教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

閑話休題 「ラオス・フェスティバル 2010」に参加して

2010年05月23日 | 社会
「ラオス・フェスティバル」開催の代々木公園へ
5月22日、「ラオス・フェスティバル」(LAOS FESTIVAL 2010)(主催:ラオス人民民主主義共和国大使館、東京国際学園高等部、さくら国際高等学校)のオープンセレモニーに招かれ、イベント会場となった代々木公園の特設会場まで出かけた。JR原宿駅、この駅で下車するのは久し振りである。かつて地方から集まった若者達が「竹の子族」という集団を作って、踊っていた。原宿が注目を集めるようになったのはその頃からだろう。でも、今日の目的は代々木公園のイベント会場だ。
会場はどこもかしこも屋台だらけ。しかも殆どはラオス関係者のものらしい。昼時に向けての仕込みに余念がない(後で寄るからね)。本部の受付でリボンをもらい、なぜか許可制の特設の会場に入る。
▼壇上に並んだ人々は…
開演の時間となり、特設の壇上に並ぶ人を見て、あれっと思う。秋篠宮殿下がご臨席だ(許可制の特設会場設営はこのためか?)、ついでラオス人民民主共和国のブアソーン・ブッパーヴァン首相(怖そうな威厳がある)、そして日本政府の外務省副大臣(まだ若いなあ)…、最後に東京国際学園学園長・荒井裕司氏(少し年食ったかな)。そして、通訳&司会は…どこかで見た顔だと思ったら日本人の司会者はNHKの桜井洋子アナウンサーだ。ちなみに彼女は司会進行中に何回も「撮影は止めて」と言ったが、お年を召した方は強者ですな。その後も何人もの人が堂々と写真を撮っている。中にはビデオカメラの人もいたそうな。いや、ご立派な態度です。
メインのお話はもちろんラオスの首相。ところどころに通訳を交えながら用意した原稿を読み上げる。外務省のお役人も社交辞令添えてそれなりに自己アピール(鳩山政権となり、アジア重視の政策の一環ですでに会っているらしい)。
▼ラオスの小学校建設に関わって15年
最後は、荒井裕司氏のお話。荒井氏がラオスに最初の小学校を作ってから15年。今、全部で6校を作ったとか。最初はパフォーマンスとも思えたが、その後着実に運動を継続し、国際学園に関わる生徒や父兄をも巻き込んで、今日のこのイベントにまで発展させてきた。ビジネス的な側面も見せながら陰に陽に関わってきたが、基本はエンジンとなり、陰の役者に徹することだった。人形劇に例えれば、主役は命を吹き込まれて自在に動きまわる個々の人形であり、それを操作する黒子は匠の技に心血を注ぐ。黒子が主役となって前に出てはダメなのだ。そういう演出ができるのは、ひとえに彼の才覚であり人徳であろう。やはり誰にでも出来る業ではない。ラオスに行く度に癒されると何度も語った。「癒しの国ラオス」と。ラオスも以前とは大きく変わったが、今もそれは変わらないと。
▼ラオスの民族音楽や舞踊から考えたこと
イベントの後半は様々な歌や踊りのアトラクション。タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム…この5カ国を貫通するメコン川そこを流れる音楽や舞踊にはある共通のリズムがあり旋律がある。それは欧米の音楽ともアフリカ系のそれとも大きく異なる東南アジア特有のものである
が、よく聞くとそのリズムと旋律は海を渡って沖縄・琉球の音楽に連なり、さらに日本本土に渡って日本舞踊の型や旋律となった…そう聞こえる。あの手や腕、足の動き、腰のひねり…それは日本舞踊のそれと重なる。もし、あのきらびやかなラオスの民族衣装の代わりに日本の和服を着せたなら、彼女たちはそのまま日本の舞を踊れそうであった。ラオスの古い伝統の音楽と舞踊も紹介されたが、それはむしろ中国の音楽との繋がりを感じさせた。そして、それが朝鮮の怨歌となり、日本に渡って演歌なったのではないかとも。これはあり得ることか、またまた私の錯覚か幻か。(どなたかご存知の方がいたら教えてください)
「一衣帯水」──その言葉よりも、その音楽が、その民族舞踊が、その辺の事情を何よりも雄弁に語ってくれているように私には思われた。最後に、ラオスのスーパー・スターという歌姫が登場した。細面の今様の若い女性であった。やはり心のどこかでラオス民族・国家特有の彩りを求めている私には(他の日本人の場合はどうなのだろう?)、その歌そのものを含めて、逆にありふれた取り柄のない歌手に見えてしまった。
▼日ラオス友好とラオスの進むべき道
名目上は「日ラオス外交関係樹立55周年記念事業」「ラオスフェスティバル記念小学校建設」の2日間にわたる記念イベントとなっているが、先に見たように歴史的には国家形成以前の昔から深い繋がりがあったのだろうが、実質的な日本とラオスの道は荒井裕司氏など民間の人達の地道な努力によって開かれてきた言えるかも知れない。彼もまた両国の接着剤の役割を果すことに徹し、そうすることで自らの志向を実現してきた人間のひとりである。彼は単に思いを語る人ではなく、それを実践する人であった。あるいは言葉は後から付いてきたと言えるかもしれない。
ラオスという国が、日本という国をどう評価しているのか。そこに注目したい。見習うべきところもあろうが、踏んではならない轍もあるだろう。以前、日本の大学で学ぶバングラデシュの若者が言っていた言葉を思い出す。「自分の国は、日本のように急激な上昇は望まない。伝統も文化も失わずに、ゆっくりと前進したい」と。
▼お昼の食事は屋台でビール付き
さほどの酒好きではないが、「ラオスのビールは世界一」とあらば、見逃す訳にはいかない。コップであおる。うまい!本当にうまい!濃い味だが、これは行ける。しばし椅子に腰掛け、鶏肉や豚肉など旨そうなものを漁る。マンゴーなどのフルーツも売れ筋であった。でも、さすがにドリアンには手が出せなかった。
食べ物の屋台だけでなく、幾つかの出店の人とも言葉を交わす。日本の大学生が作った小物を売る店や、信州からやって来たという活動団体などもあった。改めて荒井氏の活動の広さを知る。そんな食べあるき、屋台巡りで出会った幾つかのエピソードや発見、それはまた機会があれば、どこかでね。
※「閑話休題」と名付けたが、さて、「どこが本題?」と訊かれても困る。すべてが「落書き」とも言える。するとまた、「教育は落書きでも雑学でもない」という声も聞こえてきそう。はて、どうしたものか…。
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