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山口県を歩く・・萩&長府・萩&須佐・防府・宇部・

2014年06月25日 | 山口県を歩く

2015年の大河ドラマに松蔭の妹が主人公ということで、何十年ぶりに萩を観光した
昔行った時より整備されていて、白壁もきれいになっていた

途中の道の駅「萩往還」ゲートとのぼりに大河ドラマ決定の喜びが表現されていた
  

先ずは、萩城跡 廃藩置県の時に率先にて壊したそうで、石垣が残る 背後の指月山には出城もあった
  

天守閣跡に上る 壊す前の写真が残っていた
  

城跡奥に毛利家を祭る神社がある 明治維新後に建てられたもの
  

拝殿に上がるところに馬用の水飲み場があった 明治のころは馬でここまで来たのだと感慨

 

堀をめぐる遊覧船に乗る
 

この堀は海の水 ちょうど満潮時間で橋との間隔が狭く 屋根を下げてくぐり海に出る
  

指月山の周辺は石垣で囲まれていた これは蒙古再襲来を意識して築かれたという

家臣たちの城下町は区画整備され、今でも車が通れる広さの道だった
 

高杉晋作の像と夏みかんの木
職を失った武士たちは屋敷内に夏みかんを植えて生計を助けたという
夏みかんの収入は良く、屋敷内のみかん畑は農地並税で税金も安かった
おかげで土地が切り売りされることなく、今の観光地になったそうだ
  

高杉晋作の生家 

室内に家を守った「まさ」さんの写真 晋作は「おうの」を囲っていた
今は、高杉晋作を尊敬する人が買い取り、住みながら守っている

  

重要文化財「菊谷家住宅」 毛利家を支えた商人の家
  

御成門は徳川の使いが来た時に使い、家人は勝手口のみの利用だった
門に続く庭の中央のに「お駕籠」乗せる岩がある
  

部屋にはいろんな展示があった 
柱にかけてある時計は伊藤博文が「岩倉使節団」でアメリカに行った時の土産という
それほどこの菊谷家に援助されていた
   

奥には蔵が建ち、千両箱を入れる地下蔵もあったが、私は女性たちが働く台所に興味があった
  

街のあちこちに「萩焼」の店がある
 

松蔭神社に行く 周辺は思い出と違うほど整備されていた
「松下村塾」は同じままの小さな家だった
 

松蔭の生家 杉家も移築されていて お預け蟄居の3畳間の部屋もあった

この「お預け」の間に松蔭は若い門弟たちに自分の知識を心情を教えたそうだ
限られた命の必死さと情熱が子弟に伝わり、この萩から志のある人物が出たのだと思う
  

松蔭神社から少し離れたところに生誕地と墓所があるそうで行ってみたが驚いた
明治維新の話に出てくる人物が沢山だった

松蔭像とお墓の人物 それぞれに立札で説明があり判りやすかった
 

松蔭の妹・文と結婚した 久坂玄瑞の墓
 

左 高杉晋作 右吉田松陰
    

大阪商工会議所・会頭の杉道助の質素な墓は「祖先より立派にするな」の遺言という


毛利家のお墓 東光寺と大照院に行く

東光寺は三角州の萩市の川を渡る東側にあり黄檗宗、大照院は西側で臨済宗であり
東光時には歴代奇数の当主祭られ、大照院には偶数の当主が眠っている

東光寺の山門伽藍は立派だった
 

  

墓所は鳥居が建ち、墓石は位牌風、囲むように家臣が寄進した灯篭が並で迫力の墓所だ
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 大照院は修復中 

毛利家墓所は同じよう並びだったが、墓石は五輪塔
一代毎にお寺が変わるのは不思議だが、政治的バランス感覚なのだろうか

  

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このほかの萩の見どころ

道路拡張で発掘された大砲鋳造所 下関でイギリスと戦った時の大砲はここで作られた

     

近代化工業遺産に登録中の「萩反射炉」
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長府

高杉晋作を追って長府へ行く

長府功山寺は沢山の歴史に関わったお寺 戦国時代に大内氏がここで滅亡
維新時に七卿都落ちして隠れ住んだ そして高杉晋作が決起した場所
晋作の騎馬像がある
  

ここのお寺の水は名水で枯れることなく 歴史の人々に飲まれたそうだ
   

東行庵

騎兵隊の陣屋があったところで、晋作没後、おうのが庵を結び晋作を弔った
今は公園になって、晋作餅を売っている
  


花ショウブがきれいに咲いていた
  

 

おわり 


明神池

萩市内から北に位置する半島 笠山の下の明神池に行く
笠山は112mの火山 溶岩がこの池を作ったが、隙間から海水が入るので海の魚がこの池で生息している


この池の奥に溶岩でできた「風穴」
どこから来るのか不明らしいが、冷たい風が穴から吹いてきていた

  

 

ホルンフェルス

この後、海岸沿いのR191の北上して須佐に、ホルンフェルス断層を見に行く
  

日本海の水は青く綺麗で、遠くから見た断層は普通の岩にしか見えなかったが
近くで見ると100m高さは迫力 縞目が美しかった
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防府天満宮

防府天満宮は菅原道真公が大宰府に西下の途中に本州最後の寄港地として立ち寄った場所で
日本で最初に創建された天神さんと言う
   

検非違使が両側で守っている
   

牛の像も立派

境内に市内最古の碑文が建っている、書かれているのは
「道真が優れていた事 西下の途中に、ここ勝間浦に立ち寄り、4ケ月滞在したこと
大宰府で崩御の後、周防国司がこのお宮を建立したこと、大内氏や重源が改修したことなど」

