読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

学習院の始り

2008-10-25 11:04:26 | 歴史

江戸期、特に幕末、公家は微禄で子弟に学問をさせることも侭ならなかった。皇室御料が僅か三万石で最下位の大名よりも給料が低かった。摂関家で最も高禄であった近衛家でさえ二千八百六十石で下級公家では三十石、四十石と言う者も少なくなかった。無学な公家も多く、追剥を働いた公家もいたし無銭飲食で京都所司代に捕まった者もいたと言う。
このような公家の堕落を嘆いた孝明天皇は公家子弟の学問所を設立した。学習院である。しかしこれが後に学問所の目的から離れ朝廷の国事策定所のような施設となり攘夷思想者が各藩から集まるようになった。中には桂小五郎、宮部鼎蔵、久坂玄随などが居た。