哲ノート

gentle heart!! ヤサシイココロ・オトナノココロ

新聞をひろげるひと -車内風景から-

2023-06-15 08:11:00 | ちょっと気になる
「いいぞ、いいぞ・・・」

ひさびさの電車でのおでかけ・・・椅子に腰かけるとしばし「人間観察」(ホント悪いくせです)

あいかわらず車内は、下を向いて、スマホをガン見して、自分だけの世界に入り浸りの人ばっか。

指をせわしなく動かす人(なにやってんだか)。とにかくわき目も振らずに固まっている人。音楽を聴いて(これはいいか)瞑想?にふけいる人。

でもでも、周囲に目もくれず、関心も持たず、反応もせず、まわりを拒絶するような身構えで、うすら寒い空気ただよう車内空間

そ、そんななか、いたいた・・・「新聞紙をひろげているおじさん」

スマホなど存在すらなかった、ほんの数年前までは、朝の通勤電車内には必ずいた「車内で新聞広げる人」

しかも、“王道の”新聞縦折り、屏風読みスタイル(やるなぁ・・・)

もしスマホが突然無くなったら、無い生活、無い空間・・・みなさんなにするんでしょうかね。こんな時「人として」人間味というものがでるんじゃないでしょうか。

以前の電車車内なら、新聞・雑誌・本(学生さんなら参考書)・ラジオを聴く・音楽を聴く・中刷り広告を読む・車窓をただ眺める・目をつぶる人・キョロキョロ人間観察・・・

はしたないけど化粧をする人、パンをほおばる輩も・・・でも今のうすら寒い空間からすると、生身の人間感・躍動感があっていいじゃないですか。

カチコチに固まって、目の前の画面を見ているだけで、なんの反応もない固形物のような人間よりも、人それぞれのしぐさ・反応・動きがある雰囲気・・・こっちのほうがよっぽどいいよね。

デジタルとかトレンドとか、時代・世代の流れ、先端文化・・・そんなの関係ない。

人として道具を使い、使いこなすとともに、道具と付き合い、道具とどれだけ距離を置けるか・・・それをつねに身につけておかないと、

いつか知らぬ間に、道具にあまりにも依存することで、「(逆に)道具に使われる身に」なっちゃうかもしれません。(むかしそんな近未来の映画がありましたもんね)

車内にて人間観察して(はしたないけど)なんどもこんな光景を見せつけられるたびに、そんな思いにふけるんです。

斜め前の子供連れの若いおかあさん、子供の相手よりスマホのお相手ですか・・・・。(この子供も将来こんな親のすがたをマネるんでしょうね)

「あっ」目の前の奥様、スマホをしまって本を読みだしました(いいぞ、いいぞ・・・)

そしたら「新聞ひろげていたおじさん」、いつの間にかスマホいじくっているの・・・(あ~ざんねん)

これも今現在の生身の人間のすがたなんですよね・・・。他人の事なんで人それぞれの考え行動で、つべこべ言わず、干渉せずどうでもいいのでしょうけど(人間観察している自分も・・・です)

コメント
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