史跡からすればごく僅かの
件数に過ぎない。

小出神社



吉岡町に数少ない「水準点」を探していたら小出神社境内にあった。
この地域は「陣場」という。陣場の地名の由来は幾つもあるが
千葉常将がその子・相満丸を巡る船尾山とのいざこざの時の陣場とか
大田道灌が1477年頃に陣を張ったとか。
しかし、小字に「御所」と云うのが残っているので桓武天皇の799年に
葛原親王がこの地に御所を置き陣所を建てたという最古の伝承を
信じたくもなる。
ここの名物は1808年建立の「常夜燈」、かつては三国街道沿いにあつた。



陣場出身の篤学の士として名高い「石関黒山」の顕彰碑。



境内には大型石造物多数。
「雷神宮」は1856年の作で落雷除けの願。



「秋葉大神」は1773年の作で「火伏せの神」



「道俣神」は1855年の建立で石関黒山の書。首を行で挟む字はパソコンでは
対応不能のため「みちまたの神」らしいので「道俣神」とする。



読み取れないが多分「天王様」、7月に農休み、祇園祭で祝うとか。



桃井大藪城址



三角点「城山」のある所。桃井氏の居城。全景はこんな感じ。



頂上には城址説明板が一つだけ。



城址図



榛名の展望が良いが、勿論南方面は一望の下。
桃井氏の興亡は別稿を予定している。



歴史を誇る「桃井」の地名は今や忘れ去られようとしている。
かっての「桃井小」も今は「榛東北小」。
細かく探せば榛東に「桃教寺」とか「桃広」「桃泉」の名に接するが。
旧村名の名残は相馬山東麓・柏木山と榛名カントリーの中間にある。




上八幡神社



桃井・大藪城址の山の南麓、桃井尚義の勧請と伝わる。



これが社殿



下八幡神社と同じく祭礼に奉納の獅子舞は無形文化財。



不動尊・金剛寺跡



桃井大藪城址の南の麓。上八幡神社の西隣で金剛寺は遠い昔1021年の
創建と伝わり桃井氏の庇護を受けていたと言われるが1871年に焼失。
今は不動堂のあることから「大藪不動」。但し入り口には「金剛寺跡」の
看板。



不動堂の右手にある宝篋印搭は指定文化財。造りの細かい説明があるが
やや難解。



不動堂



その鴨居に薄い金属片の鳥居などが奉納してある。



下八幡神社



創建は1225年に足利義胤が桃井庄の地頭になり「桃井遠江守義胤」と
名乗った時、源氏の氏神の八幡宮を勧請したと伝わるが、一説には
1696年の創建とも。



祭礼の時に奉納する「獅子舞」は無形文化財。



社殿に近く文化財指定の「下八幡宮の石祠」があるが



その屋根の両端に鬼?の面。華蔵寺のものより怖い顔。




「御嶽山大神」の巨大石碑。



正福寺



野田神社や華蔵寺の近く、創建は明確ではないらしい。
鐘楼があつたが新しいので由縁は不明。



「地蔵堂」が町指定の文化財。



こんな像もあつたがどうも謂れがあるとは思えない造り。



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