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2021年(令和3年)戦後76年目の全国戦没者追悼式 (TV放映より)

2021年08月15日 22時52分22秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)
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終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはいかんのです」

2021年08月15日 13時28分11秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

2021年8月13日NHK放映の「しかたなかったと言うてはいかんのです」を見ることができました。
事実に基づいたフィクションと表示されておりました。内容そのものは命を救うはずの医師が犯した恐ろしい罪とその裏に隠された真相。
色々ご意見もあります事と思いますが、戦争が犯した罪と言えると思います。
この度、改めて知ることに学びたく保存いたしました。女性は強し!を感じましたドラマでもありました。

説明はNHKのHPより転載させて頂きました。
「この番組について」
太平洋戦争末期に行われた「生体解剖」。命を救うはずの医師が犯した恐ろしい罪とその裏に隠された真相。
死刑判決を受けて自分自身と向き合う医師と、その判決に異議を唱え、公正な裁きを求めて奔走する妻。苦悩の果てにたどりついたありのままの真実とはいったい何なのか?
人間の狂気と正気を描き出すヒューマンサスペンス!

<あらすじ>
1945年5月。西部帝国大学医学部の助教授・鳥居太一(妻夫木 聡)は、教授の指示で米兵捕虜の手術を手伝うが、それは治療のためではなく実験手術であった。
教授に手術の中止を進言するが却下され、4回にわたる手術により8名の捕虜が死亡。戦後、この実験が明るみに出て、太一は占領軍に逮捕され裁判を受ける。
戦犯として死刑判決を受けた太一は、凶行を止められなかった自分と向き合うことになる。

一方、妻・房子(蒼井 優)は、裁判の中でゆがめられた真実を明らかにし、事件の首謀者にされた夫を死刑から救おうと奔走する。
房子の必死の思いと、それぞれの罪を背負った死刑囚たちとの出会いによって、太一は目を背けていた本当の罪に気づいていく・・・

 
            題字は書家の武田双雲氏と紹介されておりました                                   「生体解剖」という米兵8名の手術が行われた日

 
         妻・房子(蒼井 優)は兄の家で夫の死刑判決を聞く            鳥居太一(妻夫木 聡)米兵捕虜の手術を手伝った罪で死刑宣告を受ける
軍の命令と教授は助教授・鳥居太一(妻夫木 聡)に手伝うように指示をした。
しかし鳥居は治療のためではなく実験手術であることに手術の中止を進言するが却下され、4回にわたる手術により8名の捕虜が死亡。
戦後、命令をした教授は責任を取って自殺。助教授であった鳥居が責任を取らされることとなった。
映像と説明は途中省略。
妻・房子は、裁判の中でゆがめられた真実を明らかにし、事件の首謀者にされた夫を死刑から救おうと奔走する場面を紹介させて頂きます。

      弁護士の三浦氏から「シキュウジョウキョウサレタシ」を受領                 あなたに会ってもらいたい人がいます
         その人とは鳥居太一が死刑判決を宣告された時の米の弁護士でした。妻・房子は「鳥居さんしばらくでした」にも握手を拒否しました

 
       なぜ鳥居さんの証拠・証言を裁判でとりあげなかったのか?        自殺した石田教授にすべての責任を負わせほかの医師たちの罪を軽くする方針でした
                                     
 
        教授には誰も逆らえなかったことにしたかったからと                        本当ですか?
            教授は「日本の医療の向上に手術は必要だ。軍の命令に逆らうのか。手伝え」と8人の米兵を手術台に乗せたということでした。

         それは8人のアメリカ兵が惨殺された事実です                   誰かに重い罪を受けさせる必要があったと言った


         鳥居助教授は石田教授に次ぐ地位にいたために                 全体のために(鳥居助教授の死刑判決)はしかたなかったと


       三浦弁護士「鳥居さんの言うことを認めるんですね」                      あらためて「認めます」と


          しかし、鳥居本人から嘆願書が出ていません                     本人が主張しなければ何も進みませんと


     嘆願書は「本人が主張せねば何も進まない」を受けて、妻・房子は「嘆願書を書いてほしい」と面会に伺うが、「嘆願書は書けない」と言い切る鳥居であった

 
         「大きくなったね」と目を細める鳥居であったが「嘆願書は書かない」と心に決めるその後ろ姿に「お父さ~ん行かないで~」と叫ぶ

          妻・房子は、「子ども達は連れてきてはいけない」と言われながら、どうしても嘆願書を書いて欲しく子供たちを連れて面会に行く。
       その時でさえ子ども達には「お母さんを頼む」と言い、涙の別れをしたのでしたが、ある日、処刑を前にした仲間が鳥居に別れを告げに見えた。

                        処刑に向かう直前に同僚は鳥居たちを訪ねて「来なさんなよ!」 と訴えた


                 鳥居は目を背けていた本当の罪に気づいていく・・・「嘆願書」にペンを走らせることとなりました。

 
       「嘆願書」により減刑され鳥居太一は出所されました                     出迎える妻・房子(蒼井 優)

 
       「帰ったよ」・「お帰りなさいませ」 涙があふれました                  巣鴨刑務所を後にする二人でした

「鳥居太一のその後」
 
               「鳥居医院」を開業                        記者が「戦争だったのでしかたがなかったのでは?」

 
                 鳥居太一は「いや、あれは間違いでした。しかたがなかったと言うてはいかんのです」と言い切った

                    以上写真を並べただけですが、改めて戦争の恐ろしさ、無惨さを学ぶ機会を頂きました。

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