クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

新町宿界隈散歩道(2) H-21-12-20

2009-12-21 16:29:30 | 伝説・史跡探訪
(11)一茶の文学碑 高瀬屋跡



車に戻って駅入り口信号の群銀に駐車。少し西へ戻った
県道に面して記念碑。



1810年、新町宿に泊った一茶は石灯籠建設の寄進を求められる。
懐中乏しい一茶は一旦は断ったが、遂に12文を寄付させられた。
「手枕や 小言いうても 来る蛍」
蛍とは多分夜半に依頼に来る者の提灯の事かも。

(12)行在所 

群銀から東南へ一ブロック、公園の中。
明治11年の明治天皇北陸巡幸の折に新町に宿泊所を新設した。
総勢800名の大集団。



公園のバーゴラの天井には六つの言葉が刻まれ、
屋根の天辺には平和の象徴の折鶴。



(13)於菊稲荷神社 



車に戻って北進し稲荷神社へ北口から。1582年に北条氏が
稲荷に戦勝祈願したと伝わるが1758年頃の於菊の言い伝えから
何時の間にやら於菊稲荷神社。 
 1750年代、宿場の娼妓・於菊は宿場一の売れっ子だったが
病気になったら行灯部屋に押し込められる。町の人が哀れに思い
引き取って神社裏に小屋を建てて看病したら快癒したので、
彼女はその一生を神社への奉仕に捧げた。
奉納絵馬二枚、何れも新町の絵師によるもの。

石川梅英作の「武者絵」



中央の若武者が右手一本で鎧武者を差し上げ、もう一人を
足元に踏み敷くという勇猛果敢なもの。

狩野美信の「遊女参詣」



遊女六人と妓楼の者が四名、当時の風俗が良く判る。

手水鉢石

1832年の作。「冰香」の刻銘は「大窪詩仏」のもの。





復元算額三枚



神楽殿

切妻・唐破風型の神楽殿で額の「太々神楽」の文字は永平寺
管長のもの。



隣の公園に「群馬ボーイスカウト発祥の地」の碑



1922年、ボーイスカウトの前身である「新町少年義勇隊」が
発足し先駆的運動でボーイスカウトの黎明期を支えた。

(14)七区諏訪神社


 
R-40を北上 最初の五つ角をななめ右へ。
元々は毘沙吐村に勧請されていたものだが、度重なる洪水で
現地に移設されたもの。



川岸町沿革碑、



1935年の建立で村移転の経緯と望郷の思いが記されている。

(15)七区龍光寺の「ゆるぎ薬師」



龍光寺境内にあって「ゆるぎ地蔵」と呼ばれている。
願いを聞き届けてくれるときには体を揺るがすとの
言い伝えがその名になつた。





右手に与願印を結び、左手には薬つぼを持つた薬師様。
与願印とは人々の願いを聞き入れて望む物を与えよう
とする仏の身振りの事。この寺は念仏講で著名。

(16)浄泉寺





土師清大夫(高智院勇雄義仰居士)の墓



本堂西側、加賀前田藩の勘定方の武士、江戸への藩金の輸送中に
この新町宿で盗難に合い、責任をとって自決。1716年の事。
墓地拡張工事のとき裏の竹薮に埋もれていたのが発見され
現地に移設されたとか。

小渕湛水の墓

新町の1800年代の文化を俳句の分野で支えた一人で本業は医家。



墓石の背面に「五十年 見てややさめぬ 花の夢」の
辞世の句が刻まれている。



この寺は大銀杏が名物だが、昨今上部の葉の付きが悪く治療中。



(17)五区諏訪神社

 元は笛木村の鎮守で線路の南にあつたもの。1708年から現地。
 北裏にある半分埋まった鳥居、



1732年の建立だか笠木の曲線が美しく江戸時代前期の石製鳥居の
特徴が顕著と評価されている。現在は神社の北裏に半分埋まって
おり、参道には新しい鳥居が据えられている。



田口翁歌碑、



かってこの諏訪神社を落合村の八幡宮に合祀する話が持ち
上がった。笛木村は反対し、この神社を村社に昇格させた。
その運動のリーダーであつた田口翁に対して社主が一首詠み
村の有志が歌碑を建立した。
「さる昔 合祀反対田口翁 その偉大さを 氏子に称えん」

穣州先生寿蔵の碑
新町が生んだ漢詩文の小林穣州は画家でもあり俳句にも
卓越していた。
明治39年に知己門弟が建立。



祠と道祖神、繋杭

神社の北東の山ノ神台地と言われる所に祠に道祖神
その脇に一本の繋杭。洪水の度に砂河原となるこの辺一帯の
町村基準の杭で明治7年に従来の木柱に変わって設置。



(18)八坂神社



公園の芭蕉句碑、



小渕湛水が中心で建立、かつては中山道の茶店の傍、
柳の大木の近くにあつたから「柳茶屋の芭蕉句碑」と云われる。
「傘に おしわけ見たる 柳かな」 

公園の滑り台にギョッとさせるようなオオトカゲ



(19)復元された常夜燈と道しるべ





R-17と旧中山道の分岐点にあり、1978年にライオンズクラブが
復元した。1815年作の元のものは高崎大八木に移設されている。

(20)明和観音

昭和15年に畑から掘り起こされた物。小林伊左衛門との関わりが
噂されていた。合戦碑の左隣。



(21)神流川合戦碑



(22)元宮の跡




新町駅南の岡崎醤油のレンガ造りの八角の35m煙突。



その脇に元諏訪神社の跡。





まだまだ、新町を全部歩いた訳ではないので中途半端だが
一先ずはここら辺で終了。

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