教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

日本のスポーツ・体育の問題…力士死亡事件から

2007年09月27日 | 「大人のフリースクール」公開講座

今、相撲協会が揺れている。事は朝青龍問題だけではない。日本相撲協会の体質、ひいては日本のスポーツ界(体育会と言った方が正確か)全体の体質の問題である。その遠因は学校教育の場での体育指導にまで遡る

横綱審議会をはじめ、日本相撲協会は朝青龍問題を彼に謝罪させることで決着を図りたい方針のようだが、「ちょっと待て!」である。日本相撲協会のやり方に誤謬はなかったのか?このことについて、私は先に日本相撲協会の指導等を含めたその体質の問題に言及している。彼はそういう協会の体質に嫌気をさしていたのではないか。日本の伝統、文化、国技と言うが、そこに支配しているのは、殿様に可愛がられる力士というような極めて古い体質の日本的感覚であるようだ。そういう日本相撲協会の体質に疑問を持った外国人の力士たちが反旗を翻し始めたというのがこの問題の根底にあるのではないか。もはや外国人抜きにはこの相撲という国技を維持できなくなっているにもかかわらず、相変わらず国技だの伝統だのと言って世界の非常識を地で行っている

そういう相撲を日本を代表する国技として支えているのは、その興行を残らず放送しているNHKである。ところが、横綱朝青龍問題をめぐってテレビ番組で協会批判をしたとして、北の海理事長自らがNHKの元アナウンサーの取材証を没収するという事件が起きた。幸い東京相撲記者クラブが同日、北の湖理事長(元横綱)に対して即座に処分の撤回を求める抗議文を提出したことで取材証は戻されたが、外部の批判を許さず封じ込めようという意図がそこには露骨に表れていた。世間の常識からかけ離れた唯我独尊的体質がそこにはある。

今回の時津風部屋の若手力士死亡問題もそういう氷山の一角である。この際、徹底的な法による検証がなされるべきであろう。平成になってから8人の力士が死亡していながら、警察も医者も入らず日本相撲協会の古い隠蔽体質の中で内々に処理されてきたのだ。今回、遺族が行動したことによって初めてそれが明るみに出されたわけだが、その親もまた対応を完全に誤ってしまった。部屋を逃げ出した息子の声を親として受け止めるどころか部屋の論理で息子を説得する側にまわり、その結果息子を死に追い込んでしまった。(学校の論理で子どもを説得し自殺させてしまった親とよく似ている)

日本のスポーツ界にはたくさんの摩訶不思議が行き交っている。特にスポーツに「~道」という名が付いているところにそういう危ないのがあることがある。とかく根性論が先行しがちである。学校教育の現場もそうである。特に指導で実績のある有名な先生には注意したほうがいい。それで学校に行けなくなる生徒がとても多い。文化部では吹奏楽部がこれに並ぶ。何故か。教師は意識・無意識に関わらず生徒を、できる生徒・できない生徒、大会に役立つ生徒・役立たない生徒と分類して指導するのである。そこには生徒一人ひとりの思い(スポーツを楽しむこと)にたった指導はない。連続県大会出場とか全国大会制覇とか、生徒はその有名教師の名誉を高めるための駒でしかない。それでやめる生徒は今も後を絶たない。

今、日本のスポーツ、体育のあり方の全体が問われている。