教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

財団法人日本相撲協会は廃業せよ

2007年09月30日 | 「大人のフリースクール」公開講座
時津風親方 斉藤さんを介抱せず見殺し(スポーツニッポン) - goo ニュース

おそらく時津風部屋のこういうやり方は、何もこの部屋に限ったことではなくて、日本相撲協会のそのものの体質となっていたのではないか。これは財団法人のやることではない。やくざの世界の出来事である。それが「国技」という名の下に堂々とまかり通っていたということである。現在の親方衆も北の海理事長もそれをよしとする環境の中で育ってきたのである。

平成の時代になってから現在に至るまで8人の死亡者がいるとのことだが、その中には今回の犠牲者・序の口力士・時太山こと斉藤俊さん(当時17)のように明るみに出ることもなく葬り去られた人もいるのではないか。親方の命令が絶対で弟子たちもそれに家畜のように盲目的に従い、人間として考えることをしない。そういう殺人者が弟子たちを指導し、現在の相撲協会を成り立たせていると言ったら過言だろうか。儀式や対面を優先し、「人間」の感情を失ってしまった集団がここにある。そういう連中が今後「立派な力士」として衆人の前で相撲を取ることができるのか。

「国技」という上辺だけの作られた儀式がどこまで通用するというのか。17~18才で日本にやって来て20才幾つで大関や横綱になる外国人力士たち。3Kの世界に敢えて飛び込んできた彼ら外国人が日本の国技を支えているという奇妙な構図がここにあるが、あえて言えば、彼ら外国人は好きで相撲界に入ってきたのではない。金になるからである。だから、年端も行かない年代の彼らに、「国技」だの「伝統」だのを理解させること自体が無理な話であり、アナクロ的である。そんな上辺だけの真似事で日本の伝統を理解し、体得できるものなのか。日本の伝統とはそんな薄っぺらいものだったのか。

他の様々なスポーツと比べても、日本の相撲は異様である。闘犬や闘牛と同じようにその競技に適したように人の形としては極めて不自然な歪な体型に作り変え(メタボの病人の体を人工的に意図的に作り上げている)、相戦わせる…これは人権無視、人間性否定の行為ではないか。国技と呼ぶにはあまりにも恥ずかしい競技・興行である。

この際、財団法人日本相撲協会はいらない。活動を停止すべきである。NHKも国技としての放送を中止すべきである。国技という名のやくざ集団を即刻廃業すべきである。それ以外に解決の方法はない。