
湯治場・東山温泉でココロもカラダも癒されての会津2日目は朝からどんよりの曇り空(きのうきれいなお城が観られてよかった)
今日は会津の藩としての武家作法・暮らしぶりをこの目で・・・まずは「会津武家屋敷」を拝観します。
会津藩家老 西郷頼母邸を復元したもので、内部には38もの部屋があり畳総数328枚にもなります。
まだまだ身分制度のある時代ですから部屋ごとに役割を持たせ、その生活の様子、そのころの調度品などがわかりやすく展示されています。
殿様だけが使える「御成りの間」「殿様専用のかわや(下に水流が…)」「家老屋敷」「台所」「井戸」「藩米精米所(水車で駆動してなかなかエコです)」
なかなか武家屋敷というものは興味深い造りになっていて、武家社会の一端を垣間見る事ができました。
つづけて会津藩校日新館を拝観します。
会津藩では藩士の子弟が十歳になると藩校日新館に通わせ、藩として「教育」「子供の教育」「心構え」「代々伝え続けること」がとても重視された掟のようなものがあったようです。
江戸時代全国にある藩校の中でも規模・実務内容とも随一と謳われた「会津藩校日新館」
当時の家老田中玄宰「教育は百年の計にして会津藩の興隆は人材の育成にあり」として開校され、戊辰戦争時の白虎隊の面々や多くの偉人を輩出しています。
有名な「什の掟」というものが掲げられていました。(この「什」とは6才から9才までの子供にたいしてグループ教育のような組織が作られていました)
年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
卑怯な振る舞いはしてはなりませぬ
弱い者をいぢめてはなりませぬ
戸外で物を食べてはなりませぬ
戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
そして有名な「なるぬことはならぬものです」 と決め台詞で終わります。
会津藩未来永劫のために第一に「教育」に注力したことは先見の明がありますよね、藩のこうした考え方が会津の庶民の風土・暮らしぶりにも伝わり、
自分が思っている以上に会津藩・会津地方での施策・文化・暮らしぶり・教育・・・の水準の高さがわかりました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます