三宝院での聖天双身像の初公開を拝観して、
桜馬場を左に
唐門を見ながら
仁王門をくぐって、伽藍エリアへ。
醍醐寺へは醍醐の花見で1回、
西国三十三所巡礼で、
夫が満願できなかったので、
夫に付き合って
西国第十一番 上醍醐 准胝堂を2回巡礼し、
今回で4回目。
金堂(国宝)
京都府下最古の木造建設の五重塔
山科駅から京阪バスに乗り
醍醐寺前で下車するとすぐなので、
一番便利かなと。
15日から21日まで、
西国三十三所観音霊場第11番札所の観音堂の
准胝観世音菩薩坐像の開扉が行われるようだ。
上醍醐にあった「准胝堂」に祀られていたのが、
2008年の落雷により、お堂が焼失し、
その時、像も消失したらしいが、
現在、下醍醐の「観音堂」の
小さな厨子の中に安置されている像は
新しく作られたものだろうか。
絵葉書の准胝観世音菩薩坐像は消失前の????
開扉される准胝観世音菩薩坐像はどんな像なんだろう。
ちょっと気になる。
毎年この時期に開扉されるようだから、
また来よう。
公開がゴールデンウイーク最後の日の
6日までだった。
行こうか、どうしようか迷って、
あれこれやっていたら、
寝たのが明け方になった。
起きれないだろうと思って
行くのをなかばあきらめて寝たんだけど、
意外に早く起きれて、
実物は見たことないし、
今度いつ見れるか分からないし、
と、意を決して、出かけた。
醍醐寺三宝院玄関
聖天堂
聖天は歓喜天とも言われ
秘仏とされて一般には公開されないのが普通だそう。
お供えは大根とお酒と
この清浄歓喜団。略して「お団」と呼ばれている。
聖天堂の瓦が清浄歓喜団の巾着。
聖天堂で説明を受けて、
拝観は弥勒堂(本堂)であった。
暗いし、小さい(高さ10.2㎝)しで
よく見えなかった。
説明によると、人々の事業を妨害する魔王で、
インド神話のガネーシャ神、毘那夜迦(びなやか)とも言われ、
十一面観音様が諭され改心し、
仏教の護法神となったそう。
護法神になってからの名前が毘那夜迦で、
もとの名は俄那鉢底(がなぱち)。
双身の抱擁像で、一方は象の頭に姿を変えた
十一面観音様だそうで、冠をつけている。
悪いことをしないように、
毘那夜迦の足を踏んづけている。
記憶が曖昧で間違っていたらごめんなさい。
「醍醐の花見」を契機に秀吉自ら設計した庭
内側から見た唐門
今まで拝観したお寺で、
歓喜天像を所有しているお寺はいろいろあったけど、
ほとんど公開されていない。
醍醐寺で拝観した歓喜天像が
最初で最後かもしれない。
迷っていたけど、来て良かった!
私学共済の「晩冬の京都を歩く」の二泊三日の最後、
錦市場の見学で、自由行動だった。
まず錦市場素通りして、一緒に行った同僚に
誓願寺と宝蔵寺に連れて行ってあげた。
☆が錦市場。
○で囲ってあるところが誓願寺迷い込んで、宝蔵寺。
浄土宗西山深草派のお寺で、
お堂がとても開放的。
錦市場にお買い物に行ったついでに
ちょっと寄って、お堂に上がって
お参りして帰る。
誰でもウエルカムといった雰囲気のお寺。
また、平安時代に、清少納言と和泉式部が
往生を遂げたお寺だそうで、
女人往生のお寺としても有名。
誓願寺の後、
宝蔵寺は月曜日は休みなのだけど
飛び石連休の間の月曜日だから
ひょっとしたらやってるかも・・・・
と不安ながら行ったら、
翌日の11日まで寺宝展をしていて、
ラッキーだった。
使っていない御朱印帳が1冊あるのだけど、
買ってまった。
若冲の御朱印帳、2冊目。
見開きで、こんなに御朱印が押してあって・・・・・
買わずにはおれんかった。
この後、錦市場に戻って、
お昼は、市場直送海鮮問屋で天丼を食べた。
うっかり、お金を払わずにお店を出て、
気づいて、もどって払った。
食い逃げするところだった。(・_・;)
「歩く」というツアーだけに、歩き疲れた。
今だに、着圧ハイソックスはいて、膝サポーターして、
最近、少し楽になったけど。
老化は足腰にてきめんに現れてる。
若い時、神戸で働いていた時も
結婚してからも、京都はあまりにも近くて、
泊まりで行くことがなかった。
初めて京都で二泊、楽しかったなぁ!!
「晩冬の京都を歩く」の2日目の
最後の見学は京都国立博物館。
昨年、11月29日にミニ涅槃像に再会で、来たばかり。
4月19日からの特別展のパンフレットが置いてあって、
中を見たら、こんな仏像が。
初めて見たけど、
面を裂き観音の姿をあらわしているのだそう。
3人の絵師が宝誌和尚の肖像を描こうとしたとき、
「待った、本当の顔がある」と額を親指の爪で開き、
内から菩薩の顔が出現したのだとか。(@_@;)
京都の西往寺所蔵で、現在はこちらの博物館に寄託らしい。
日本では現存唯一だそう。
宝誌和尚(418-514)は中国の現存したお坊さんで、
人の心を言い当てたり、分身してみたりと、
不思議な能力を発揮したと。
日本にもエピソードが伝わり、
「宇治拾遺物語」に記載されているそう。
4月19日からの特別展『日本、美のるつぼ』
是非、見に行かなくっちゃ。
銀閣寺から哲学の道を歩いて永観堂、
永観堂はツアー外だったので、
観終わって、急いで南禅寺の三門へ。
方丈拝観チケットを受け取って、
三門登って正面は法堂
南禅寺の三門好きの私、今回も一番に登った。
歌舞伎の『楼門五三桐』で石川五右衛門が
「絶景かな絶景かな。春の眺めは値千金とは、
小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、
値万両、万々両」と煙管を持ちながら
名台詞を吐いたのがこの三門だそう。
しかし、石川五右衛門が釜ゆでになったのが
1594年10月8日(文禄3年8月24日)なので、
死後34年経ってから建てられたもので、
実際には五右衛門がこの楼門に立ったことはない。
上層内部には金網越しに暗がりの中、
よく見えませんでしたが、
写真の聖観音像を中心としてパンフレットより拝借
左右に十六羅漢像および徳川家康・藤堂高虎
以心崇伝(中世の南禅寺を復興させるとともに、
徳川家康の側近として政治的な役割を果たした人物)
の像が安置されているそう。
方丈拝観前に、
手前の法堂を拝観した。
法堂天井の瑞龍図
金網越しに撮ったので、
パンフレットやホームページとは逆に。
この法堂、2度の消失にあって、
明治42年に現在のものが再建され、
その時、今尾景年画伯によって描かれた
蟠龍(天に昇る前のうずくまった龍)だそう。
方丈は国宝、庭は小堀遠州の作で、
名勝指定の「虎の児(子)渡し」の庭
石を親虎、小虎に見立てて、白砂で川水を、
虎の親子が川を渡っていく様子を表しているそう。
中国で素晴らしい皇帝が現れ善政がしかれると、
兎や鹿を襲って食べている虎にとっては、
悪い事をしている気になり、
大変居心地の悪い国になったものだと、
子供達を連れて国境の運河を渡って他国へ去っていきます。
「虎の子渡し」とは、善政がしかれた国を表し、
時の政権、徳川幕府をたたえていいると・・・・なるほど。