クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

近郊史跡巡り R- 5- 1-31

2023-02-02 10:03:43 | 伝説・史跡探訪
気温が少し緩んだので近辺の史跡探訪紛いの散策。
思い立ったは爺イのブログで榛東十二社の事を愛宕神社という
「困ったさん」も居ると書いたら「山はこれからさん」から
「愛宕神社なら、金古(旧群馬町)にもありますよ」と
知らされたから。

高渋バイパスの上宿で旧道を突っ切り「西上宿」の次の信号で左折、
100m位で丁字路にぶつかり左を見れば神社の森が見える。

駐車場は無いので近所に路傍駐車。神社は小振りながら
庚申塔や鳥居で神社の態をなしていた。



拝殿までは大分すり減り落葉も堆積した石段。



横手には石宮などが乱雑に並んでいる所から
察すると世話人も居ないのかな?



拝殿と本殿。



右脇に「愛宕山古墳」の玄室入口が整備されいている
から神社は古墳の上に建設されているらしい。



其の他には神社沿革などの説明板もなので退出。
序にここから800mほど西に「成果状態不正常」として
国土院地形図には載っているものの詳細記録が
消されている点名を「新開」という三角点がある
筈なので探索に向かった。途中の「ゆうすげの湯」
に駐車して所在地は探しあてたが生憎の事に某工場の
敷地内でしかも工事場所の真ん中で断念。いずれ
廃棄と記録されるだろう。



帰り道の上宿信号のすぐ北に「諏訪大明神」と
その脇に「基準点名3522の一等水準点177.17m」
があるので寄り道。
この道標の右にある細道へ右折して適当に路傍駐車。



神社は深い森に囲まれてひっそり。



この神社も「清里村1号古墳」の上に建って
いるそうだ





神社に向かって左手の土手に目当ての水準点が
あったが杉の切り落とし小枝と落葉が分厚く
重なっていたので取り除きに時間を要した。



帰りには「王将」で早めの昼食を済ませて
午後はノンビリ時代劇専門チャンネル。

蛇足
諏訪大明神のある古墳が「清里村一号古墳」と
あったので奇異に感じた。この辺に「清里」の名は
小学校名に残るだけで前橋市に合併後の町名には
ないので「何故?」との詮索癖が出たので調べたら
面白い物語を知る事となった。

大山祇神社の蝋梅見物で通過する前橋市清野町は江戸時代には
野良犬村と称したという。先ず野良犬村とはよくも付けたものと
ビックリだがその名のまま幕府領で明治を迎えている。

関ケ原後の1609年に三国街道の宿制が実施された
時に、ここより北東約400mの所で如来野村と
呼ばれていた村がそのままこの地に移転してきたが、
狼が多く、狼の字を分けて野良犬村としたというのだ。

その後1889-4-1の市制・町村制発布で近隣の池端村・
野良犬村・上青梨子村・青梨子村の4ヶ村が合併して
「清里村」となり、野良犬は清里村野良犬となった。

そして1955年に清里村を解消して前橋市に合併する際、
清里村野良犬の清と野を合わせて清野町とした。
つまり「野良犬」はここで「清野町」に生まれ変わっ
たのだ。

現在この辺の前橋市の町名は昔の村名が北から
池端町・清野町(野良犬改め)・上青梨子町・青梨子町と
並んでいる。そして1955年に66年続いて解消された「清里」は
「清里小学校」の名前にのみ残って居る。
(角川日本地名大辞典より)

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登山
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5 コメント

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Unknown (garamekion1000)
2023-02-04 01:09:01
早速の探訪・確認、ありがとうございます!
この地区、ごく近い位置に愛宕神社と諏訪神社があるんだな!という程度の記憶でした。(この近くには、宮司が居住している「桃山稲荷社」もあります)
さて、榛東の冨士見峠の「中十二社」も愛宕神社だという人がいると聞いて、そのいい加減さに呆然としたのですが、今日、偶々Google Mapで、そのあたりをズームアップしたら、そこに「愛宕神社」という表示あり😲、爺様の御懸念がここまでも・・・。と驚愕しました😣🤬。
あの中十二社は、昭和後期に創建された社で、そのことは創建に関わった人が記録に残しています。
(ワタシ自身は十二社と愛宕社では「そもそも祀神は違うだろう!」という程度の理解ですが・・。)
因みに「冨士見峠」の名称も、この人たち(=村有林の管理者達)が、名付けたものだそうです。
誰がGoogle Map上に記したのかわかりませんが、無知かつ無責任だと思います。Google Mapでは「修正の提案」が出来るので、明日にでもやってみます。
返信する
re,愛宕山 (爺イ)
2023-02-05 09:47:34
garamekion1000さん
小生日頃は国土院とYAHOO地図しか使っていませんでしたが早速Google Mapを開いてみましたら
ありましたねーそれも鳥居奥の石宮画像付きで。
これから間違い情報が拡散したのでしょう。
引用発信は出所を明確にしなくてはならないとの
自戒を強くしました。
ところで2月に入って1.3.4と三日間、消滅した音羽山東コースの再構築を試みましたが数量調整とかの
大規模間伐のために網の目のように開設された
作業道に幻惑されて失敗してしまい後日の宿題になってしまいました。初めて遭遇した地形図にはない五つ角・四つ角・丁字路・y字分岐の連続に歯が立たなかったので作戦は立て直しです。
返信する
Unknown (garamekion1000)
2023-02-05 22:33:01
Map上の「愛宕神社」の表記に関連して、うろ覚えだったのですが、図書館へ行って確認してきました。
~鎌田忠治著「榛東村有林物語」~(自費出版)
「冨士見峠」の命名は昭和29年、「中十二神社」の創建は昭和55年12月。ついでながら近くにあるという「語らいの岩」「太郎望」の命名も、鎌田忠治氏。
村職員として村有林の管理や、あの辺りの道路の開削に中心となって関わった方で、村有林内の細かい地名やその様子について、実に詳しくは書かれています。
上記の名称、全て戦後の命名で、鎌田氏が深く関わっていました。
「Google Map」には「修正の提案」をしておきました。
返信する
Unknown (garamekion1000(山はこれから))
2023-02-06 22:52:26
昨晩、Google mapに「修正の提案」をしました。
(鎌田氏の著作の「中十二神社の創建」のページを添付して。)
根拠が明白だったからでしょうか、すぐに対応してくれて、本日の午後に見たら「中十二神社」と表記が変わっていました。メールでもその旨、通知がありました。
とりあえず、一安心です。
返信する
re.十二社 (爺イ)
2023-02-07 04:21:54
garamekion1000さん
決着おめでとうございます。
貴兄に理詰めで説明されてGoogle mapも
対処が早かったですね。
かって小生も三角点画像撮りに熱中していた頃
国土院の所在地記載に誤りが見つかったので
連絡したら即刻修正され指摘お礼のメールも
来たのでお役所にしては処理が早いなと感心したことがあるのを思い出しました。 
返信する

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