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「知ることは共に生まれること」(ポール・クローデル)
connaitre = con + naitre
数学を考える楽しさをあなたに
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「数学力って何だろう?そんな特殊な能力って本当にあるのだろうか?」文系の人間は時にそんな羨望をもって数学の得意な連中を眺める。「どうしたらそんな素晴らしい能力を獲得できるのだろうか。それともそれは先天的に備わった能力なのだろうか。」…多分、そんなことを考えている人間は意外に多いのではないか。
ここに『数学に感動する頭をつくる』(栗田哲也著・株式会社ディスカバー21 1500円+税)という本がある。著者は雑誌『大学への数学』などにも寄稿し、駿台英才セミナーで数学オリンピックを目指す生徒を相手に講師も務めているという。
ひところ「分数の出来ない大学生」などというフレーズが流行り、日本の生徒の学力低下、とりわけ算数・数学の計算力等の低下が叫ばれたが、この著者によれば、それはセンター試験が重視する計算力や作業力の低下であり、発想力や推理力の低下であるかどうかは分からない、つまりこれをもって数学力の低下とは言えず、むしろ、単に日本人の勤勉さが少しなくなってきただけではないかという。(後者の力についてはむしろ、OECDのPISAの国際比較テストの結果等から判断した方がいいのかも知れない。)
ところが、世間ではそれらの知識や技術とそのために必要な能力とを一緒くたにして「数学的能力」と誤解して来た。そして世の親たちはその能力をどうしたら身に付けられるかを知りたがっているのだと。しかし、教科書には定理や公式の説明や簡単なドリルの繰り返しがあるだけで、その方法はどこにも書かれていない。
そこで本書の登場となるわけだが、本書のタイトルを見て欲しい。この本はハウツーものではない。著者によれば「数学力」をつけるということはスポーツの習得に似たところがあるという。上達するためにはいろいろな能力が必要であり、日々鍛錬し戦術を理解することが必要だという。それにはコツコツ卒なくこなす予習復習ドリル型では進歩は望めず、熱中すること集中することが大事だという。つまり、それが本書で言うところの「感動する頭」をつくることである。
音楽には「音感」というものがあるように、数学にも「数感」というようなものがあると著者はいう。昨日まで聴いていた音楽が全く違う響きを持って聞こえてくる音楽での体験を引用しているが、これは数学の場合も同じだという。ある日突然、数学って何と美しいものかと気付く。生命の神秘や芸術作品への感動するのと同じく、数の不思議さに感動するのだ。が、それは誰でもが体験できることではない。そのためにはかなりの修練がいるのだという。
文科省のカリキュラムで言えば、こういう数の不思議さに出会えるのは高校生のレベルになって複素数や微積分を扱う段階になってからだ。その時、「数感」の発達した人は数の神秘に出会えるという。が、そうでない人にとってはただ面倒くさい計算の固まりにしか見えないのだとか。
しかし、それでもなお、「数学力」というものを信じ、そういう能力を身に付けたいと思っている人に著者は言う。「数学力なんてものは存在しない」と。数学の能力にはいろいろあり、簡単に伸ばす方法など語れるわけがない。特に受験目的の数学の勉強でそれを身に付けるのはそれが難しいと。では、その能力を伸ばすにはどうすればいいのか。それは熱中して解こうとすること、解けそうもないような問題に自力でぶつかるという一見効率の悪そうな学習法にあると著者は言う。
ここで多少、著者について触れておきたい。数学が得意で、数学が好きで、しかも文系であるということが理系だけの人間には見られない幅のある数学的な物の見方を獲得しているように見える。しかも自らが「数学力」とはこういうだと語るのではなく、数学オリンピックに挑戦するような若者の特性を通して見えてくるものを我々に語ってくれるのだ。そのことが本書に単なる著者個人の思い込みではない説得力を得させることに成功している。
現在、数学は公式やルールを覚えて当てはめるだけの教科になってしまっている。しかし、本当は自分で考え工夫すること、「イメージを喚起する能力」が大切だという。特に、図形の問題を頭の中で解こうとしたり、暗算したりすること。そして、他の問題との類似性を考えたり、関連する幾つものやり方を意識化して発想力を養うこと。学習したことを関連付け、構造化して記憶し、未知のものを自分の世界に取り込もうとする「位置づけの能力」を発達させることだという。
つまりは、結論として、「数感」を身に付ける努力をすることによって「美しい数学の世界に感動できる」ようになる、と著者は言う。随分端折った性急な結論となったが、なるほど、物事を数学的に考えるということはこういうことか、ということが本書を通じて良く分かる。どうもそれは、文部科学省が小中高校生のカリキュラムにしているものとはかなり違っているようでもある。我々が数学の授業を通して身に付けるべきものは一体何なのか示唆に富んだ一冊である。
因みに、本書の読みと並行して、『学ぼう!算数』(岡部恒治・西村和雄編著、数研出版)と『小学中学レベルの算数で理系思考を身に付ける』(藤森博明著・明日香出版社)を手元において目を通した。数や図形によって純粋に考える考える楽しさがここにはある。学校を離れて今は数学とは無縁の生活を送っている社会人たちも、こういう楽しみを再び持って見るのもいいかもしれない。
『数学トレーニング』(出口汪・水谷一 共著・小学館)では、人の話す言葉を「自然言語」といい、数学を「人工言語」といい、「人工言語を知らないものは世界を半分しか知らない」とまで言っている。
数学によって我々は何を学び何を身に付けるのか…大学生の学力低下、若者の数学・理科離れをいたずらに憂える前に、そして、生徒に和して軽々しく数学無用論を唱える前に、そこから考え直して見てはどうだろうか。