夏気配の日曜日、足弱家族を連れて毎年の恒例になっている
高崎市浜川運動公園の菖蒲園に様子を見に行った。ここ数年間も
続いていた西側の体育館との境の工事も完全に終わっていたが
結果として池の相当部分が削られていて遊歩道が東寄りになり
赤い橋の端に接していた。
整備は完璧だが1500株と云われるショウブも何となく数が少なく
ショウブ園としては寂しくなっていた。
その様子はyoutubeで。
この池は「御布呂ヶ池」という変わった名前、伝説に包まれるこの
名も最近は表示も少ないので毎度のことながらの一席。
「古代奈良時代(8~9世紀)の頃、信濃の国と上野の国の国府を結んでいた
東山道がここ浜川を通っており、この道は都と地方の国々を結び、役人や税の品々が
通る重要な道路だった。そのため井野川に沿って多くの人が住んでおりこの地は
繁栄する。そしてこの地には、奈良にある布留(ふる)神社に所縁のある布呂社
(ふろのやしろ)があったことから「御布呂(おふろ)」という地名が残っており、
そこから公園内の池に当時の繁栄を偲び、「御布呂が池(おふろがいけ)」という
名前が付けられた」
(途中で止めるには画面左下の縦二本棒をクリック、その途中から再開は
右向き矢印、終了してからもう一度見るには左下に現れる反時計回り
反転マークをクリック)
浜川公園ショウブ園
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続いていた西側の体育館との境の工事も完全に終わっていたが
結果として池の相当部分が削られていて遊歩道が東寄りになり
赤い橋の端に接していた。
整備は完璧だが1500株と云われるショウブも何となく数が少なく
ショウブ園としては寂しくなっていた。
その様子はyoutubeで。
この池は「御布呂ヶ池」という変わった名前、伝説に包まれるこの
名も最近は表示も少ないので毎度のことながらの一席。
「古代奈良時代(8~9世紀)の頃、信濃の国と上野の国の国府を結んでいた
東山道がここ浜川を通っており、この道は都と地方の国々を結び、役人や税の品々が
通る重要な道路だった。そのため井野川に沿って多くの人が住んでおりこの地は
繁栄する。そしてこの地には、奈良にある布留(ふる)神社に所縁のある布呂社
(ふろのやしろ)があったことから「御布呂(おふろ)」という地名が残っており、
そこから公園内の池に当時の繁栄を偲び、「御布呂が池(おふろがいけ)」という
名前が付けられた」
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