日本語と国語と、それは同じ言語であるにかかわらず、名称が異なっているためになぜかという説明が求められることになる。日本語教育と国語教育の場面で言語学習にはどちらの名称も、とくにかわりがないものの、学習目的、学習動機が異なるところで、日本語といい、国語と言い、その違いは大きい。しかし、わたしたちにとって母語であるので、その違いにはとりわけ関心が払いにくいことも事実である。そもそも国語と言うのはなぜか。日本語と言うのはなぜか。あらためてその議論を思えば、説明はさまざまになる。日本語の方でみていくなら、この言い方は日本と言う国号にかかわってのことになる。本来民族が持つ言語として、その名称を用いることがあってよいはずであるが、民族の捉え方が属名として日本民族であるのか、大和民族として限定するものなのかと、議論が難しい。言語を一つにして民族を代表するなら、それは近代いぜんからも自覚されてきた複数の言語がこの列島にあるということである。 . . . 本文を読む