だけど完全に解読されていない もし全部読破は出来たら台座の亀が動くそうだ

 

旧毛利家本邸・毛利氏庭園

大正初めに作られた毛利家の本邸 私はこの冬、東京で岩崎邸、六義園、横浜の三溪園などを見たが
この毛利邸はそれらと同じ見事さだと思った

先ず、入口の門が立派
   

長いアプローチを通って、車回しと唐門の玄関に着く
  

一枚板の廊下と大広間
  

天井は格子天井 時代物の電灯がつく
床の間の掛け軸は「百万一心」ばらして読むと,
「1日1力1心」と読む
  

当時最新の風呂場 と 女中詰所
  

毛利家の家紋は、本家毛利と分家毛利では「横一」の書き方が違う

庭園は広く松ノ木が見事だった これだけの庭を手入れしながら保つのは大変だ
これが東京だったら、観光客も多いだろうが 地方の衰退はひどいと思う


   


国分寺

 奈良時代に聖武天皇の勅願により官寺として国分寺が置かれたが、周防の国では防府がその地となった 
皇室との因縁も深く当時の規模は壮大で七堂伽藍と25ヵ寺の塔頭があったそうだ
だから、平安時代に菅原道真も滞在した?

現在でも立派な寺だったが観光客は少なく 金堂内は社務所で拝観料を払って入れてもらう状態
しかし内部の仏像は京都の寺に負けない見事さだった
本尊は薬師如来、両脇に日光・月光菩薩 四天王が守り、十二神像まで並んでいた

高橋のぶ子が防府出身 
彼女の自伝的アニメ「マイマイ新子」を見ていたので、その映画に出てきた国分寺を私は見たかった
   
  

鋳銭司

 周防鋳銭司跡は平安時代の貨幣鋳造所だった所 沢山の遺物が発掘されている
和同開珎がここで作られた 
  

しかし平安時代の公的貨幣は広がらず
600年間公的鋳造は無く、やっと江戸時代に全国的な通貨が出来たそうだ



ここ鋳銭司は幕末・維新に活躍した「大村益次郎」の生誕地
この資料館は彼の資料館でもあった 銅像や生い立ちが展示されていた
  

日本では偉い人は「神様」に成る? すぐ横に「大村神社」があった
 

堂内に益次郎の肖像画が飾ってある

  

司馬遼太郎の「花神」の主人公 TVドラマにもなった そんな記録も残る

      

おわり 


山口県を歩く・・宇部(セメントの道)

先日テレビで露天掘りの鉱山の映像をやっていた
日本にこんな所があると知って、googleで調べてみたら大きな堀跡が見つかった

現場を見てみたいなあと思っていたら、「大人の社会見学」のツアーが企画されていた
山口県の宇部、美祢、山陽小野田の3市が合同企画した観光ツアーである

その中の一番人気「石灰石鉱山と宇部興産専用道路」ツアーに参加した

でも当日は雨だった!!

 集合場所の宇部空港からバスに乗る 宇部市内、小野田市内、新幹線厚狭駅で参加者を乗せる
参加者は東京、千葉、大阪、福岡など遠くから来た人も多い

最初の目的地、秋吉台科学博物館へ行く

この博物館でこの地域の地形や秋吉台地の石灰岩の分布などの話を聞く
秋吉台や秋芳洞のあるエリアは観光地として保存、西側を産業用に使用しているそうだ
   

展望台からのカルスト台地の眺めも雨で残念

昼食後、宇部興産伊佐セメント工場に行く

いきなり石灰石を焼いているキルンの大きなパイプを見る
    

この後、採石場へ  期待以上に広大だった      

 向こう側まで1.3㎞あるという
近くで見ると大きなダンプトラックが、はるか先で蟻のように小さく作業していた
      

ここから宇部興産専用道路を走るが、私の席は後ろで車内からはこんな写真しか取れなかった
たまにトラックと会う程度で他の車は走っていない

全長約30kmあり、日本最大の私有導路だ 並走する中国高速道と交差するがこの道路が上を走る
以前はJR美祢線の貨物を利用していたが、ストや運転遅れのトラブルから専用道路を作ったと言う

 ここは私有地なので、道路交通法は適用されない、道路のメンテナンスは自前
だから、特殊車両が走れる 信号は無く 無免許OK (でも、ここで運転手になるには大型免許と訓練が必要)

この特殊貨物車に伊佐工場のキルンで出来たクリンカを積んで運ぶ
一貨車に40トン、二両編成で合計80トンを積む、トラックの重さを加えると100トン近くになる
この重さで専用道路を往復する、ガソリンの燃費は1リットル=1.3kmだそうだ

石灰石運ぶのにを宇部興産は専用道路を作ったが、住友大阪セメントは、同じ美祢の鉱山から
日本海側の長門市の工場に「ベルトコンベア」で運ぶと聞いた。経営効率はどちらがいいのだろう


トレーラー整備工場を見学  車両の説明を聞く 
夜になるとここに専用車がずらりと並ぶそうだ

  

運転席に試乗させてくれた 私もこの高い席に座ってみた

興産橋をわたる この橋も自前で作ったそうだ バスからの写真は横しか撮れなかったので興産のHPから頂く
   

UBE-i-Plazaは会社紹介の展示場  宇部興産の歴史や製品の説明を聞く
   

クリックで 宇部市や専用道が見える

マスコットのロボット犬に見送られて、見学を終了

「大人の社会見学」は思った以上に面白かった このコースはお勧めと思う
興産道路を通る時はバスのまえの席に座りたかったけれど・・

追記

別の日に長門市に行った時、住友セメントのベルトコンベアを見た
道路を横切って海の上の船に続いていた

    

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おわり