教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

あなたは「クレヨンしんちゃん」をどう読むか!?

2010年05月16日 | 社会
▼「クレヨンしんちゃん」との向き合い方
つかぬことを伺うけれども、もしあなたが子どもなら、あなたは「クレヨンしんちゃん」が好きだろうか?もしあなたが大人なら、あなたは「クレヨンしんちゃん」が好きだろうか? あるいは、もしあなたが親であるならば、あなたは我が子が「クレヨンしんちゃん」を読んでいるのをどういう気持ちで受け止めるだろうか? 微笑ましく眺めているか、目を三角にしているだろうか?
もし、あなたが子どもであって、「クレヨンしんちゃん」がどうも好きになれないとか、親から禁止されていて普段は見られない環境にあるとか、親に厳禁されているとかというような場合には、子どもが育つ環境というものをちょっと考え直した方がいいかもしれない。私はそう思っている。これは、あなたが大人の場合や、親の場合であっても、状況は同じである。
もし、「クレヨンしんちゃん」があなたの周りで飛び跳ねていなかったり、バカな悪ふざけをしていなかったり、そもそも「しんちゃん」が寄り付こうともしなかったりするようであれば、そんなあなた、あなたは自身にどこか問題はないか振り返ってみた方がいいかもしれない。
「何が問題か」だって? それは、こうである。

▼PTAから嫌われるナンセンスギャグ漫画
まず、「クレヨンしんちゃん」を軽くおさらいしてみよう。「クレヨンしんちゃん」とは、野原しんのすけといういたずら好きで小生意気な5歳の幼稚園児を主人公とする面白おかしいナンセンスなギャグ漫画である。両親をはじめ周囲の大人達もみなその騒動に巻き込まれるが、見方によっては「クレヨンしんちゃん」の登場人物達はみなその世界の住人であり、みな独特のナンセンスキャラを持っているとも言えそうだ。
一見、これは子どもの漫画のようにも見えるが元々は青年向けのギャグ漫画雑誌「漫画アクション」から生まれたものである。テレビアニメ化され人気が爆発した。主人公の破天荒な常識破りの振る舞いは真面目に子どもの教育問題を考えることをモットーとする日本PTA全国協議会等には覚えめでたくない。アンケートではいつも「子どもに読ませたくない漫画「」の筆頭にランクする。情操豊かな子育てを考えている母親たちからはすこぶる評判が悪い。極悪マンガの最右翼である。

▼5歳の幼稚園児であるということ
一方では、「クレヨンしんちゃん」はテレビ化されたこともあって、老若男女の幅白い層に愛され親しまれている。「クレヨンしんちゃん」と言えば、まず知らない人は少ないのではないか。趣味や関心が年代化し、さらに個別化している現代の日本社会では稀なほど認知度は高い。
マンガ自体は何か特別なものを訴えているわけではない。逆にそれが幅広い支持を得られるカギかもしれない。5歳の幼稚園児である「しんちゃん」は子どもらしからぬ様々なギャグを連発する。そして、彼の周りにいる余所行き顔の大人の建前を次から次へと白日の下に曝け出し、茶化し、笑い飛ばし、ギャグにしてしまう。隠された本音の一面を5歳児のまだ社会化されていない眼差しはことごとく暴露してしまうのだ

▼成長しない5歳の子ども「しんちゃん」
「しんちゃん」はマンガ「サザエさん」と同じ方式で、回を重ねても年を取らない。ハリー・ポッターのような成長物語ではない。もちろん、妹が生まれるなどある程度の変化は描かれている。しかし、依然として彼は5歳のままである。なぜ「クレヨンしんちゃん」は年を取らないのか──この点については後日詳しく論じようと思うが──それは、簡単に言うと、「クレヨンしんちゃん」には「5歳の眼差し」が不可欠だからである。

▼臼井儀人の死を悼む
残念なことに、2009年9月20日、群馬・長野の県境の荒船山で、「クレヨンしんちゃん」の作者・臼井儀人さんの死が確認された。崖からの滑落事故であるらしい。まだ51歳の若さであった。これから「クレヨンしんちゃん」は佳境に入るであろうと期待していたのに、ただ悲報を悼むしかなかった。
臼井さんの死はもちろんだが、ここで「クレヨンしんちゃん」が終わらざるを得ないのはとても残念である。というのは、「クレヨンしんちゃん」は日本の漫画史上でも稀有の存在であり、大きな可能性を秘めていたと思うからである。思うに、「クレヨンしんちゃん」はマンガでありながら、マンガを超えた可能性と意義を秘めていたのである。

▼優れた教育書としての「クレヨンしんちゃん」
何を隠そう、「フリースクール・ぱいでぃあ」には「クレヨンしんちゃん」が誰でもいつでも読めるようにたくさん置いてある。できたら出版されている全巻を揃えたいと思っていた。子ども達に──特に小学生の──読んでもらいたいからである。実際、「ぱいでぃあ」の子ども達は「しんちゃん」をよく読んでくれる。嬉しいことだ。
「クレヨンしんちゃん」は「マンガであって単なるマンガではない」と言ったが、その一つの意味は、学校で傷ついた子ども達に「クレヨンしんちゃん」は優れた「癒し」の効果をもたらすからである。子ども達が、誰に命令されることもなく、好んで「クレヨンしんちゃん」を読むということは、子どもが自ら癒しの活動に参加するのと同じだと思っている。「クレヨンしんちゃん」を読むことによって、その子は無意識の内に「しんちゃん」によって抱きしめられ癒されているのである。
子ども達が「クレヨンしんちゃん」のマンガに触発されて大きな笑い声を上げたり、微笑んだりしているとき、その子は今、大きな癒しの空間の中にいる時だ。そして、その効果は下手なカウンセリングよりもずっと大きいと私は思っている。そこには「縛られた自分、盆栽のように選定され撓められた自分」から解放され、「自由に思考し、自由に羽ばたき、自由に行動できる」ようになった子どもがいるのだ。

▼中国で愛された「クレヨンしんちゃん」
著作権法上の問題などいろいろあり、全体主義国家とも言えるお隣の擬似社会主義国の中国で、不思議なことに「クレヨンしんちゃん」が広く見られ、愛されている事実を知っているだろうか。過激な描写にはモザイクが入るなど、そこは中国人向けにアレンジされてはいるが、彼らは「クレヨンしんちゃん」をあたかも自分たちのアニメのように親しんでいるという(コピー天国らしい実態がそこにあるのは確かだが)。
これは日本のマンガやアニメが国際的に広がっていることの例証かもしれないが、作者・臼井儀人さんの悲報を知って、一番悲しがったのはもしかして彼ら中国人達かもしれない。そう思うと、どこか救われたような思いにもなる。
我々島国の住人である日本人は、極度に細分化され洗練された表現を好み、中国人特有の大陸的な大仰な振る舞いを時には「洗練されていないガサツな行動」として忌み嫌うことが多い。けれども、「クレヨンしんちゃん」を国民的アイドルのように愛する態度には、確かに中国には小皇帝の問題などあの国特有の問題はあるものの、まだ日本ほどには「社会的病理」が進行していない側面を見る思いがする

※それはなぜか──それはまた、機会を改めて記してみたいと思う。

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