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日本遺族通信 平成30年12月15日号 遺書と九段短歌

2018年12月17日 14時11分14秒 | 日本遺族通信


                                                          平成30年12月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お母様、ご兄姉の皆様へのお別れのお手紙に残念を何回唱えても残念です。合掌
立派な青年のご戦死が悔やまれます。心からご冥福をお祈り申し上げます。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より学びましたので転載させて頂きました。

八紘一宇(はっこういちう)について
「世界を一つの家にする」を意味するスローガン
第2次世界大戦中に日本の中国,東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた。
日本書紀』のなかにみえる大和橿原に都を定めたときの神武天皇詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為」 (六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き,八〈あめのした〉をおおいて
宇〈いえ〉となす) とあることを根拠に,田中智学が日本的な世界統一の原理として 1903年に造語したもの。
40年第2次近衛文麿内閣が「基本国策要綱」で東亜新秩序の建設を掲げるにあたり,「皇国国是は八紘一宇とする肇国の大精神に基づく」と述べ,以後東亜新秩序の思想的根拠として広く
唱えられた。

九段短歌の選者 安元 百合子先生のお言葉より
12月23日は平成最後の天皇誕生日です。
宮中での祝賀の行事や一般参賀も行われます。
昭和23年に「国民の祝日に関する法律」が制定される以前は天長節と称し、学校では式があり次の祝歌を歌い寿ぎました。
「今日の吉き日は 大君のうまれたまひし 吉き日なり 今日の吉き日は みひかりのさし出たまひし 吉き日なり 
ひかり遍(あまね)き君が代を 祝へ諸人(もろびと) もろともに恵み遍き君が代を 祝え諸人もろともに」

平成の御代を顧みて、謹んでお祝い申し上げます。(選者)

以上に頂きましたが、なかなか曲が思い出せません。
後ほど調べてみたいと思います。

今号も全国から寄せられました多くの九段短歌中、10首を選んで頂きましたのでお目を通して頂けましたら幸いに存じます。

   特攻に果てにし若きの遺書読めば涙あふれて言葉にならず     富士吉田市 遺児 男性
   静かなる海の音波の音聞こえくる紺碧の表紙の父の慰霊誌       青森県 田中恭子様
   武蔵沈み残る鳥海雷撃沈乗員移乗させ一人艦に残りしと       佐世保市 田中 暁様(鳥海艦長子息)
   フィリピンの山麓に眠る父を呼ぶ声木霊する慰霊巡拝         富山市 遺児 女性
   
時季はずれ島に咲く花南洋の桜見せてくれし亡父のやさしさ      壱岐市 遺児 女性
   アンガウルの島影望み拝礼すここペリリューのオムルウム岬      石岡市 遺児 女性
   亡き父の戦地に立ちて無念の思い小石拾いしルソンの山なみ      焼津市 遺児 男性
   空を朱に染むる夕日よ海底に眠る英霊たちをも照らせ         千葉市 遺児 私
   ますらをの御霊に届けと巫女の振る鈴の音沁むる護国寺の社      鳥栖市 遺児 女性
   戦没者の平成最後の慰霊祭戦後七十三年平和よ永遠に         小諸市 遺児女性

12月最後の遺族通信を受領致し、お若いお方の「愛しきものへ」に涙しながら、「九段短歌」に寄せられましたそれぞれの思いにも胸が痛みました。
今年の6月号より「九段短歌」が新選者の先生のご指導に、再び掲載を頂きました事に父に思いを寄せることの励みを頂きました。
今号の私の歌は「洋上慰霊」の折の南海に沈む素晴らしい夕日を海底に眠る父にも見せてあげたい!の気持ちから詠みました。
今後も掲載頂けますように頑張って参りたく考えております。

この度はとても多くの皆様にお訪ね頂きまして御礼を申し上げます。
昨日の記録を掲載させて頂きまして心からの御礼に代えさせて頂きます。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
若者の文章 (徳さん)
2018-12-17 20:06:46
毎回見ていますが当時の若者の文章は素晴らしいものですね。語学力があったのですね。それだけに胸にこたえますね。今の若者には絶対に書けない文章ですね。
返信する
徳さんさま (oko)
2018-12-17 22:17:01
いつもご丁寧にお言葉を頂まして御礼を申し上げます。
先生がおっしゃいますように「語学力があったのですね。」↑

初めて聞きました「八紘一宇(はっこういちう)」の読み方と意味を調べました。

立派なお若い方の戦死が残念です。
返信する
Unknown (matsubara)
2018-12-18 15:19:49
まずランキング上位おめでとうございます。

okoさまのお歌も心に迫り素晴らしいです。

21歳とは思えない短歌ですね。
いたましいです。

八紘一宇は学校でも昔習いました。
あの頃ここから命名された紘子さんも
多かったですね。
返信する
matsubaraさま (oko)
2018-12-18 16:02:51
いつもご丁寧にお言葉を頂まして御礼を申し上げます。

「八紘一宇は学校でも昔習いました。」↑
そうでしたか、忘れておりましたが紘子さんの名前で思い出しました。

昨日のランキングは初めての数字に驚いております。
悲惨な戦争を忘れてほしくなく綴っております。
返信する

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