教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

4コマ漫画「コボちゃん」を通して視考力を養う(2)

2010年05月20日 | 教育全般
──今求められる国語力と視考力──

▼「映像イメージ」による思考方法
ここに一冊の学習参考書がある。「旺文社 中学 総合的研究 国語」とタイトルにある。執筆陣に私立開成中学・高校の教師陣を揃え、巻頭で「なぜ国語を学ぶのか」と問い掛け、「すべて言葉の力・国語の力だ」とするとても野心的な一冊である。「中学国語の参考書もここまで来たか!」という思いだ。一つの頂点を指し示す労作であろう。
特にこの中で、絶賛したいのは、「第6章 映像イメージの読み解き方を知る」という単元。わずか46ページ程度の記述だが(全体は576ページ)、極論するならこの単元をもってこの参考書の価値が決まり、この単元があるだけでこの参考書(2800円+税)を買っても損はないだろうと思う。
世間では、「右脳思考」だとか「あっは体験」だとか、脳科学ブームに乗って印税を荒稼ぎする人が多いようだが、話半分に聞いていた方がいいことが多い。それを軽く凌駕した内容がここには詰まっている。たとえば、「あっは思考」が新たな発見などではなく新たな思考の縛りでさえあることなどが具体的に納得できる形で記されている。
▼現代社会に生きる我々に必須の学び
だが、残念なことに、先の参考書には次のような断り書きがある。「この章は普通、学校では学習しない分野なので注意してください!」何ということ! 肝心の読解力を養う単元が学校教育の国語科からはすっぽりと抜け落ちているのだ。これが日本の「国語の授業」の実態である。ちなみに、その後にはこういう言葉が続く。「この章では、さまざまな映像イメージに潜んだ深い世界を国語力で読み解く訓練をします」
実は、この参考書ではこの単元で、漫画、映画、広告、写真(芸術・報道)などの特色やその読み解き方が丁寧に扱われている。そして「『漫画』→『映画』→『広告』→『写真』と文字が少なくなり、より純粋な映像イメージになっていることに注意」「学校の学習では触れられないカテゴリーだが、現代社会に生きる我々には必須の章」ともある。
▼学校の成績で国語力を錯覚するな
「国語力の低下」「言語を使った思考力の低下」というようなことが言われていながら、その処方箋の実態はこのようなものである。効き目のない薬をいくら塗りたくったところで病気は一向に改善しないだろう。根本から病理の見立てが間違っているのだから。
不登校になって「ぱいでぃあ」にやって来た生徒に言う時がある。「教師がいなくなった国語の勉強を、その教科書でどうやって勉強するつもり?」
生徒たちはその国語の教科書で勉強すれば国語力が向上すると思っている。大いなる錯覚である。国語の教師の言う通りに勉強していれば、学校の国語のテストの点数がよくなるのは確かだろう。国語の問題はその教科書に載っている文章を使って、教師が説明したようにテストには出るのだから。が、ここで誤解しないことだ。それは学校の国語の点数が取れただけで本当の国語力がついたわけではないのだと。まさに「教科書で勉強するのではなく教科書を勉強する」実態がそこにある。
それが嘘だと思う人は、試しに他の教科書会社の同学年の文章題をやってみるといい。結果は明らかだ。授業でその文章を習わなかった生徒としての成績が出るだけである。だから、その文章の授業を受けなかった生徒たちは受けた生徒たちよりも国語力が低いかというとそんなことはない。つまり、学校の国語の成績は本来の国語力とは全く別物であるということである。
▼自由な学びとフリースクールでの学び
では、本当の国語力を上げるにはどうすればいいか。先に見たように、学校教育の中にはその処方箋はない。文科省の掲げる学習指導要領の中にはないのである(「NIEでメディアリテラシーを学ぶ」などといったように、そろそろ主役の座を失いつつある新聞を題材に──新聞の魂胆が見え見えだ──未来に繋がる情報発信力など養えるのか)。むしろ、我々フリースクールのように必ずしも学校教育法に縛られない自由な学びや発想の中にこそあると見ていいのではないか。
しかし、そのイメージとは裏腹に、日本のフリースクールは特殊な形態をしている。その大部分は学校をドロップアウトした生徒の収容の場となっており、身体的・精神的・知的な障害を持っている子どもの割合がとても高い。だから、一般の人も一様にそういうイメージを描くようだ。
また、フリースクールには「学びの学園」とか「学びのコミュニティー」などと謳っていても、実際はそこの障害者を中心とする人達のレベルに合わせた学びであって、一般のイメージとは大きく異なることがある。
もちろん、それはそれで尊重されるべきだが、世間一般で言われる基準通りの学びの場や活動の場を求めている子ども達にとっては混乱のもととなる。実際に、そういう悲劇にあって私達「ぱいでぃあ」に転校してきた子ども達が今までに何人もいる。
(3)へ続く
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