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ちば見聞録 ちばベイエリア 今昔物語(千葉テレビ放映より)

2024年05月17日 06時00分00秒 | 千葉の事

 

                                      「千葉の海辺の歴史」(ネットより)

    まだこの地が「千葉」と呼ばれる遥か昔、人々は、海で取れた貝や魚をはじめとした海の幸・山の幸を食べて暮らし加曽利貝塚などの数々の貝塚を残しました。
                    やがて、武士の一族「千葉氏」によって都市としての「千葉」の街の歴史が始まります。
                       そして、東京湾に面した、海と陸の交通が集まる地として栄えました。

                      千葉の街に県庁が置かれた頃、遠浅の海を活かした海苔づくりや漁業に加えて、
                         都心に近いという利便性から海水浴や潮干狩りも楽しめる行楽地、
                        また、美しい海と松林に恵まれた別荘地としても賑わうようになりました。

                       そして今は、埋め立てによってその姿を変え、新しい街と産業が生まれました。
          海辺には数々の工場や団地が立ち並び幕張メッセなどのすぐ先に広がる人工海浜でかつての海辺の街の面影を感じることができます。


                 知人の漫画家さとう有作先生のご活躍と合わせてさとう有作先生の知人、千代倉信子先生の素晴らしい題字の書の作品も拝見させて頂いております

             昭和30年代に検見川海岸に見られました「打瀬船」(うたせぶね)白いドレスを着た「海の貴婦人」とも呼ばれていました。
「打瀬船」(うたせぶね)真っ白い大きな帆を張って風を受け、船を横に流しながら海底の魚を取る。船のきれいな姿から白いドレスを着た「海の貴婦人」とも呼ばれていました


     作業名はわかりませんが昭和30年代の検見川海岸の「漁業に携わる人」           昭和30年代の検見川海岸の「アサリとりの女性たち」         


昭和30年代の検見川町~稲毛町~現在の中央区の入り口まで旧14号線沿いに何十メートルも女性たちが並んでとれたてのアサリ、むきみ等を売っていた様子が懐かしいです


              昭和30年代の千葉 検見川海岸の様子                海岸を埋め立てまで続いた検見川町他、隣接海岸の「海苔作り」作業

「海水浴場と文人に愛された海気館」(千葉市のHPより)

稲毛や黒砂の目前、現在の国道14号の辺りは遠浅の海岸でしたが、明治21年(1888年)、千葉県初の海水浴場が開かれ、同年、医学士の濱野昇により「稲毛海気療養所」が設立されました。
施設は海水温浴場、海水冷浴場、海水灌漑場、遊戯場、運動場などで、救急に備え医師が1名常駐していました。当時海水浴は、諸疾病に対する治療法として提唱され「海気館」はそれに応じた施設だったのです。
稲毛浅間神社周辺の松林の中に建てられた施設「海気館」は、林芙美子が昭和9年(1934年)に書いた小説『追憶』に、「赤や青の色ガラスがはめこまれている明治の建物」と形容されています。


  稲毛海岸での最初の海水浴は海水に浸って病気の治療をするというものでした           多くの文人に愛された避暑地における稲毛海岸の「海気館」


                   牛を引く農家の人                  30年代は家々のすぐ前が検見川海岸でした(現在 千葉市花見川区検見川町)

                                千葉港中央地区 ~  浦安地区
                                 都市施設としての土地利用計画

昭和30年代後半以降、首都圏の急激な人口増加に対応するため千葉市中央区(出洲港)から浦安市に至る地域では、工業団地とともに学校・道路・公園・緑地などの公共公益施設を備えた街づくりが計画されました。
地区ごとに千葉港中央地区では千葉市の港湾整備・都市的施設用地が稲毛・検見川・幕張A・B・C地区では大規模なニュータウン用地が、浦安地区では住宅用地・鉄鋼流通基地用地および大規模レジャー施設用地が、
現在のディズニーランドの土地がそれぞれ確保されました。特に幕張A・C地区については、業務研究・文教・住宅用地等を配置した国際業務都市「幕張新都心」と位置づけ、街づくりを行いました。



                                             千葉ポートタワー             
                                        潮風と遊ぶ。125mからの大パノラマ


 千葉港のシンボル千葉ポートタワーは1986年6月、千葉県民500万人突破の記念として開設。2011年「恋人の聖地」に選定、2012年「日本夜景遺産」に認定された人気スポットです

                                      ― 千葉市稲毛の民間航空の歴史 ―

               埋立てられる以前の稲毛海岸は遠浅な海岸が広がっており、引潮時には数キロに渡り干潟が広がっていた。
          以前の稲毛海岸は遠浅な海岸がこの干潟を利用して1912年明治45年)5月下旬、奈良原三次日本初の民間飛行場(稲毛飛行場)を開設、
                        伊藤音次郎をはじめ多くの民間飛行家たちが育成されこの地を拠点に活躍した。
                     当時の複葉機・鳳号が復元され、1987年昭和62年)11月9日に75年ぶりに復元飛行した[4]
               これを機に、民間航空の資料を集めて、1989年平成元年)4月29日に稲毛海浜公園内に当記念館が開設された[1][2][3]
                             
                               2018年平成30年)3月31日をもって閉館[5]

                         建物をリニューアル整備して、グランピング施設の受付場所・休憩施設として活用する予定。
                    施設改修後も鳳号の復元機はそのまま保存活用しその他の展示物も可能な限り活用する予定。

       

                             

          かつて旧14号線沿いの海岸には工場や団地が立ち並ぶ          史実に基づいて制作していますが番組内の歴史の検証については諸説ありますとあり

中学生頃まではまだ近隣は海でしたので日曜日などにはバケツをもってアサリとり、おやつはワタリガニ、炭火で焼いたハマグリにお醤油を注いで食べた美味しかった思い出は忘れることができません。

コメント (2)
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